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祭司の血筋(ヨハネ黙示録1:5−6)
고요한 2025-05-25 추천 0 댓글 0 조회 13

20250525日曜午前礼拝

聖書:ヨハネ黙示録1:5−6

題目:祭司の血筋

讃美:70、320、325

説教者:高曜翰 副牧師

“また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。”

‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭1‬:‭5‬-‭6‬ 口語訳‬

1。血筋が与えるもの

 翁まひろ(ペンネーム)さんという小説家のブログを拝見しました。もともと韓国嫌いの方だったそうです。学生時代は中国語を専攻していたこともあって、韓流ドラマが流行っている時もあえて見ず、中国ドラマにハマっていたそうです。ある日、祖母から不意に自分の祖父が韓国人だったことを聞き、衝撃を覚えたとのことでした。今まで、祖母も母もあえて教えていませんでした。しかし、それを機に、自分が生まれてすぐに亡くなり、写真でしか見ることのできなかった祖父がどんな人だったのか気になったのです。

 祖父は、借金の保証人になったせいで財産を全て失いました。そのため、韓国を出てモンゴルで馬賊になるために満州鉄道に無賃乗車したそうです。馬賊に見つけてもらい、仲間にしてもらうために草原で3日間待ち続けましたが、見つけてもらえず、北京へ行きました。祖父は、北京の貧しい人々に、自分の持っている服を貧しい人に分け与えたそうです。自分の状況も苦しいのに、人々を助ける姿がそこにはありました。また、中国人に軍刀を振りかざす日本軍人を止めに入り、手に傷を負う事件がありました。日本人と殴り合いになりましたが、最終的には日本軍司令部の前で日本軍たちと集合写真を撮るほど仲良くなったそうです。その後、自分も自分の国も傷つけた日本に来て、日本人と結婚して暮らすようになりました。日本に来てからも、苦しい人々を助け、励ましたそうです。

 祖父の話を聞いて、翁まひろさんはそんな祖父を誇らしく感じ、嫌いだった韓国についてもっと知りたくなりました。反日運動が盛んな時、日本を好きだと言って、殺害予告を受けた韓国人YouTuberと出会いました。その方の「好きなものを好きと言えないなら、それは本当の好きとは言えない」という言葉に感銘を受けました。それをきっかけに、韓国に対する印象が変わり、見える世界が変わったそうです。自分の血筋を知ることで、あたらしい世界が解放され、自由になった例ではないでしょうか。

 人々は運命から抜け出し、自由に生きたいと、血筋を否定します。しかし血は命そのもので、自分を作る不変的なものです。血筋を否定するということは、自分を否定するのと同じであり、横から見ていると、むしろ束縛されているように見えて、辛いものがあります。むしろ血筋を受け入れ、ありのままを受け入れる時、本当の自由を手に入れるのではないでしょうか。

2。キリストは誰か?

 今日の本文を見ると、キリストは「忠実な証人、死の中から最初に生まれた者、諸王の支配者」であると書いてあります。「忠実な証人」とは、どんな圧力にも妥協せず、完全に神の意志を証しする人を言います。キリストはその通り、決して妥協せず、死に至るまで福音を語り続けました。危なくなったら逃げるような人間ではなく、徹底して神の計画を貫いたお方であることがわかります。これはキリストが信頼できる根拠となります。

 「死の中から最初に生まれた者」とありますが、これは、「世界初」を飾って自慢しているのではなく、私たちの見本となったことを意味しています。救いへの道が真実であることを、復活することで示したのです。それは、危険な道を自らが通ることで、安全な道であることを示しているようです。これはキリストが復活を保証してくる希望の光であることを示しています。

 「諸王の支配者」とありますが、全ての地上の権力の頂点に立つ王であることを示しています。キリストに従って生きる者は、その王の元で守られる。例外はありますが、頂点の権威が大きい国ほど秩序を保つことができ、安全に住むことができます。これはキリストが最も大きな平安を与える安息の源であることを示しています。

3。キリストが私たちにしたこと

 キリストは「私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解放した」とあります。「私たちを愛し」ているのは、十字架の上だけではなく、今も変わらず私たちを愛していることを教えています。信頼と希望と平安を与えるお方が、私たちを愛しているのです。

 「その血によって」とは、血は命そのものであることから、キリストがご自身の命を用いたことを表しています。 血を流さないとできないことがあるのです。

 「私たちを罪から解放した」とあります。つまり、私たちを罪の支配から解放し、自由にするためです。しかも、罪に再び支配されることはありません。自分の命を犠牲にして私たちを解放するほどに、私たちを愛しているのです。

