日本語説教

  • 설교 자료 >
  • 日本語説教
どのように準備するのか?(使徒の働き1:14)
고요한 2025-05-31 추천 0 댓글 0 조회 3

20250601日曜午前礼拝

聖書:使徒の働き1:14

題目:どのように準備するのか?

讃美:73(1, 2)、491、488

説教者:高曜翰 副牧師

 

“彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。”

‭‭使徒行伝‬ ‭1‬:‭14‬ 口語訳‬

1。間違った不安の解消方法

 アメリカ発祥のキリスト教には、「繁栄の神学」というものがあります。19世紀末に現れたポジティブ思考を強調するニューソート運動や、20世紀前半に現れた信仰による奇跡や超自然的な祝福を強調するペンテコステ運動の流れを汲み、20世紀後半に現れたテレビ伝道で開花しました。信仰による物質的祝福を教え、アメリカンドリームと結びつき人気になりました。韓国にも似たような「祈福信仰」というものがあります。シャーマニズム的要素と結びつき、家系の祝福やビジネスの成功を強調します。日本でも「ご利益信仰」という言葉を使ったりします。

 これらの信仰の問題は、聖書の教えとずれているところにあります。イエスは「自分を捨て、十字架を負って従え」と言いました(マタイ16:24)。「繁栄や成功が信仰の証だ」「奇跡は信仰が強いからだ」というのは、当時のユダヤ人達の持っていた発想と同じで、神様の考えとは違います。

 また、弱い人々を傷つけます。イエスは生まれつき病気の男性に対して「神のみわざが現れるため」と言いました(ヨハネ9:3)。「癒されないのは信仰が足りないから」「お金がないのは種を蒔かないから」と言って献金や奉仕を強要させるのは、パリサイ人の律法主義と同じで、聖書的ではありません。

 そして、神の主権を誤解するようになります。イエスは「御心が天で行われるように、地でも行われますように」祈りなさいと教えました(マタイ6:10)。「信じれば成功できる」「祈りを積み重ねれば願いが叶う」と教えますが、神様は自分を満足させるための自動販売機ではありません。

 何かを手に入れるための信仰では私たちの不安は本当になくなることはありません。私たちは心の不安をどのように打ち消すべきか?

2。不安の中で弟子達がしたこと

 弟子たちはイエスが十字架につけられた時、大きな失望と恐れを経験しました。しかし、復活したイエスが現れることで、弟子たちは恐れから信仰へ回復しつつある状態でした。神の国について40日間教えたイエスが、天に帰る時が来ました。イエスは聖霊のバプテスマを受けるまでエルサレムで待っていなさい、と言われましたが、具体的にいつかは教えてくれませんでした。やるべきことはわかっています。イエスの証人として福音を伝えることです。そしてそのために聖霊のバプテスマが必要だと言うこともわかりました。しかし、いつまで待てばいいのかわかりません。弟子たちはきっと不安の中にいたことでしょう。私たちの信仰生活でも、いつまで待てばいいのか分からず不安になることがあります。その時、皆さんはどうしますか?

 今日の本文を見ると、まず弟子たちは集まったことがわかります。 日本語の「共に」はギリシャ語で【スーン】と言い、〜と一緒に、という意味です。弟子たちは女性たちと、イエスの母とその兄弟たちと一緒に集まりました。一人のままでいるのではありません。同じ信仰を持つ者同士で集まったことがわかります。

 また、弟子たちは心を合わせたことがわかります。日本語の「心を合わせて」はギリシャ語で【ホモ・テュマドン】と言い、同じ+心で、という意味です。生まれも育ちも違う人々が集まって、神様に向かって心を合わせるのです。それぞれの思いはバラバラですが、他の誰かではなく、みんなが神様に焦点を合わせたことがわかります。

 そして、弟子たちはひたすら祈りをしました。日本語の「ひたすら」「祈りをした」はギリシャ語で【プロス・カルテレオ】【ティ・プロセフケ】です。〜に向かって+根気強く続ける、〜に向かって+祈り、という意味です。一回きりではなく、何度も、習慣的に祈ることを指しています。もちろん、自分の思い通りの結果ではなく、神様の応答があるまで祈るのです。弟子たちは、集まって、心を合わせて、祈りを続けることで、神様の時が来るのを準備したのです。

