20221127 日曜午後礼拝
聖書:イザヤ10:20-25
題目:残りの者(シェアール)
内容:神の民にとっての神の憤りは「残りの者」になるためである。
賛美:545、548、福音賛美433
説教者:高曜翰 講道師
1.預言の意味
イザヤの時代、ユダヤ人は形だけの礼拝、不正と悪事に満ちており、神の国の民からは程遠い姿になっていました。そこで神様は不信者の国アッシリアを道具として用いてユダヤ人を裁きました。その時に神様は水や食料、頼りになる人々をもエルサレムから取り除きました。生き残った者が全ての偶像を捨てて、心から神様に頼るようになり、神の国に帰って来るためです。イザヤ書10:20-23は、アハズの息子ヒゼキヤの時代にアッシリアを撃退することの預言です。この事件はアッシリア側の資料テイラープリズムにも記載されています。その碑文には「アッシリアの王がヒゼキヤを彼の都エルサレムに籠の鳥のように閉じ込めた」ありますが、他の46の強力な城塞都市を滅ぼしたアッシリアがエルサレムを滅ぼせなかったのはまさにインマヌエルによるものです。続けてイザヤ書10:24-25で神様はユダヤ人を励ましています。アッシリア人による侵攻は神の憤りによるものであり、それが終わると彼らは彼ら自身の高慢のせいで滅ぼされるというものです。だから、恐れずに主に寄り頼みなさいということです。事実、アッシリアはヒゼキヤの時代をきっかけに衰退し、エルサレムよりも先に滅亡します。神の怒りは神に寄り頼まない者にとっては滅びですが、神に寄り頼む者にとっては悔い改めの機会なのです。そして、神様は人々が「残りの者」(シェアール)となって戻って来るのをただ待つだけではなく、助けてくれるお方なのです。
2.残りの者とは?
イザヤ書には「残りの者」(שְׁאָר:シェアール)という言葉が15回出てきており、この書のキーワードとなっています。この言葉は「残りの者」だけが神の救いにあずかることを意味しています。パウロはローマ9:27でイザヤの言葉を引用して、イスラエルだから救われるのではなく、救われるのはイスラエルの中でも「残りの者」であると言及しています。そしてイエスキリストを受け入れたものだけが「残りの者」になるということです。悪魔は私たちを地獄に落とそうと様々な手段で攻撃してきます。しかし神様はそれを止めない時があります。それは私たちを訓練するためでもあり、「残りの者」(シェアール)として戻って来させるためでもあります。イスラエルの場合と同じように、クリスチャンを名乗っている者はたくさんいても、実際に救われるのは「残りの者」だけなのです。そして、救われた「残りの者」は救う「残りの者」に変わります。イザヤ66:19では「逃れた者をもろもろの国…わが名声を聞かず、わが栄光を見ない遠くの海沿いの国々に遣わす。彼らはわが栄光をもろもろの国民の中に伝える」と言っています。つまり。先に救われた「残りの者」はまだ救われていない「残りの者」のために御言葉を伝えるということです。アッシリアのように神様を信じていなくても力強く、成功を収める人々を私たちは目にします。しかし決して羨ましがってはいけません。彼らはあくまで神の道具として一時的に用いられているだけであり、その先は滅亡しかありません。私たちは苦しくても「残りの者」となれば、人々を滅ぼすための道具ではなく、救うための道具として用いられるのです。
3.かつての韓国
1907年1月に平壌のとある教会でリバイバルを求めた集会がありました。その集会の最後に、人々から厚い信頼のあったとある長老が罪の告白を始めました。黙っていれば誰にも分からなかったことだったにもかかわらず、自分の隠した罪のせいでリバイバルが行われないと考え、窃盗の罪を正直に告白したのです。この告白を機に、平壌にリバイバルが起こり、朝鮮半島全体に広まっていきました。平壌は東洋のエルサレムと呼ばれたほどでした。しかし、その3年後の1910年には韓国併合が行われ、日本の植民地として苦しい時代を過ごすことになりました。リバイバルが起こった韓国になぜ神様は日本の植民地化という苦しい経験を与えたのか私は最初理解できませんでした。しかし、イザヤ書を読んで、これは神様が韓国を清めるために日本を神の道具として用いたのではないかと考えるようになりました。イギリスの旅行作家イザベラ・バードは『朝鮮紀行』で、韓国の政治は完全に腐敗しており、中央から地方まで不正がはびこり、私腹を肥やす悪徳政治家だらけであり、日本の占領が始まるときには、搾取と着服が全体を通じての習わしとなっており、全ての職位が売買の対象になっていた、と述べています。当時のエルサレムの状況と似ています。つまり、神様は韓国の人々を神の国の民として生まれ変わらせるために、日本を道具として用いたのではないでしょうか。韓国は1945年に独立を果たし、朝鮮戦争という苦難を経験しましたが、現在世界で最も多くの宣教師を輩出する国になりました。植民地時代を乗り越えた「残りの者」が韓国をクリスチャン国家として立て直し、世界宣教の先頭を走っているのではないでしょうか。
4.将来
私たちの将来には、アッシリアのような、戦前の日本のような、悪意ある勢力が現れます。ひょっとしたらすでに個人的にこのような勢力と戦っている人がいるかもしれません。しかし、目には目を、歯には歯をと言って、同じ力で対抗しようとしないでください。またうらやましがったりも恨んだりもする必要がありません。アッシリアが滅びたように、反キリスト勢力はあくまで神様の道具であり、滅びに至る存在です。私たちは「残りの者」として苦難を耐え忍べば必ず神の栄光に預かる日が来ます。パウロはローマ11:5で「今の時にも、恵の選びによって残された者がいる」と述べています。弱い私たちも神様の恵みによって「残りの者」になることが出来ます。どうか「残りの者」(シェアール)として生き残るために、神様と共に人生を歩き続けましょう。
※現在の苦しい状況を分かち合ってください。そしてその苦しい状況がなくなるようにではなく、乗り越えて生き残る者になるように祈りましょう。
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