20210109早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:マタイ15:1-20
題目:手洗いの意味
説教:高曜翰 伝道師
1. 手洗いについて
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現代の人々
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食中毒にならないように手を洗う。
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形だけの掃除、形だけの衛生管理になりがち。
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当時の長老たちの言い伝え
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日々の生活で罪で汚れていることを自覚するための習慣。
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聖書の拡大解釈
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出エジプト記30:18−21:幕屋に入るとき、罪のために死なないように手を清める。
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レビ記15:11:病気の人は水で手を洗い、伝染病をうつさない。
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新約時代のパリサイ人
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自分は潔白だと見せるパフォーマンスになっていた。
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本来の目的を見失い、「自分が清い存在であること」を主張していた。
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2. 父と母について
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財産を父母ではなく神に捧げる行為
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自分の財産を守る言い訳として神様を利用してしまう。
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パリサイ人の問題
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律法は守っているが、神様を愛する心がなくなっていた。
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一部の現代クリスチャンの誤解
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「神様を愛しているから律法を守らなくてもいい」と考える。
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正しいクリスチャン
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「神様を愛しているからこそ律法を守る」(ヨハネ14:15)。
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3. 現代人とパリサイ人の共通の誤り
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現代人:食中毒予防のはずの衛生管理が、批判を避けるためのパフォーマンスになっている。
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パリサイ人:律法は自分の罪を自覚するためのものだったが、儀式化して自覚できなくなった。
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言い伝えに縛られ、本質を見失っている。
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「口先では敬うが、心は遠く離れている」(マタイ15:8)
4. 教訓
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礼拝、賛美、祈り、洗礼式、聖餐式を行うとき、常に自分の心がどうかを確認する必要がある。
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形だけの手洗いに意味がないように、形だけの礼拝にも意味はない。
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日々の信仰生活において、自分の心が本当に神に向かっているか、見直してみよう。


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