20210508早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:出エジプト40:34–38
題目:神中心の信仰生活へ
賛美:269
説教:高曜翰 伝道師
34節
雲が天幕を覆い、主の栄光がその中に満ちました。
これまでイスラエルの民を導いてきた「雲の柱」が形を変え、天から地上に下ってきたのです。
シナイ山を覆っていた雲が、そのまま天幕に下りてきたとも言えます。
そして聖書は、イエス様が再び来られるときも「雲に乗って」来られると語ります。
35節
モーセは天幕に入ることができませんでした。
幕屋建設の責任者であるモーセでさえ入れなかったのです。
また、ソロモン王が神殿を建てた時も同じことが起こりました。
霊的に優れたモーセでも入れず、
肉体的・政治的に優れたソロモンでさえ入れませんでした。
つまり、人がどれほど優れていても、神に近づくことはできない。
神は人間とは比べものにならないお方であることを、私たちは覚えなければなりません。
聖書に繰り返し出てくる言葉、
「主がモーセに命じられたとおりである」(As the LORD commanded Moses)
これが示しているのは、私たちが神中心の世界に生きるべきだということです。
人間中心の世界と神中心の世界
この世は、人間中心で動いています。
無神論、ヒンズー教、仏教……多くの考え方が、神様を二の次にする世界観で生きています。
しかしそのような世界では、死の問題は解決できず、最後になって慌てるしかありません。
私たちは、価値の低い人間中心の世界に浸るのではなく、
人とは比べものにならない神様中心の世界に入らなければならないのです。
36–38節
雲が昇れば民は進み、雲が昇らなければ留まりました。
これは「人生が神様に支配されている」という意味ではありません。
むしろ、進むべき時と留まるべき時を、神が教えてくださるということです。
夜には雲が火の柱となって留まりました。
これは「神様が監視している」という意味ではなく、
私たちの人生にいつも共にいて守ってくださるということです。
だからこそ、私たちは考え方を変えなければなりません。
自分中心の信仰生活から、神中心の信仰生活へ
かつての私は、自分中心でした。
-
自分は偉い
-
あいつはダメ
-
なんで私ばかり
-
こんなに頑張っているのに
そんな思いがいっぱいでした。
しかし今は、まだ人格的に課題は多いものの、
自分のためにお金を使うより、青年会の食事に使う方が嬉しくなりました。
水曜日のゴミ捨て、
金曜日のライド、
土曜日の早天祈祷会、
日曜日の朝の準備……
他人のために、神様のためにできることが喜びになりました。
結論
モーセが建てた幕屋が特別だったのは、
モーセがすごいからではなく、そこに神がおられたからです。
ソロモンの神殿も同じです。
そして、イエス様が建てた教会もまた、神が共におられるから特別なのです。
その神様が、今、私たちの内に住んでおられます。
だから、
自分の力で人生を生きようとしないこと。
自分の無力さを認めること。
そして何より、
雲――神の導きを見上げること。
聖霊によってイエス・キリストの人生を生きるとき、
それこそが、私たちにとって最高の喜びとなりますように。
祈り
雲を見るたびごとに神の栄光を思い出し、
また、神が私たちの内に住んでおられることを心に刻む者とならせてください。


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