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私たちの羊飼い(ヨハネ10:11)
고요한 2026-03-07 추천 0 댓글 0 조회 54

20260308日曜日本語礼拝

聖書:ヨハネ10:11

題目:私たちの羊飼い

賛美:37、399、406

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

“わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭10‬:‭11‬ 口語訳‬

1。羊と羊飼い

 羊というと、ふわふわしていて可愛く、おとなしく、素直なイメージを持つかもしれません。しかし現実の羊は、そのような理想的な存在ではありません。羊の特徴は次の通りです。

 まず、臆病で弱い存在です。危険を感じるとすぐパニックになって逃げてしまいます。1人で倒れたら、起き上がれず、そのまま死ぬ場合もあります。また、敵が出たら逃げることすら諦め、集まってじっとして動きません。

 次に、頭が悪いです。歩き慣れた道でもすぐに迷います。危険があっても自分で判断せず、目の前の羊についていきます。また、草を食べながら少しずつ移動するため、崖から落ちる事故も起こります。

 そして、性格も悪いです。頭の角で家を壊したり、弱い仲間には攻撃しますが、敵には立ち向かいません。襲われても、仲間が犠牲になるのを待ちます。そのくせ、仲間がいないとストレスを感じて、ひとりでは生きていけません。

 このように羊は、自力で生きて聴くことが難しい動物です。そんな羊を守るために、羊飼いが存在します。羊飼いの仕事は、毎日羊を牧草地に導き、獣から守り、一匹一匹の状態を確認しながら世話をすることです。そんな羊飼いを見て、羊は安心します。

 みなさん、このような羊の姿を知ってがっかりしましたか?しかし、聖書では、私たち人間がこの羊のような存在であると教えています。私たち人間は、弱いとわかっていながら、それを認めず、強いふりをします。また、孤独を嫌がる割には、集まるとよく争います。そして同じ失敗をしてよく落ち込みます。人間も羊と同じように世話のかかる生き物なのです。しかし、羊には羊を世話する羊飼いがいるように、私たちも人間を世話する神様がいることを聖書は教えています。

2。本文解説:ヨハネ10:11

①「わたしは」

 「わたしは」という言葉は、ギリシャ語の本文で見ると強調形であり、「他の誰でもなく、わたしこそが」という意味を持っています。イエスは「わたしと父とは一つである」(10:30)と自分自身を紹介し、救いを与え導くメシアであると宣言しました。

 当時のユダヤ人指導者たちは、人を導くと言いながらも、規則を守らせることに重点を置き、監視をしていました。しかしイエスは、制度ではなく関係の中で人を導かれます。「わたしは」という言葉には、当時の宗教指導者たちとは違うという意味が込められています。

②「良い羊飼い」

 ここで言われる「良い」とは、単に道徳的に良いという意味ではありません。それは本物であり、理想的であり、完全であるという意味です。偽物の羊飼いは、しっかりした世話をしません。羊を守ることより自分の利益を優先するからです。雇われた羊飼いは危険が来ると逃げます。自分の命を優先するからです。しかしイエスは違います。真の羊飼いとして、人々を守り導き、世話をします。

 ちなみに、イエスの時代の羊飼いは身分が低く、嫌われていました。しかし、古代中東では王を「民の羊飼い」と呼ぶことがあるほど、羊飼いの仕事が認められていました。実際、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ王は、自分を「民を牧する者」と呼びました。ギルガメッシュ王は「民の羊飼い」と呼ばれていました。様々な王がこれまで「良い羊飼い」という称号を受けましたが、イエスこそが1番の「良い羊飼い」だということを聖書は教えています。

③「羊のために」

 イエスは自分のためではなく、羊のために働きます。この世の指導者では、自分の名誉や利益を優先し、条件付きで人々のために働きます。しかし真の羊飼いは羊の存在そのものを大切にします。イエスは条件付きの愛ではなく、救いを必要とする全ての人のために来ました。

 ルカによる福音書15章では、イエスは99匹を残してでも、1匹のさまよった羊を探しに行くと言いました。他のユダヤ人指導者たちは、人々を利用して自分を高めようとします。しかし、イエスは羊を利用する指導者ではなく、羊のために来た指導者なのです。

④「命を捨てる」

 普通の羊飼いは、狼が来ると逃げます。しかしイエスは逃げません。宗教指導者は「こうしなさい」「ああしなさい」と命じることはできますが、自分の命を差し出すことはできませんでした。

