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神様に寄り頼まない罪(イザヤ2:6-9)
고영수 2022-10-29 추천 0 댓글 0 조회 760

20221030 日曜午後礼拝

聖書:イザヤ2:6-9

題目:神様に寄り頼まない罪

内容:この世民は能力不足よって身を滅ぼすが、神の民は神以外に頼る心によって滅びることを忘れてはいけない。

賛美:賛美歌197、福音賛美44、305

説教者:高曜翰 講道師​

 

1.統一教会に寄り頼む日本政治家

 安倍晋三元総理暗殺事件を機に、統一教会と日本の政治家との親密な関係が明らかにされました。自民党の半数が統一教会との関係を持っていたと言われています。統一教会は選挙演説や投票、献金の面で援助を行い、政治家は統一教会の日本での活動を法的に認め、顔貸しやメディアへの報道規制を行うことで良好な関係を気付いていたと言われています。日本の政治家にとって統一教会は、選挙に勝つためのとても便利な存在だったようです。この関係には様々な問題点があると思いますが、そのうちの一つとして、国民の代表である政治家が主権者の国民の意志を無視していることに大きな問題があると言えます。政治家が国民に寄り添わず、外部の勢力に寄り頼むならば、日本という国はその存在意義を失ってしまいます。

 

2.神様以外に寄り頼むクリスチャン

 これはこの地上の国家にだけ当てはまる問題ではなく、神の国においても同じです。しかしこの場合は神様を王とする王国です。そして主権は私たちクリスチャンではなく王である神様にあります。だからクリスチャンが神様の意志を無視するのであれば、それは大きな問題であると言えます。クリスチャンが神様に寄り頼まず、別の物に寄り頼むならば、それは罪となり、神の王国は成り立たなくなります。

 残念ながら、主権を無視した関係というのは、日本政治の世界に留まらず、企業など様々な団体の間で見られ、アメリカなど他の外国でも見られる光景です。経済力の高い人、地位の高い人、影響力の高い人に頼ろうとすることは、一見合理的なように見えても、主権者を無視する行動はやがてその集合体を崩壊させます。それは2800年前のユダヤ人においてもそうでした。イザヤの時代にユダヤの王国が滅亡に向かって行ったのは、主権者である神様を無視したからなのです。

 

3.2800年前のイスラエル

 イザヤ2:6-8を見ると、ユダヤ人は神様の力に頼るのではなく、占い師の力を借り、経済力豊かな外国や、軍事力の強い外国を頼ってしまったことが分かります。そして、それと引き換えに偶像崇拝が入り込んでしまいました。イザヤ2:13-16には、当時の有名なものが3つ書いてあります。一つ目は「レバノンの香柏」で、別名レバノン杉の事です。腐りにくく虫もつきにくく、丈夫で見た目も美しく、建築用素材としては最高峰でした。レバノン杉の原産地となっていたのが、かつてのイスラエルの王アハブの妻イゼベルの出身地シドンになります。アハブ王は経済力軍事力の向上のためにイゼベルと政略結婚を行い、代わりにバアル信仰を取り込むことになりました。「バシャンの樫の木」とはガリラヤ湖東のゴラン高原にある木の事で、レバノン杉と同じように丈夫で建築用素材として用いられました。どちらの木もソロモン神殿の建築に用いられています。そして「タルシシの船」とは南スペインを拠点とする貿易船ことで、アフリカから金銀象牙を仕入れていました。この貿易によって多大な利益を得ていたのがツロという都市国家です。地中海貿易によって得た富は圧倒的で、アッシリアとバビロニアの侵攻を防ぐほどでした。つまり「レバノンの香柏」「バシャンの樫の木」「タルシシの船」は当時の力の象徴と言えます。神の国の民であるユダヤ人は神の力に頼るべきだったのに、主権を無視してこの世の力に頼ってしまったせいで、滅亡の危機に直面するようになったのです。

 

4.裁きによる改革

 日本の政治の世界では、これまでの統一教会との関係を明らかにせず、一方的に関係を切って、この事件をうやむやにして乗り切ろうとしています。本来ならば、全ての関係性をはっきりさせて、それ相応の処罰を受けなければ、主権者である国民はその政治家を信用することはできませんが、それでもやはり全ての真相を明らかにすることは不可能でしょう。人の国では何とかうやむやにしてごまかすことが可能ですが、神の王国ではそうではありません。なぜなら主権者である神様が義そのものだからです。ユダヤ人の神様の主権を無視した悪事は必ず明らかになり裁かれます。不正と偶像崇拝にまみれた古いエルサレムは、アッシリアとバビロニアという道具をもって神様に裁かれることが決まりました。しかしそれは終わりを意味するものではありません。それは正義と平和に満ちた新しいエルサレムが誕生するためです。その事実をイザヤは2章で預言しています。イザヤ2:1-5は、イエス様が再臨するこの世の終わりの事について話していますが、これは神様の計画の最終目標の段階を示しています。その目標に向けてエルサレムが受ける審判は必要不可欠なのです。この裁きは最終的な裁きではなく、エルサレムを立て直すための裁きであることを覚えておいてください。

 

5.最も重い罪

 日本で最も重い罪は外患誘致罪という外国勢力と手を組んで自国を攻撃する罪ですが、神の王国においては、神に頼らないという傲慢が最も大きな罪と言えます。神に頼らないということは他の神の王国の外にある物に頼って生きるという意味であり、それは神の国を破壊する行為につながります。外患誘致罪の刑罰は死刑ですが、神の王国においても、神に頼らない(聖霊を拒む)という傲慢は決して許されない罪であります(マタイ12:31)。

 ある日、イエスが悪霊付きの人を癒した時の事です。近くにいたパリサイ人は、悪霊どもの頭ベルゼブルの力で追い出した」と難癖をつけました。それに対してイエスは「私が神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」(マタイ12:28)と言っています。つまり悪魔の国となっているこの世に神の国が来ているという意味です。そして「まず強い人を縛り上げなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることが出来ようか。縛ってから、初めてその家を掠奪することができる」(マタイ12:29)と言っています。つまり、すでに神の国の王によってこの世の国の王であるサタンが縛られているということを説明しています。神の国の法によって悪魔が裁かれ縛られているのはすでに神の国が来ているからです。完了はしていませんがすでに始まっているのです。だから私たち現代のクリスチャンもこの世の国の力で勝利を収めるのではなく、神の国の力で勝利することを求めるべきなのです。そしてイエスは「私の味方でない者は、わたしに反対する者であり、わたしと共に集めない者は、散らすものである」(マタイ12:30)と続けています。私たちはこの世の国の力と神の国の力との両方を選ぶことができず、どちらの力で生きるかを決めなければなりません。もちろんこの法律を守り、人々と平和を保つことは必要です。そして科学の力や現代社会で発達した様々な技術力を用いることは大切なことです。しかし、用いることはしても、そこに信頼を置いてはいけないのです。「ただ神様だけに頼る」これはどの時代の神の民も守らなければいけないことなのです。

 

6.まとめ

 私たちは神の王国の民です。神様との一対一の関係も大切ですが、神様が神の王国の主権者として行っていることを知る必要があります。そして、主権者である神様に寄り頼まないことは高慢であり大きな罪です。ユダヤの民は主権者である神様を無視した結果、清めるための裁きを受けました。私たちは同じ過ちを繰り返さないためにも、神の王国の民として全てにおいて神様に寄り頼みましょう。​ 

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