20210516日曜礼拝 in Jesus Love Church
聖書:レビ8:5–13
題目:祭司としての私たち
説教:高曜翰 伝道師
1.なぜ学ぶ必要があるのか?
私たちは一人一人が「祭司」だからです(1ペテロ2:9)。
大祭司はイエス・キリストであり(ヘブル6:20)、牧師だけでなく、すべてのクリスチャンが祭司として召されています。
しかし現実には、奉仕をしない信徒、教会に行かない信徒、さまざまな人がいます。
けれども、祭司としての人生そのものを拒むクリスチャンは、信仰の姿勢に問題があります。
イエス様が死なれたとき、神殿の垂れ幕は裂かれました。
これは「祭司を通さなくても、神の前に直接立ち、祈ることができる」という恵みのしるしです。
だからこそ、クリスチャンには祭司としての責任感が求められます。
2.祭司としての責任
●特権
私たちは、大祭司イエス・キリストを通して神の前に近づくことができます。
「イエス・キリストの御名によって祈ります」ということは、
神の祭司の民として神に近づくという特権です。
●責務
一方で、祭司には責務があります。
それは、自分の生き方を通して神に喜ばれる霊のいけにえをささげることです。
つまり、自分自身を神にささげる生活です。
しかし、中には「天国には行きたいが、神様の働きはしたくない」という人もいます。
まるで、お金を払わずに店のサービスを受けようとするようなものです。
祭司として必要なのは、自分の救いだけに関心を向けるのではなく、他の人を神に導く責任感です。
パリサイ人はメシアを否定しただけでなく、異邦人を軽蔑していました。
彼らは自分だけの救いに心を奪われ、神の心を理解していませんでした。
結果として、祭司としての役割を放棄することになりました。
神に用いられないクリスチャンなどいません。
しかし、祭司としての役割を果たさない人が、神の国に入ることは難しいと聖書は警告します。
地上で神の言葉に従わない人が、神の家で喜んで過ごせるでしょうか?
今日は、「いけにえを捧げる前に行われた祭司の任命式と浄化式」について学びます。
3.祭司の任命式
祭司は、神と人との間に立つ代表者です。
最初の大祭司はアロン、四人の息子は祭司でした。
以後、祭司はアロンの家系、レビ族から出ます。
アロンは「民の代表」、モーセは「神の代表」。
祭司は幕屋の入り口で、公に人々の前で任命を受けました。
私たちも同じです。
隠れて神に仕えることはできません。
まるで、「名前も顔も出さない無責任な会社」のようではいけません。
神は、他の人を救いへと導く働きを私たちに望んでおられます。
4.浄めの儀式
祭司は自分自身を神に用いられるように聖別する必要があります。
モーセの兄だから、クリスチャンだからといって、そのまま用いられるわけではありません。
ちょうど、外で遊んできた子どもが家に入る前に体を洗う必要があるように、
祭司もまず整えられなければなりません。
5.水で体を洗う(悔い改め)
神に呼ばれて最初に行う儀式は「水で洗う」ことでした。
これは自分の罪を認め、神に清めてもらう悔い改めを表します。
これを避けて次に進むことはできません。
悔い改めの話を嫌う信徒がいますが、
祭司の歩みはまず「洗われる」ことから始まります。
6.服を着る(キリストを着る)
服は肌を隠すためだけでなく、祭司が神の前に立つために必要な装備です。
●エポデ
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白…復活のイエス
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青…イエスの誕生
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紫…王としてのキリスト
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緋色…キリストの血
私たちは イエス・キリストを身にまとう者 です。
●12の宝石
イスラエル12部族を象徴します。
祭司は「民を胸に抱いて」神の前に立つ者です。
●帯(ベルト)
服が乱れないようにし、神の仕事に集中するためのもの。
●ウリムとトンミム
部族の中で不正を調べるための道具。
祭司の服は、自分を飾るためではなく、キリストを表すためのものです。
7.油での清め(聖霊による聖別)
モーセは幕屋と全ての器具、祭壇、洗盤などに油を注ぎ、
さらにアロンの頭にも油を注ぎました。
これは、
聖霊によって聖別されること
を象徴します。
水で洗われるのは「悔い改め(バプテスマ)」、
油で清められるのは「聖霊のバプテスマ」です。
私たちはこの世のものではなく、神のものとなりました。
だからこそ、その自覚を持って生きる必要があります。
8.私たちがすべきこと
私たちが最も深刻に向き合うべき問題は「死」です。
誰も死を避けることはできません。
死んでイエス様に会うとき、私たちは自分の行いに従って裁かれます
(マタイ16:24–27、ローマ2:5–6、2コリント5:10、黙示録2:23–26)。
行いによって救われるわけではありませんが、
救われた者には必ず行いが伴います。
韓国サッカー代表選手を見れば分かります。
代表に選ばれただけで満足せず、彼らはさらに努力し、韓国の名を背負ってプレーします。
そして次世代を育てます。
同じように、
すべてのクリスチャンは神の国の代表です。
自分の民を背負い、神の栄光を現す責任があります。
9.まとめ
無条件に神に仕えることができるわけではなく、
無条件に神の国に入れるわけでもありません。
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まず、神に浄められ、聖別される必要があります。
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そして、自分だけよければいいという生き方を捨てること。
人々を神の前に連れていく責任があります。 -
最後に、自分ではなくキリストを表す生き方をすること。
祭司としての責任感を持って歩んでいきましょう。


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