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恐れるな!共にいる!(イザヤ41:10)
고요한 2025-05-17 추천 0 댓글 0 조회 22

20250518日曜午後礼拝

聖書:イザヤ41:10

題目:恐れるな!共にいる!

讃美:435、436

説教者:高曜翰 副牧師

“恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。”

‭‭イザヤ書‬ ‭41‬:‭10‬ 口語訳‬

1。恐れに向き合う

 私たちは誰もが人生の中で恐れや不安を感じる瞬間があります。内閣府の調査によると、以下のようなことが主な不安や恐れの原因として挙げられています。健康や病気の不安、経済的な問題、災害や事故への恐れ、人間関係の悩み、将来の不確実性です。これらは誰もが経験する感情であり、避けることができない現実です。しかし、聖書は繰り返し「恐れるな」と私たちに語りかけています。その中でも、イザヤ書41章は特に神が私たちに寄り添ってくださるという力強いメッセージを含んでいます。今日はこの章から、どのようにして恐れを乗り越え、神の力を信じて歩むことができるのかを考えてみましょう。

2。歴史的背景

 イザヤ41章は、当時のユダ王国の人々にとって、バビロンが滅びるという少し遠い未来の預言です。バビロンを滅ぼすひとりの者が東からやって来て、行く先々で勝利を収めます。国々は恐れ、互いに偶像を作ることで励まし合います。しかし、神様はイスラエルに対して、あなたはわたしの僕だから、安心しなさいと言っています。

 18世紀ごろから、イザヤ書40章以降は第二イザヤ書だと呼ばれ、バビロンの時代にイザヤの弟子たちによって書かれたのではないかと考えられるようになりました。しかし、イエスもイザヤ書全体をイザヤの著書だと認めているため(cf. ヨハネ12:38−41)、アッシリアの時代に書かれたものとしてお話しします。

 では、なぜアッシリアではなくバビロンの預言をしたのでしょうか。当時、ヒゼキヤ王の元でアッシリアの脅威を回避したユダ王国ですが、アッシリアの再侵攻を恐れていたはずです。そんな彼らに、神様は、ユダ王国はアッシリアに滅ぼされることなく、バビロンによって滅びるが、そのどちらも神によって裁かれることを教えています。それは、全てが神様の管理のもとにあることを教えることで安心させるためではないでしょうか。例えば会社の面接を前に緊張している時に、未来人が来て、「合格するから安心して」というのと、「将来部長になってるよ」というのとでは、どちらが安心できるでしょうか。遠い未来を見せることは、視野を広げ冷静になる事に役立ちます。

3。自分の弱さに恐れない(イザヤ41:10)

 イザヤ41章10節には次のように記されています。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」これは、神が私たちに対して直接語りかけている言葉です。このように、神は私たちが恐れや不安に囚われることなく、信頼して歩むよう招いておられます。私たちの弱さは問題ではありません。なぜなら。神様が、私たちを強くし、助け、勝利の手で支えるからです。

 例えば、2tトラックと5tトラックの話を思い出してみましょう。2tトラックは荷物の量では5tトラックに劣りますが、その分、小回りが利き、狭い道でも通りやすくなります。5tトラックの方がたくさん荷物を運べるから優れている、というわけではないのです。同様に、私たち一人一人には異なる賜物が与えられており、それぞれが神の計画において重要な役割を果たしています。決して他者と比較して恐れや劣等感を抱く必要はありません。パウロはローマ人への手紙12章6節で「私たちは与えられた恵みによって異なる賜物を持っている」と述べています。私たちはすでに恵まれており、異なる賜物をもっているのです。問題は、すでに与えられている賜物を持っていないと嘆いたり、自分のためだけに使う態度です。私たちに必要なのは、自分の弱さのせいにしないで行動することです。

4。敵の強さに恐れない(イザヤ41:13)

 イザヤ41章13節にも力強い約束が書かれています。「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。これは、神が私たちと共に歩み、どんな時も手を差し伸べてくださるという励ましです。古代では、右手は「力」や「権威」、「正義」を表しました。その右手を神様がとるというのは、神様がその人の「力」や「権威」、「正義」となってくれるという意味です。心強いですね。

 イエスも同じように、私たちを導き守る羊飼いとしての姿を示されました。ヨハネ10章11節で、イエスは「わたしは良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のために命を捨てます」と語られました。羊は弱く、迷いやすいどうしようもなく弱い存在ですが、羊飼いであるイエスが命懸けで常に私たちを守り、導くと言っているのです。実際、イエスは私たちを救うために命を投げ出しました。こんな神様は世界中のどこを探しても見当たりません。そんな力もあって信頼できるお方が私たちの右手をとって守ってくださるのです。私たちに必要なのは、敵の強さのせいにしないで行動することです。

5。失うことを恐れない(イザヤ41:18)

 さらに、イザヤ41章18節には、乾いた地に水が湧き出るという希望のメッセージがあります。「わたしは裸の山に川を開き、谷の中に泉をいだし、荒野を池となし、かわいた地を水の源とする」。これは、絶望の中にあっても、神は新しい命と希望を与えてくださることを象徴しています。神様が共にいれば、ありえないことも起こるのです。

 自然界では乾燥した砂漠でも、限られた季節や条件が揃うと美しい花が咲くことがあります。しかしその条件が揃うのは限られています。しかし、神が共におられるなら、どんなに荒れた場所でも新しい命が芽生えるのです。世の中の常識や物理法則でさえもひっくり返ります。これはちょうど、枯れ木に花が咲くような奇跡です。神に信頼するならば、私たちの心も再び潤い、喜びに満たされるでしょう。

 ヨハネ7章38節で、イエスは「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と言いました。私たちは神様によって、お腹が満たされるだけではなく、逆に水を溢れさせる存在になることができます。それは私たちが荒野のように乾いている状態だとしてもです。イエスは十字架の上でなくなりましたが、死から蘇りました。不可能なことを可能にしたのが神様です。私たちは全てを失っても絶望する必要がありません。なぜなら何もないところからも溢れさせる神様が共にいるからです。

6。結論 

 最後に、イエスは私たちに「だから、まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて加えて与えられます。」(マタイ6:33)と教えました。私たちは、自分の弱さも敵の強さも、失った状態も恐れる必要はありません。神の力を信じ、神の御心に従って歩みましょう。イザヤ41章が語るように、神は私たちと共におられ、決して私たちを見捨てることがないからです。私たちが歩き始める時、道は開かれ、花も開きます。この確信を持って日々の歩みを続けていきましょう。 

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