20260222日曜韓国語礼拝
聖書:エゼキエル6:3-7
題目:高き所が崩れる時
賛美:252、257
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
“言え。イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。主なる神は山と丘と、谷と川に向かって、こう言われる、見よ、わたしはつるぎをあなたがたに送り、あなたがたの高き所を滅ぼす。 あなたがたの祭壇は荒され、あなたがたの香の祭壇はこわされる。わたしはあなたがたの偶像の前に、あなたがたの殺された者を投げ出す。 わたしはイスラエルの民の死体を彼らの偶像の前に置き、骨をあなたがたの祭壇のまわりに散らす。 すべてあなたがたの住む所で町々は滅ぼされ、高き所は荒される。こうしてあなたがたの祭壇はこわし荒され、あなたがたの偶像は砕かれて滅び、あなたがたの香の祭壇は倒され、あなたがたのわざは消し去られる。 また殺された者はあなたがたのうちに倒れる。これによって、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。”
エゼキエル書 6:3-7 口語訳
1.イントロ ― 「高き所」とは何か
① 聖書に出てくる「高き所」
聖書に出てくる「高き所」とは何でしょうか。それは山や丘の上を指します。天に近く、見晴らしがよく、安心感を与える場所でした。しかしそこは、もともとカナン人が偶像礼拝をしていた場所でもありました。韓国語の聖書では、산당(山堂)という言葉が使われており、山の礼拝所や祭壇を表しています。
本来イスラエルが礼拝すべき場所は、契約の箱のある幕屋でした。申命記12章2節で、神ははっきりと「高き所を取り除け」と命じておられます。
しかし士師の時代になると、幕屋は堕落し、契約の箱もペリシテ人に奪われてしまいました。サムエルは霊的改革のために山で礼拝を導きましたが、やがてそれは偶像礼拝と混じり合っていきます。ソロモンの神殿が完成した後でさえ、「高き所」は偶像の中心地として残り続けました。
② 「高き所」の本質
「高き所」は単なる地理的な問題ではありません。それは、神よりも頼れるもの、神よりも安心できるもの、神よりも形成力を持つものを表しています。つまり、主権が置かれる場所です。私たちが頼るために最初に尋ね、安心するために頻繁に向き合い、欲望を肯定して自分を形成してくれるもの、それが「高き所」です。
③ 現代の「高き所」― スマホ
現代でいえば、それはスマートフォンかもしれません。スマホは単なる機械です。しかし構造的に見ると、実に宗教的です。困ったら祈る前に検索します。聖書より先にSNSを開きます。「最初に向かう場所」になっていないでしょうか。昔、人は山に登りました。今、人は一日に何十回もスマホを見ます。簡単に答えが得られるから。安心を感じるから。SNSは自分を差し出す分だけ、欲望を肯定し、承認を与えてくれます。主権がスマホに置かれている状態になってはいないでしょうか。
④ 神は魅力的ではないように見える
山もスマホも目に見えます。しかし神は見えません。スマホは画面が光り、音が鳴り、すぐに反応します。しかし神は見えず、すぐには答えられないように思えます。目に見えるものは依存を生み出します。「高き所」は魅力的で依存性が高いのです。実に頼り甲斐があり、安心でき、欲望に忠実な自分を形成してくれます。しかし、そこに愛も正義も救いもありません。
だから神は言われます。
「その高き所を滅ぼす」と。
2.本文解説(エゼキエル6:3–7)
① 6:3 「イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。」
本来なら「イスラエルよ、聞け」と言うはずです。しかし神は山に語りかけられます。それは、民の心がすでに山にあったからです。エゼキエルはようやく語ることを許されましたが、民に語ることは許されませんでした。だから神は、罪の根源である「高き所」そのものに宣告されます。ただし、問題は山そのものではありません。神よりも頼れるものになったことが問題なのです。
② 6:3 「つるぎを送り、高き所を滅ぼす」
歴代の王たちは多くの場合、「ただし高き所は取り除かなかった」と評価されました。ヨシヤ王を除いて、多くの王は妥協しました。なぜなら高き所を取り除けば民衆の支持を失い、政治的に不安定になるからです。山は見え、安定し、象徴的存在でした。便利で、伝統的で、完全に悪にも見えませんでした。だから壊すことが難しかったのです。
歴代の王ができなかったことを、神ご自身がなさると宣言されます。歴史的にはバビロンによる破壊です。しかし神学的には、神が偶像の構造そのものを破壊するという意味です。
③ 6:4 祭壇と香の祭壇の破壊
祭壇は礼拝の中心、香の祭壇は祈りの象徴です。本来は神のためのものでした。しかし偶像化したとき、神は容赦なく破壊されます。それはイスラエルが再び戻らないための徹底的な処置でした。
④ 6:5 偶像の前に倒れる
偶像の前に死体が置かれます。守るはずのものが守ら図、安心を与えるはずのものが救わないのです。それが偶像です。「高き所」は救えない、偶像は救えないことを表しています。
⑤ 6:7 「あなたがたはわたしが主であることを知る」
裁きの目的は破壊ではありません。認識です。神は高き所を奪うことで、主権を回復されます。その破壊には怒りだけでなく、民への愛が含まれています。
3.適用
① 私たちの「高き所」を知りましょう。
“あなたの宝のある所には、心もあるからである。”
マタイによる福音書 6:21 口語訳
迷ったとき、最初に頼るのは何でしょうか。お金でしょうか。検索でしょうか。友人でしょうか。経験でしょうか。不安なとき、何を頻繁に見ますか。ニュース、口座残高、ドラマ、ゲーム、YouTubeでしょうか。影響を受け、満たされているのは、自分を形成しているのは何でしょうか。SNSの評価でしょうか。仕事の評価でしょうか。家族の期待でしょうか。それら自体が悪ではありません。順序の問題でもありません。問題は、心がどこにあるかであり、どこに主権を置いているかです。
② 神はそれを壊すことがある
“あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。”
ヘブル人への手紙 12:26-27 口語訳
ヘブル書の著者は、震われるものが取り除かれると語ります。それは、揺れないものが残るためです。安定しているとき、私たちは偶像に気づきません。しかし揺さぶられるとき、本当の拠り所が明らかになります。造られたものは揺れます。創造主は揺れません。もし私たちが自ら手放さないなら、神が揺さぶりによって取り除かれることがあります。それは罰ではなく、主を知るための愛の介入です。高き所が崩れる時、それは人生の終わりではなく、主を知ることのできる救いの始まりなのです。
③ 主だけに主権を置きましょう。
“わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。”
詩篇 121:1-2 口語訳
山を見上げることはできます。科学技術も娯楽も、国家も伝統も、健康も仕事も大切にしてよいのです。しかし、救いは主からのみ来ることを忘れてはなりません。山は被造物です。主は創造主です。被造物はなくなりますが、主は永遠です。この世のものはいくら素晴らしくても、愛も義も救いもありません。私たちの主権は、愛と義であり、私たちを救う神様にだけ置いて下さい。
4.まとめ
私たちにはそれぞれの「高き所」があります。それは安心を与えますが、救うことはできません。神は私たちを滅ぼすためではなく、ご自身を知らせるために震わせられます。揺れるものが取り除かれるとき、揺れない主が残ります。山ではなく、被造物ではなく、創造主を見上げましょう。
高き所が崩れる時こそ、私たちは知ります。「主こそ神である。」


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