20210515早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:レビ5:14–19
題目:罪の赦しと損害の補償
賛美:222
説教:高曜翰 伝道師
1.罪のための生け贄と罪過のための生け贄
レビ記4章1節〜5章13節は「罪のための生け贄(Sin Offerings)」、
レビ記5章14節〜6章7節は「罪過(허물、trespass、transgression)のための生け贄(Guilt Offerings)」について語っています。
ここでいう「罪過のための生け贄」とは、賠償を伴う罪を指します。
神に赦され、罪悪感から解放されることと、
その罪によって生じた損害が実際に回復されることは別の問題です。
ただ謝れば済むということではありません。
例:損害賠償についての幼い頃の考え
子どもの頃、
「謝ったら弁償しなくてもいい」と思っていた時期がありました。
しかしこれは、聖書が教えるクリスチャンの考え方ではありません。
5:14–19 聖なるものへの損害
幕屋の中にあるもの、主にささげるべきものに対して損害を与えた場合がここに含まれます。
6:1–7 人への損害
こちらは、人と人の間に生じた損害についての規定です。
復習
●罪のための生け贄
羊、やぎ、ハト、または小麦粉によってささげます。
どれほど貧しくても、必ずささげなければなりません。
他の生け贄は自発的でしたが、この生け贄は必須です。
罪によって神との清い交わりが断たれてしまうからです。
●罪過のための生け贄
銀数シェケルに相当する雄羊をささげ、
さらに損失額に加えて5分の1(20%)を上乗せして返すことが求められます。
聖書は、赦し(용서)と償い(보상)は区別しなければならないと教えます。
どちらも必要なのです。
※例:牛や羊を盗んだ場合は、4倍にして償う(出エジプト記22章)
●具体例
・十分の一献金をし忘れた場合
「知らなかった」「忘れていた」という理由で、償いが免除されるわけではありません。
・知らずに人にぶつかって怪我をさせた場合
わざとでなくても、責任は発生します。
自分が罪人であることを認める姿勢が大切です。
律法が示している事実を、否定したり隠そうとしてはいけません。
・教科書を借りた2人の態度
1人は何の謝罪もなし。
もう1人は新しい本を買って返してくれた。
同じ行為でも、償いの姿勢には大きな違いがあります。
結論
罪の赦しと損害の補償は別のものです。
わざとでなくても、罪は生まれ、償いが必要です。
赦されたからといって、
たとえば殺人や性行為の結果として生じた現実的な代償が自動的に消えるわけではありません。
しかし、その償いの道を歩む者を、神は助けてくださいます。
・例:できちゃった結婚(デキ婚)した人が
「これはずっと神の罰だ」と言ったことがありました。
しかし聖書は、償いの人生を歩む者に神の助けがあると語っています。
・パウロの人生
パウロも、自分の過去の罪の結果が消えたわけではありません。
しかし、赦され、償いの人生を神が豊かに導かれました。


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