20260118日曜韓国語礼拝
聖書:エゼキエル2:7
題目:エゼキエルの召命
賛美:320、323
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
“彼らが聞いても、拒んでも、あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない。彼らは反逆の家だから。”
エゼキエル書 2:7 口語訳
1。エゼキエル
① 生まれ
❶祭司ブジの子(エゼキエル1:3)
❷祭司家系に生まれた正統な宗教エリート。
❸本来なら30歳で祭司として神殿奉仕を始めるはずだった。
②しかしその30歳の年、彼は エルサレムではなく、バビロン捕囚の地 にいた(1:1)。
❶エゼキエルの人生計画は、神殿崩壊とともに断ち切られた。
❷王でもなく、指導者でもなく、捕囚民の一人として。
❸ 神殿も、祭司職も、祖国も失った場所で召命を受ける。
③30歳で預言者として神の召命を受けた。
❶「神殿で仕える祭司」になるはずだった年に、「捕囚の地で語る預言者」にされた。
❷祭司になれなかった祭司。
❸神は栄光を見せて、神の臨在を言葉で表す預言者にした。
2。本文解説(2:1−7)
①「人の子よ」と繰り返す神様(2:3,6,8)
❶ 圧倒的な神の栄光との対比のため
⑴ あなたは神でも、救い主でも、結果を支配するものでもない。
⑵ あなたは、ただの人間だ。
⑶旧約聖書において「人の子」は、神に比べて弱く有限な存在としての人間を指す表現
❷ 反論を許さない呼びかけ
⑴ モーセは何度も抵抗し、イザヤは恐れと汚れを告白し、エレミヤは若さを訴えた。
⑵ しかし、エゼキエルは一切反論できなかった。許される状況ではなかった。
⑶ すでに裁きが始まっており、躊躇や対話の余地がない
❸ 同時に、これは神の深い配慮でもある
⑴ 弱い「人の子」を通して語られることを強調
⑵ 使命の重さを、人の能力や成功で背負わせないため
⑶ 神は、人の限界と恐れをよく知っておられる方
② イスラエルの民を「反逆の民」と呼ぶ神様(2:3–5)
❶ イスラエルは「バビロンより重い責任」を負った民
⑴ イスラエルは契約を結んでいながら従わなかった
⑵ 神を知らなかったのではない。律法を持ち、救済史を知っていた。
⑶ それでも神の言葉より自分の判断を優先した。反逆=知っていながら従わないこと
❷ すでに「裁きの段階」に入っている
⑴ イザヤの時代は警告による方向転換が可能。国家も神殿も健在。
⑵ エレミヤの時代は最後通告に近いが、まだ悔い改めの猶予がある。バビロン台頭。
⑶ エゼキエルの時代はすでに裁きの只中。国家も神殿も失われ、捕囚の地にいる。
❸ 罪の蓄積が臨界点に達している
⑴ 長年の偶像礼拝、預言者殺害、偽りの平安宣言
⑵ 「裁きを回避するための預言」は、もはや時期遅れ
⑶ 起こってしまった裁きを、神の言葉として理解させる預言が必要
③「彼らの中に預言者がいたことを知れ」と言う神様(2:5)
❶ なぜ「神を知れ」ではないのか
⑴ すでに神を知っていながら従わなかったため。「神を知れ」が、現実に合わない。
⑵ モーセ時代の荒野の民は神を十分に知らない反逆の民。神を知る訓練の期間。
⑶ エゼキエル時代の捕囚民は神を知っている反逆の民。問題は無知ではなく、拒否。
❷ 神が「言った・言わなかった」にならないため
⑴ 「神は語らなかった」「知らなかった」と言わせない→ 裁きの基準を明確にするため
⑵ 結果が見込めなくても、神は語る預言者を立てた
⑶ 預言者の存在そのものが、神の言葉が確かに与えられた証拠
❸ それでも、なお神の憐れみがある
⑴ カナンの民のように即座に滅ぼすこともできた
⑵ それでも神は、人を遣わし、声をかけ続けた
⑶ 完全な断絶の直前で、なお関係を断ち切らない神
④「聞いても、聞かなくても、語れ」(2:7)
❶ 語る使命は、相手の反応に左右されない
⑴ 聞くかどうかは、民の責任
⑵ 語るかどうかは、預言者の責任
⑶ 結果や成功は、使命の条件ではない
❷ 無責任に突き放しているのではなく、それほど切羽詰まっている
⑴ すでに裁きが始まっており、時間が残されていない
⑵ 沈黙すれば、「神が語られなかった」ことになってしまう
⑶ 語ること自体が、最後の憐れみとなる
❸ 神の性質がここに現れている
⑴ 神は、結果が見えなくても語る方
⑵ 神は、人が拒んでも沈黙しない方
⑶ 語り尽くした後にのみ、裁きが完成する
3.適用
① 結果に関係なく語り続けることは、私たちの使命でもある。
❶ 私たちは「結果を出す者」ではなく、「証言する者」である
⑴ 神は私たちに、人の心を変える力を委ねてはいない
⑵ 委ねられているのは、「神が語られた」という事実を残すこと
⑶ 結果を背負うとき、使命は重荷になるが、証言に立つとき、使命は解放となる
❷ イエスもまた、「語った事実」を残す使命を与えられた
⑴ イエスは弟子たちに、「必ず受け入れられる」とは約束されなかった
⑵ 「聞いてくれない町があれば、足のちりを払い落としなさい」と言われた
(ルカ10:10–11)
⑶ それは失敗の宣告ではなく、神の前に語ったという証言を残す行為であった
❸ 語られた場所には、「預言者がいた」ことが確定する
⑴ 伝えても変わらない、語っても反応がないと感じるときがある
⑵ しかし、神の言葉が語られたなら、その場に「預言者がいた」のである
⑶ 神は結果ではなく、忠実に立ち続けたかどうかを見ておられる
4.まとめ
①神は、弱い「人の子」を用いて語られる
❶叛逆とは、知らなかったことではなく、知っていながら従わなかったことである
❷エゼキエル2:5は「証言の確立」、2:7は「使命の確定」である
❸問われているのは成果ではなく、忠実さである


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