日本語説教

  • 설교 자료 >
  • 日本語説教
日曜日の意味(マタイ12:1-8)
고요한 2025-04-27 추천 0 댓글 0 조회 18

20250427日曜午前礼拝

聖書:マタイ12:1-8

題目:日曜日の意味

説教者:高曜翰 副牧師

“そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。 パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。 そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。 すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。 また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。 あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。 人の子は安息日の主である」。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭12‬:‭1‬-‭8‬ 口語訳‬

1。日曜日に集まる理由

 ユダヤ人は土曜日に集まって礼拝します。その日がモーセの律法で定められた安息日だからです。個人的なことは行わず、公的な集まりを通して、主の安息に入るのです。それでは、なぜキリスト教徒は日曜日に集まって礼拝するのでしょうか?イエスキリストによってモーセの律法が完了し、イエスキリストが復活した日曜日に主の安息が回復したからです。やはり個人的なことは行わず、公的な集まりを通して、主の安息に入るのです。日曜日が休日だから集まって礼拝を始めたのではありません。古代教会の忍耐と努力によって日曜日が休日になったのです。つまり、キリスト教徒にとって、毎週日曜日がキリストの復活を記念し、主の安息に入るための大切な「安息日」なのです。

 今日はマタイ12:1-8を通して、私たちにとっての「安息日」である日曜日をどのように過ごすべきかを考えてみたいと思います。

2。イエスにとっての安息日

 いつもの安息日のように、イエスと弟子たちは会堂に向かいました。弟子たちはお腹が空いていたので、道中で麦畑の麦を手に取って食べました。他人の麦畑に入って、麦を摘むことは律法で許可されています(申命記23:25)。しかし、それを見たパリサイ人が「なぜ安息日にしてはいけないことをしているのですか?」と怒りました。それは、安息日に仕事をしてはいけないという律法を破ったからです(出エジプト20:10)。安息日の順守は、ユダヤ人の不変のアイデンティティであり、律法の中でもとても大切です。そして、律法を守るために作られた口伝律法によると、弟子たちは「刈り取り」「脱穀」「篩分け」「食事の準備」と、4つの律法違反を犯したことになります。

 パリサイ人の指摘に対して、イエスはダビデ王と祭司の事例を用いて反論しています。ダビデは安息日に祭司だけが入ることのできる神殿に入って、祭司だけが食ることのできるパンを食べましたが、神様はダビデに罰を与えませんでした。それは、ユダヤ人に知られているように、ダビデ王が律法の権威者だからです。また祭司たちは、安息日にしてはいけない仕事を神殿でしていますが、神様は祭司たちに罰を与えません。それは安息日に必要な神への献身だからです。イエスの論理は、ダビデ王や祭司の律法違反が罪に問われないのなら、彼らよりも権威あるキリストが罪に問われないのは当然であるという論理です。だから「人の子(=イエスキリスト)は安息日の主である」と結論づけています。安息日の違反かどうかは、その主人が決めるということです。

 ただし、主人の一方的な横暴で基準を決めているのではありません。イエスは「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」(ホセア6:6)という言葉を引用しました。ダビデ王のしたことは、単に自己満足のための行為ではなく、逃亡生活で飢えてしまった部下たちの命を救うための必要な行為でした。また神殿における祭司の仕事は、単なる儀式的なものではなく、神様と人との関係をつなぐための重要な行為です。そして、弟子たちが安息日に麦を取って食べたことは、イエスから見て、主の安息に入るための必要な行為だったと言えます。このお話の次に出てくる、安息日の癒しについても同じことが言えます。緊急でもない病をイエスがわざわざ安息日に癒したのは、その人が1日でも早く主の安息に入るために必要だったのです。

 つまり、安息日に神様が私たちに求めることは、私たちだけが主の安息に入るのではなく、他の人々を憐れみ、主の安息に入ることができるように良い行いをすることだと言えます。安息日を守るということは、自分だけが楽しめばいいということではありません。だからイエスは、安息日を守ることで偉そうにしているパリサイ人を逆に叱りました。安息日を守るということは、主人である神様のために献身することであり、その結果、自分も主の安息を一緒に経験できるということです。皆さんは主の安息に入るために、日曜日をどのように過ごしていますか?

