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花嫁を満たす花婿(エゼキエル16:14)
고요한 2025-09-06 추천 0 댓글 0 조회 17

20250907日曜午前礼拝

聖書:エゼキエル16:14

題目:花嫁を満たす花婿

賛美:3、406、405

説教:高曜翰 牧師

“あなたの美しさのために、あなたの名声は国々に広まった。これはわたしが、あなたに施した飾りによって全うされたからであると、主なる神は言われる。”

‭‭エゼキエル書‬ ‭16‬:‭14‬ 口語訳‬

1。神とイスラエルとの出会いの物語

 ある少女がいました。生まれたばかりの少女は、家族にも顧みられず、血まみれで荒野に捨てられていました。誰も少女に目を留めず、未来に希望もありません。しかしある日、男が通りかかります。男は少女を見て「生きなさい」と言いました。少女は生きる力を与えられ、野の中で成長して娘となります。

 男は再び通りかかり、その成長した娘を見つけました。男は彼女に求婚し、契約を結びます。「あなたは私のもの」と。そして男は未だ血にまみれた娘を水で洗い、油を塗り、良い服を着せ、革の靴を履かせ、様々な装飾品で飾り付け、花嫁として迎え、豊かな食事で養い、非常に美しい女性に整えました。

 ところがその娘は自分の美しさに酔いしれ、自分の美しさを称える別の者たちの元へ走っていきました。やがて彼女は、その者たちに自分の身を売るようになりましたが、代わりに金銭を得るのではなく、逆に自分の財産を差し出してまでも、その者たちに身を売るようになりました。

 男は裏切られたと怒り、正義をもって彼女の罪を暴きます。しかし、男は「あなたと結んだ契約を思い出す」と語り、彼女を連れ戻し、恥を取り去ることを約束しました。男は娘の罪の大きさを知りながらも、捨てることができず、憐れんで再び迎え入れる決意をしたのです。

 エゼキエル16章の物語は、神様とイスラエルの関係を表しています。イスラエルは道端に捨てられた赤ん坊のように、誰も目に求めず、助ける者のいない存在でした。しかし、神様によって見つけられ、整えられ、美しい存在に生まれ変わったのです。これはイスラエル側の努力によるのではなく、一方的な神様の憐れみによるものでした。

 しかしイスラエルは、自分の美しさが自分の力だと錯覚するようになりました。そして、神様に従うよりも、自分が神様のようになることを望みました。そのため、神様を捨てて、自分の美しさを称えるこの世へ出て行きました。その結果、イスラエルは持っている美しさを全て失い、この世に認められるために、この世の奴隷となったのです。

 イスラエルはなぜ神様を離れ、この世の奴隷となってしまったのでしょうか?私たちは同じ失敗を繰り返さないためには何をすれば良いのでしょうか?

 

2。花嫁の美しさの源は花婿 

 まず、私たちの美しさの源は神様の恵みであることを覚えましょう。

“キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。”

‭‭エペソ人への手紙‬ ‭5‬:‭26‬-‭27‬ 口語訳‬

聖書は、キリストが私たちを清め、美しくしてくれたと教えています。私たち自身の才能や努力ではありません。自分の成功や美しさを、「自分のおかげ」「当然」と思う時、感謝が消え、心が神様から離れていきます。

 イスラエルが神様から離れたのは、神様が冷たくしたからではありません。イスラエルが与えられた美しさに自惚れ、この世に惑わされた結果です。この世でイスラエルは美しさを失いました。しかし、神様に立ち返るどころか、この世の神々と関係を持ち続け、自分の美しかった時代を回復しようとしました。自分の力で美しさを取り戻せると錯覚していたのです。

 このイスラエルの姿は、親のおかげでいい学校に入ったのにも関わらず、学校ではいい顔をしながら、家では親には厳しく当たる子供に似ています。自分の美しさがどこから来たのかわかっていないのです。私たちが今生きているのは、自分の才能や努力のお陰ではなく、100%神様の恵みであることを忘れないで下さい。

3。花嫁の平安の源は花婿

 次に、私たちの平安の源は神様に従う所にあることを覚えましょう。

“わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭27‬ 口語訳‬

聖書は、キリストに従うことで平安が与えられることを教えています。一方で、この世は、自分の思い通りになれば平安になれると教えます。そのため、人は何でも思い通りにしようと、神様のように人々を従わせようとします。しかし、ここに落とし穴が2つあります。一つ目は、人の器は有限だということです。全てを思い通りにすることは人間の器を超えたことであり、無理に求めると必ず壊れていきます。二つ目は、人の欲望は無限だということです。仮に思い通りなったとしても決して満足することはなく、次の刺激を求め続けます。その先には平安ではなく虚しさが残ります。