4。解放された私たちの役割

 キリストは「その父なる神のために私たちを御国の民とし、祭司として下さった」とあります。原文では「父と神のために、私たちを王国にし、祭司にした」です。父と神が同格であることから、王国と祭司を同格に考えます。つまり、祭司で構成される王国の祭司にしたという意味です。私たちはキリストの血によって、祭司となったのです。祭司の役割は、人と神とをつなぐことです。単なる称号ではなく、使命があるのです。それは、キリストの性質、愛と義の生き方を模範とし、現実に表すことで達成されます。私たちがキリストの血筋を受け継ぎ、祭司として生きる時、「世々限りなく栄光と権力と」を神様に返すことができます。時が良くても悪くても、祭司の血筋である私たちが、祭司として生きることことが、神様が望んでいることなのです。

5。どのようにして私達が祭司の血筋になったのか?

“生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。”

‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭2‬:‭20‬ 口語訳‬

 もう少し詳しく、私たちがどのように祭司の血筋になったのか見てみましょう。私たちが福音を受け入れてすることは、洗礼ですね。洗礼は、罪を洗って清めることを意味しません。洗礼は、罪に縛られた自分を殺すことです。私たちはイエスの十字架を受け入れることで、キリストと共に死んだのです。そして、私たちはイエスの復活を受け入れることで、キリストと共に生き返ったのです。そしてその信仰によって今も生きているのです。今、私たちが生きているのは、他の人とは違う理由なのです。キリストの血によって、祭司の血筋になって生きているのです。

6。祭司の血筋はどれほど良いものか?

“新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。”

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭24‬ 口語訳‬

 原文では「アベルの血よりも良い言葉を話す血」となっています。アベルの血は、助けを求める声であり、不義について裁きを求める声です。しかしキリストの血は、助けを与える声であり正義を行う声です。言い換えると、キリストの血によって、私たちは助けと正義を求める存在ではなく、助けと正義を与える存在に生まれ変わったのです。

 私たちがかつて、アベルの血が流れている時、暗闇の中で助けと正義を求めながら生きる存在でした。それでもこんなものかと思って諦めるしかない、求めても手に入らない人生でした。

 しかし、キリストの血が流れるようになってからは、救われて、世界が変わりました。視力の悪いまま生きてきた人が、初めてメガネをかけた時の感動はとても大きなものですが、救いの感動は比べ物になりません。キリストの血は、未来に希望を与え、捨てたかった過去が捨てられない貴重なものにしてくれます。なぜなら、過去の無駄にも見える人生に意味が現れるからです。長いこと信仰生活をしていると忘れてしまいがちですが、キリストによって人生が変わった時のことを思い出してください。その時に私たちの血はアベルからキリストに変えられました。

7。祭司の血筋がすべきことは?

“しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。”

‭‭ペテロの第一の手紙‬ ‭2‬:‭9‬ 口語訳‬

 私たちは今光の中にいます。よく見えず、悪い想像が膨らみ、恐怖に包まれる闇にいるのではありません。では、なぜ光に入ることができたのでしょうか?私たちの運や実力のおかげで発見できたのではありません。キリストによって導かれ、キリストの犠牲によって入ることができたのです。

 ではなぜ、他の人ではなく、私なのでしょうか?神様があなたを先に選んだのは、自分が暗闇から光に導かれたように、隣人を暗闇から光に連れてくるためです。それがイエスの願いです。もし私たちが誰も連れてくる必要がないのなら、イエスは私たちを先に呼ばなかったでしょう。

 今日、私たちは祭司の血筋であることを受け入れて、祭司として生きていきましょう。すでに私たちには「キリストの血」が流れています。それは自分が生きているのではなく、キリストが生きていることを意味します。それなのにキリストを否定し、祭司を否定するのは、自分の存在を否定することにつながります。魚が魚として、鳥が鳥として生きる時が、最も幸せです。血筋に逆らって生きることは、血筋を受け入れて生きるよりも苦しいことです。韓国人が韓国人であることを隠して生きるよりも、迫害を受けたとしても韓国人が韓国人として生きる方が、はるかにかっこよく、健康的ではないでしょうか。

8。まとめ 

 私達はキリストと共に死に、キリストと共に生き返ることで、祭司の血筋を受け継いだ存在です。その祭司の血筋は、私たちを求める存在から与える存在に変え、見える世界を変えました。私たちが、祭司の血筋であることを受け入れ、祭司として人と神とをつなぐ人生を送る時、私たちはこの世でも大胆にかっこよく生きることができます。 

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