3。不安を消すために

 まず、集まりましょう。

“ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭18‬:‭20‬ 口語訳‬

 信仰生活は個人ではなく、共同体として集まることに意味があります。一人では自己中心的になったり、不安になったりして、神様を感じにくくなります。イエスを中心に集まることで、私たちは神様を強く感じることができるのです。神様は一人で頑張ることを望んでおらず、共に支え合うことを望んでいることが、この聖句からもわかります。

 実際、イエスは12弟子というグループを作りました。弟子たちは特別秀でた存在ではありません。むしろイエスの働きの足枷となりうる存在です。なぜわざわざ集めたのでしょうか。それは、次世代の育成のためもありますが、支え合うためです。イエスも私たちと同じ人間の性質を持っていたため、苦しみや痛みを感じました。だから、ゲッセマネの園でも、弟子たちに祈るよう呼びかけました。集まるのは喜びや苦しみを分かち合うためです。

 私たちは集まることで不安を和らげることができます。一方で、集まるには色々な妨害や誘惑があります。勉強や仕事、部活、疲労、人間関係など様々な要因があり、集まるのも簡単ではありません。しかし、私たちを孤立化させる悪魔の策略の存在を忘れてはいけません(1ペテロ5:8)。一人の方が楽な時もありますが、本当に不安を打ち消すためには、私たちは集まる必要があるのです。

 次に、神様に心を合わせましょう。

“まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭6‬:‭33‬ 口語訳‬

 信仰生活は強くなることではなく、心を神様に合わせることに意味があります。人は自分の義を求めてしまう傾向にあり、そして自分以外の義と衝突します。だから各自が自分の義を主張するのではなく、各自が神の義に合わせることが良い方法です。そうすることで、バラバラの集団でも調和が取れるようになります。

 実際、イエスは群衆が王にしようとした時、逃げました。5千人の給食の後の出来事です。人間的な考えで見れば、この5千人を利用すれば、宣教活動もうまくいのではないかと考えます。しかし、イエスはそうしませんでした。なぜならまだ神様のタイミングではないと知っていたからです。逃げたのは、人々の心ではなく、神の心に合わせたからということを見逃してはいけません。

 私たちは神様に心を合わせることで、不安を和らげることができます。人を自分に合わせたり、自分を人に合わせたりするのはうまくいきません。お互いが神様に合わせることで、神様の助けもあり、うまくいくのです。なぜなら不完全な人間の基準ではなく、完全なる神様の基準が安心を与えるからです。

 そして、祈り続けましょう。

“また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。”

‭‭ルカによる福音書‬ ‭18‬:‭1‬ 口語訳‬

 信仰生活は自分の力で頑張ることではなく、祈り続けることに意味があります。人は頑張ることや成し遂げることで、信仰を評価しがちです。そして、自分の思ったようにできなかった時や結果が出なかった時、失望します。しかし、神の国では、どれだけ頑張ったか、強くなったか、結果を出したかではなく、信頼したかが重要です。

 実際、イエス様は 5千人の給食の後、「私は天から下って来たパンだ」と会堂で教えました。その結果、多くの人が去って行きました。結果を重視するなら、言ってはいけない言葉をイエスは言いました。しかし、重要なのは、結果ではなく、神のみ旨に従い続ける心です。イエスのこのような大胆な発言は、常に祈ったイエスだからできたことです。イエスのように、信頼し、従い続けるために、祈り続けるのです。

 私たちは絶えず祈ることで、神様に信頼し、平安を得ることができます。祈りの中で神様に心を合わせることで、神様の主権に従うことができる。誘惑や試練、不安が来る度に祈りましょう。そうすることで、目に見える結果にとらわれず、神様の道を行くことができます。

4。まとめ 

 不安な時、一人ではなく、共に集まりましょう。そして、人ではなく、神様に心を合わせましょう。自分の力で頑張るのではなく、祈り続けましょう。そうすることで私たちのすべきことが見えてきて、不安を打ち消すことができます。 

자유게시판 목록
구분 제목 작성자 등록일 추천 조회
이전글 真のメシアの姿(イザヤ53:1−5) 고요한 2025.05.31 0 2
다음글 油注がれたクロス(イザヤ45:1−6) 고요한 2025.05.25 0 12

大阪中央教会 ⧧537-0023 大阪市東成区玉津3-1-33 (06) 6973-5540, 6929-1569 www.chuo.co.kr sirokita@gmail.com

Copyright © 오사카중앙교회. All Rights reserved. MADE BY ONMAM.COM

  • Today48
  • Total81,309
  • rss