 イスラエルは神様に従うことで美しくなり、周りの国々が賞賛し、従うようになりました。しかしそれは、イスラエルの美しさと持っているもののせいです。実際、イスラエルが美しさを失うと、周りの国々は敵対し始めました。イスラエルは自分を守るため、エジプトやアッシリア、バビロンなどの大国に従うふりをしたり、周辺諸国と同盟を結んで利用しようとしましたが、結局は支配され、裏切られ、全てを失う結果になりました。

 罪で壊れたこの世界で私たちが平安になるためには、自分が神になることではなく、神に従うことであることを忘れないでください。

4。花嫁を真に認めるのは花婿だけ

 そして、花嫁を真に認めるのは花婿だけであることを覚えましょう。

“しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。”

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭5‬:‭8‬ 口語訳‬

聖書は、私たちが何も持っておらず、血まみれで汚れていた時から、キリストが私たちを見て、認めていたことを教えています。一方で、この世は私たち自身ではなく、私たちの持っている物や環境を見て称賛します。そして、私たちの神のようになりたい心や、認められたい心を利用します。そこに愛はありません。だから私たちが持っている「モノ」を失えば、簡単に賞賛が非難に変わります。

 イスラエルは神様に認められようとするのではなく、偽の神々や周囲の国々に認められるために、自分の財産や力を使って偶像を建て、祭壇を築きました。しかし、神様のように自分たちを認めて大切にしてくれる者は誰もいませんでした。

 このイスラエルの姿は、認められるためにナイトクラブで高いお酒を開ける太客のようです。その瞬間は認められて気持ち良いかもしれませんが、残るのは満足感ではなく虚しさです。その瞬間が過ぎてしまえば何も残りません。私たちを本当に認めてくれるのは、この世にはなく、神様だけと言うことを忘れないでください。

5。あなたの承認欲求はどこに向かっている?

 子供は皆、親に認められたいという強い承認欲求を持っています。本来、大人になるにつれて、認められる立場から認める立場に変わっていき、外から認められることよりも内面的な満足に重心が移るようになります。ところが、子供の頃に親に関心を持ってもらえず甘えられなかったりすると、大人になってからもこの承認欲求はなくならず、むしろ強くなる傾向にあります。

 そしてSNSは、簡単に承認欲求を満たすための、現代人に必要不可欠な場所になっています。「いいね」やコメントはすぐに反応が返ってくるため、どんな人でも一時的に「自分の存在が認められた」という満足感を得ることができます。しかし、その満足感は長続きしないため、次第に注目を集めるために過激なことをするようになったりします。そして積み上げた物が崩れるのは一瞬です。どれだけ努力して注意していても、誹謗中傷を受けるようになります。なぜなら評価はおおよそその人の持っているものや環境など外面的なものであり、内面の人格的な部分は誰も気にしないからです。なぜ能力やお金、知名度などを持っているインフルエンサーが、自ら命を絶ってしまうのでしょうか?

 本来、承認欲求は神によってのみ満たされるものだからです。人から認められることでは、承認欲求は決して終わりを迎えることはできません。私たちは、神様によって満たされるべき承認欲求を偶像に求めて失敗したイスラエルを見て、同じ間違いをしないようにしましょう。花嫁が花婿だけで満足する時に、平安な家庭を持つことができるように、私たちもキリストだけで満足する時に、この苦しい世の中でも平安な心を得ることができるのです。

5。まとめ 

 キリストの花嫁として私たちが覚えておくべきことはこれです。まず、私たち花嫁の美しさの源は花婿にあるということです。花婿が美しいと言っているから、花嫁は美しいのです。次に、花嫁の平安の源は花婿について行くことにあると言うことです。花婿を支配することでもなければ、他の男性について行くことでもありません。だから花嫁は、花嫁を愛する花婿に認めらることだけで満足しましょう。いくら他の男性が認めても、花嫁を愛しているわけではありません。花嫁の持っている物を見ているだけです。花嫁を美しくし、平安を与えるのは花婿だけなのです。 

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