3。エリックにとっての日曜日

 映画「炎のランナー」(1981)のモデルとなったエリック・リデル(1902−1945)は中国の天津で宣教師の子供として生まれたスコットランド人です。学生時代は両親を離れ、イギリスで過ごしましたが、スポーツの才能が開花しました。1924年のパリ五輪には陸上選手として参加しました。100m走の金メダル候補でしたが、予選が日曜日だったので出場を辞退しました。イギリス中が大反発しましたが、彼にとっては国や自分自身よりも神様が大切だったのです。代わりに、得意種目でもない400m走に出場したのですが、世界新記録で金メダルを獲得しました。人々は彼を英雄として迎え入れましたが、1925年、中国へ戻り宣教師として生涯を生きることにしました。1943年、日本軍に捕まり収容所に送られますが、1945年に脳腫瘍で亡くなるまで、人々を励まし、福音を伝え続けました。

 エリック・リデルにとって、日曜日を守ることは金メダルを取ることよりも重要でした。それは、パリサイ人のように自分さえ良ければいいという自己満足のためではありません。それは、金メダルをとりながらも、自分の栄光を捨てて、死ぬ時まで中国の人々に福音を伝えるために献身した姿から分かります。彼にとって、走ることは神の栄光を表すためのツールの一つに過ぎませんでした。彼は、走ることで手に入れられる安息よりも、日曜日を守ることで得られる安息が何よりも大きいことを知っていたのです。だから人生の後半での、地獄のような環境の中でも、人々に献身しながら生きていくことができたのではないでしょうか。

4。私たちにとっての日曜日

 皆さんにお願いがあります。日曜日に共に集まって礼拝を捧げ、献身をしましょう。聖書は日曜日に集まりなさいとは言っていません。しかし、他の曜日ではなく、イエスの復活によって安息が回復した日曜日を記念することは十分に聖書的です。そして聖書は、定期的に教会に集まるように教えています(ヘブル10:24−25)。なぜなら神様は教会を通して働かれることを約束したからです(マタイ16:18−19)。そして、日曜日が休日となったのは、激しい迫害の中で勝ち取った古代教会の信仰の先祖たちのおかげであることを忘れてはいけません。日曜日に教会に集まって、共に礼拝を捧げ、共に献身をすることで、共に主の安息を経験しましょう。主の安息の中で、1週間の間に働いて疲れた霊を癒し、新しい1週間を生き抜く力を得ることがことができれば幸いです。

 ただし、世の中には日曜日に休めない職業の人々がいることを忘れないでください。警察官や看護師、電車やバスの運転士、メディア関係者などです。もし、私たちが日曜日に仕事をする彼らを非難するのであれば、私達はパリサイ人たちと同じ過ちを犯すことになります。日曜日に休めない人々が全員罪人なのではありません。彼らのおかげで私達は安心して教会に行って礼拝を捧げることができるのです。神様が与えた才能や心を用いて、神様に栄光を表すために日曜日も働いている人々がいます。かつて羊飼いは安息日を守れない汚れた職業だと軽蔑にされていました。しかし、イエスキリストの生誕の知らせを一番に受けたのはその羊飼いでした。この世のものではなく、神様に頼って、神様に安息を求めて生きる人は、たとえ日曜日に教会に行けなくても、主の安息に入っている人々です。そういった人々は自ら時間をずらしたり、別の日に教会に行き礼拝し、献身します。大切なのは主に安息を求める心なのです。 

 クリスチャンが日曜日に教会に行って礼拝して献身することは、妻が単身赴任した夫の記念日に合わせて夫に会いに行くことに似ています。妻が用事のために別の日を指定することは必ずしも悪いこととは言えません。別の男性と会うために日にちをずらしているのなら問題ですが、人を救うためなら夫も誇らしく感じるのではないでしょうか。大切なのは夫を一番に考えて行動し、夫によって安心を得ようする心です。皆さんはどのように日曜日を過ごしますか?私たちの日曜日の主人は神様です。どうか、神様の前で恥ずかしくない日曜日を過ごしてください。 

자유게시판 목록
구분 제목 작성자 등록일 추천 조회
이전글 1ミナを預かった僕(ルカ19:15−26) 고요한 2025.04.27 0 17
다음글 死に勝利したイエス(マルコ16:6−8) 고요한 2025.04.19 0 28

大阪中央教会 ⧧537-0023 大阪市東成区玉津3-1-33 (06) 6973-5540, 6929-1569 www.chuo.co.kr sirokita@gmail.com

Copyright © 오사카중앙교회. All Rights reserved. MADE BY ONMAM.COM

  • Today13
  • Total80,272
  • rss