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バビロンは滅亡する(イザヤ13:19)
고요한 2024-11-10 추천 0 댓글 0 조회 58

20241110 日曜午後礼拝

聖書:イザヤ13:19

題目:バビロンは滅亡する

内容:苦難の時も、歴史を造られるのは公正なる主であることを覚え、滅びに至るバビロンに生きるのではなく、永遠に続く神の国に生きましょう。

説教者:高曜翰 福牧師

1。何が幸せか?

 この世の教える幸せとは何でしょうか?とある大学受験を志す理由を聞いたアンケートでは1位就職のため、2位学歴のため、3位学びたいことがあるから、とのことでした。1位と2位は実質、社会で有利な肩書を手に入れるためです。また、ある親は子供「良い大学に行ったら、良い企業に入れて、高い給料をもらえるよ」と教えるそうです。人生の目的が肩書やお金になっている人は少なくありません。InstagramYoutubeを見ても、認知度やお金のためにしている人が多いのではないでしょうか?確かに人から認められたら気持ちがいいし、お金はあったほうが自由度が高いでしょう。しかし、幸せは持っているもので決まるわけではありません。

 聖書の教える幸せとは何でしょうか?神様との正しい関係から感じるものです。神の国において、神に主権を置、神の民として生きるときに実感できるものです肩書やお金が与える幸せは一時的で不完全です。なぜなら、人間の存在自体が一時的で不完全な状態だからです。神の幸せは永遠に完全な神様からくるものです。また、幸せをくださいと祈って与えられる物ではありませんいくら神様がたくさん祝福を与えても、私たちに神の国の民としての準備ができていなければ、神様の祝福を実感できるどころか、重荷にさえなりえます。

2。バビロンへの預言

 時代背景を見てみると、勢いのあるアッシリアに苦しめられ、かろうじて生き残っているイスラエル(※ここではユダ王国を指します)がいます。アッシリアにつくべきか、エジプトにつくべきか悩んでいますが、イスラエルの望みは、自分たちを苦しめるアッシリアがすぐに滅び、ダビデの時代にまで回復することですしかし、神様はまず1−12章イスラエルへの裁きを伝え、13−23章周辺諸国への裁きを伝えています。特に13−14章ではバビロンへの裁きを書いていますが、その内容を見ると、アッシリアはやがてバビロンによって滅び、バビロンもメディアによって滅び、その後、イスラエルが回復することを伝えています。なぜ預言の内容が、アッシリアではなく、アッシリアの支配下にあるバビロンなのでしょうか?なぜ目先のアッシリアではなく、160年先のバビロンなのでしょうか?

 第一の目的として、人ではなく神に視線を向けさせるためです。人は苦しみの中にいると、目先のことだけに集中してしま生き物です。しかし神様は遠い未来を見させますドイツの詩人フリードリヒ・シラー「苦しい時が上り坂」と言いました。これは、上り坂を上がる時は視界が狭くなり、途中で引き返したくなるほど苦しいですが、上がり切った時、新しい景色を見下ろしながら、楽に下ることができるので、諦めないことが大事だと教えています。神様も同じようなことを伝えたいのではないでしょうか?イスラエルの苦しみは、神の国の民としての訓練であり、滅ぼすためではありません。苦しみの先に、回復を約束していることからも、神様が苦難を許可している理由がわかります。苦しいからといって諦めたり、この世の力を追い求めるのではなく、神様の元に戻って来られるように遠い未来を見せて励ましているのです。

 第二の目的として、神に頼らない者の最後を教えるためです。バビロンとはアッカド語で「神の門」を意味し、バベルの塔のあった地域を指します。バベルの塔は神への叛逆の象徴です。神に頼らず人を頼る者たちの象徴す。神の視線よりも人の視線を恐れ、目に見えない神の国の物よりも、目に見えるこの世の物を求めます。神様はバビロンの滅びを見せることで神の公平さを見せているのです。この世の全ての主権は神にあり、歴史を作るのは人間ではなく神様です。たとえ弱くても神様を主人として認める神の国の民は救いを受け、いくら強くても、神様が道具として用いたとしても、神様を主人として認めないバビロンの民を滅ぼされるのです。救いは神様との関係を回復した者にだけ与えられます私たちは苦しい時にこそ、この世の物から離れなければならないのです。

3。苦しみの中で

 それでは私たちは苦しみの中で、何を知るべきでしょうか?1つ目として、私たちの苦しみは神の国の民になるためだということです。「これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである」(‭テサロニケ人への第二の手紙‬ ‭1‬:‭5‬)とパウロは言いました。神様は苦難を用いて私たちを神の国の民にふさわしい姿に作り変えます。私たちの敵や悪魔を用いることもあります。そうすることで、神の力に頼り、神の視線を恐れ、神の国の価値観を求める民に作り変えられるのです。私たちは神の国の復興の計画に参加しています。主権は神様が持ち、土地は神様が作っています。そして、人は私たちを通して作っているのです。私たちが苦しいのは、神様の力不足や私たちの力不足ではないということを忘れないでください。私たちが神の国の民にふさわしい姿に変えられるためです。

 2つ目として、安らぎを与えるのは神様であるということです。「すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。」(‭‭テサロニケ人への第二の手紙‬ ‭1‬:‭6‬)とパウロは言いました。誰かに悩まされている私たち、神の民に相応しくなれば、神様が休息を与えてくださいますそして、私たちを悩ます相手には、その役目が終われば、患難を持って報いられます。自ら復讐する必要はありません。真の安らぎは公平な審判をされる神様から来ますこの世の与える物では決して真の安らぎを手に入れることはできません。私たちは平安を手に入れるための努力をするのではなく、神の平安を与える神様に近づく努力をすべきなのです。

 3つ目として、結論は、苦しい時こそ跪いて神様を求めましょうということです。「それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する」(‭‭テサロニケ人への第二の手紙‬ ‭1‬:‭7‬)とパウロは言いました。主イエスが力ある天使たちを率いて天から現れます。私たちが苦しい時にすべきことは何でしょうか?他人を責めることでも、自分を責めることでもありません。復讐したり、強くなる必要はないのです。神様に焦点を合わして、跪き、神の民に相応しくなることが大切なのです。力あるイエスが天使を連れて来られる時、神の安らぎが私たちに訪れます。

4。回復すべきもの

 私たちは苦しみによって傷ついた時、何を回復しようとしますか?何を取り戻そうとしますか?失ったこの世の物を取り戻そうとするのなら、それはバビロンを復興させるのと同じです。バビロンとは、神様を頼らないという傲慢の罪の象徴です。バビロンを復興しようとしたアレクサンダー大王は32歳で謎の死を遂げましたまた、バビロンを復興しようとしたサダムフセインは、王のような存在でありながら処刑されました。バビロンに生きる人は滅びしかありません。

 一方で、失った神様との関係を取り戻そうとするのなら、それは神の国の復興に参加するのと同じです。神様に跪いて主権を返し、神の国の民として生きる人には安らぎがあります。事実、神の国の復興に参加したパウロやペテロは苦難の時にも平安を得ました。牢獄の中でも平安を得るというのはバビロンに生きる人には理解できない現象です。しかし、神の国の民には実際に起こりうるのです。神の国に生きる人になることを望みます。

5。まとめ

①私たちの苦しみは神の国の民に相応しくなるため

②本当の安らぎは神様から神の国の民に与えられる 

③だから苦しい時こそ神の国を求めよう 

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