 しかしイエスは、羊が死ぬべきところを代わりに背負い、命を捨てました。これが救いの核心です。本物の愛とは、言葉だけではなく、命を差し出す愛です。今日読んだヨハネによる福音書10:11は、イエスキリストだけが命をかけて助けてくれる主人であることを教えています。

3.適用

イエスキリストだけが命をかけて私たちを助けてくれる主人であることを覚えましょう。

①この世のものは主人になり得ない。

 地位、富、名声、あるいは自分自身を主人として生きる人々がいます。しかし、それらは一時的に安心を与えることはあっても、永遠の平安を保証することはできません。地位は失われることがあります。お金は減ることがあります。人は裏切ることがあります。自分自身さえも、自分を救うことはできません。この世のものは全て不安定であり、完全に頼るには危険です。裏切られます。これらの主人は、私たちが強い時は分かりませんが、弱い時は守ってくれません。逆に離れていきます。一方で、助けられる存在ではなく、人々を助ける存在になりたいと考える人々がいます。その考えは素晴らしいです。しかし、人はいつまで強い存在ではいられません。必ず衰えることを忘れては行けません。私たちが強くても弱くても変わらず、永遠の平安を保証するイエスキリストだけが、私たちの主人になり得るただ1人のお方なのです。

②イエスキリストを主人とするためには?

 まず、自分が救いようのない羊であることを認めましょう。そしてイエスだけが唯一の羊飼いであることを信じ、その声に聞き従いましょう。神様の声を聞くとは、特別な能力ではありません。聖書の言葉と聖霊の導きに心を開くことです。何か特別な能力や資格が必要なのではありません。強くなくていいのです。むしろ、弱い人ほど、キリストの力が現れやすいです。それは神様が、いつもご自身の栄光のために働かれるお方だからです。聖書も「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と教えています(2コリント12:9)。強い人ほど自分の手柄だと主張するため、逆に神様の栄光がわかりにくくなってしまいます。自分はできる、という高慢な心を降ろして、素直に御言葉に従って行動することが大事です。イエスを信じ、その声に従おうとする人は、すでに良い羊飼いの導きの中に置かれているのです。

③人生が変えられるでしょう。

 まず、守られる人生になります(28節)。イエスに従う人は永遠の守りの中に置かれます。そして、孤独ではなくなります(16節)。神様は一人一人を覚えておられます。最後に、永遠の命を得ます(10節)。肉体の命だけでなく、霊的な命、永遠の命が与えられます。それは、他人の目には信じる人も信じない人も差がないように見えるかも知れません。しかし、自分自身を顧みると、確かに与えられた平安を実感することができます。

 野生化した羊は、群から離れたため、オオカミなどに狙われやすくなります。また、飢餓や脱水、感染症のリスクが高くなります。視力が弱くなり、方向感覚も弱くなります。単独のため、パニックになりやすく、逃走能力も低くなります。しかし、羊飼いの元にいる羊は、捕食される確率が低くなり、病気や怪我が早く発見されます。そして、食料と水が安定的に供給されます。

 私たちも同じです。確かにイエスを信じたからといって、苦難がなくなるわけではありません。能力が高くなるわけでもありません。持っているものが増えるとは限りません。しかし、1人ではないのです。神様の守りがあり、導きがあります。そして命を得ることができるのです。同じ場所にいても、羊飼いのいる羊に平安があるように、私たちもたとえ環境が変わらなくても、イエスによって平安を得ることができるのです。

④変化する者が生き残る。

 進化論で有名なチャールズダーウィンはの言葉として有名なものがあります。「最も強い者が生き残るのではない。最も賢い者が生き残るのでもない。変化に適応できる者が生き残るのである。」自然界が弱肉強食だけではないということを教えています。しかし聖書は、さらに深いことを教えています。人は強くても賢くても、自分の力だけでは生きることができません。私たちは羊のように弱く、導く羊飼いが必要な存在なのです。その羊飼いがイエスキリストなのです。ダーウィンの言葉を借りれば、イエスキリストを主人として生きる変化をした者だけが、強くなれなくても、賢くなれなくても、永遠に生きる存在になれるのです。

4.まとめ 

 イエスキリストは、私たちを命がけで助けてくださる真の羊飼いです。私たちは弱く迷いやすい羊のような存在ですが、イエスがは毎日私たちを導き、守り、平安を与えてくださいます。地位やお金、人に頼るのではなく、まずイエスキリストを主人として生きることを覚えましょう。イエスの声に耳を傾け、従う時、孤独ではなく、永遠の命と平安の中を歩むことができます。今日も私たちの羊飼いであるイエスキリストを信じて従っていきましょう。 

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