20200219早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:マルコ8:14–21
題目:イエスと弟子の視点の違い
賛美:390
説教:高曜翰 伝道師
弟子たちは、パンを持ってくることを忘れてしまい、手元にはパンが一つしかありませんでした。その状況の中で、イエス様は弟子たちに言われました。
「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」
これは、パリサイ人やヘロデのようなわずかな不信仰でも心に入り込むと、パン種が膨らむように信仰全体が腐ってしまうという警告でした。弟子たちの弱い信仰が失われることをイエス様は心配していたのです。
しかし弟子たちは、この言葉の霊的意味を理解できず、
「パンがない!どうしよう。イエス様が困っておられるではないか」
と、目の前の物質的問題だけを騒ぎ立てました。
するとイエス様はこう言われます。
■ イエス様と弟子たちの視点の違い
● イエス様:霊的問題を指摘
● 弟子たち:肉体的(目に見える)問題だけを見る
イエス様は言われました。
-
「なぜわからないのですか」
― つまり、状況の意味を認知していない。 -
「悟らないのですか」
― つまり、霊的な意味を理解していない。 -
「あなたがたの心は固く閉じているのですか」
― 霊的に受け取る姿勢ができていない。
さらにイエス様は続けます。
「目があっても見えないのですか。耳があっても聞こえないのですか。」
これは、
肉体的に聞こえることと、霊的に聞くことは別だ
ということです。
弟子たちはパンを見ながら、つい先日の奇跡を思い出すべきでした。
「パン5つで5000人」「パン7つで4000人」を養った神の力を覚えていれば、パン1つで心配する必要はありません。
イエス様は言われました。
「覚えていないのですか」
霊的な目と耳は、
“思い出すこと”によって養われる
のです。過去の神の恵みを思い返し、今の問題に当てはめて考えるとき、霊的理解は深まります。
■ 思い出しながら、現在の問題に適応する
イエス様は弟子たちに尋ねられました。
-
「5000人の時は、残ったかごはいくつだったか?」
-
「4000人の時は、いくつだったか?」
弟子たちは答えました。
-
「12です…」
-
「7つです…」
しかし弟子たちは、思い出してはいるのに霊的に適応できていませんでした。
■ 私たちも同じではないでしょうか?
私たちはすぐにこう言います。
「お金がない!」
そして心の中でこう思うのです。
「お金がないから、神様も困っている。信仰生活にもお金が必要なのに。」
しかし神様は言われます。
-
**「お金を持つのはよいが、お金に気をつけなさい。神と富の両方には仕えることができない。」
-
「心配するな。神の国を求めれば、それに加えて与えられる。」**
お金は、知らず知らずのうちに人生を支配し、私たちの注意を神様から奪います。
さらに神様はこう問いかけます。
「あの苦しいとき、どうやって解決したか覚えているか?」
私たちは答えます。
「ダメだと思ったけど…なぜか無事に解決しました。」
しかしそこで終わってしまい、「だから今も心配しなくてよい」という適応ができません。
■ 信仰とは何か?
ヘブル11:1にはこうあります。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認すること」
信仰とは、
神の言葉に反応すること
です。
しかし多くの人は、
神の言葉ではなく、人の言葉や世の声に反応してしまいます。
● 例:成績の足りない学生
目に見える問題に振り回され、神の言葉への信頼が揺らぐ。
● 例:離婚裁判中の女性
状況に圧倒され、本当の問題である“霊的な根源”に目を向けられない。
● 例:課題が起きた時の対処、結婚問題
目の前の問題だけに囚われ、神の導きを思い出せなくなる。
このように、
多くの肉体的・現実的な問題の根源は霊的問題にある
と聖書は教えています。
■ 結論
私たちは、
世の中の物質的な不安や見える現実に心を奪われるのではなく、
神様がこれまでになさってくださった恵みを思い出し、
神の言葉を基準にして生きていかなければなりません。
イエス様が弟子たちに教えられたように、
“思い出し、適応し、信頼する”
その信仰の姿勢を持ち続けて歩んでいきましょう。


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