過去説教

  • 説教材料설교자료 >
  • 過去説教
信仰に基づく決定(ローマ14:22–23)
고요한 2025-11-25 추천 0 댓글 0 조회 2

20210627早天祈祷会 in Jesus Love Church


聖書:ローマ14:22–23

題目:信仰に基づく決定

説教:高曜翰 伝道師


「あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。

自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人はさいわいである。
しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから罪に定められる。
すべて信仰によらないことは罪である。」


導入

同じ教理を受け入れたクリスチャンであっても、実生活においては意見の違いが出てくることがあります。
聖書がすべての状況を詳細に説明しているわけではありません。
また、個人の背景や文化の違いによって判断も変わってきます。
例として、刺青、タバコ、酒、テレビゲームなどが挙げられます。


1.パウロの時代に起こった問題

当時の教会には、野菜だけを食べる人と、肉も食べる人がいました。

  • 伝統的ユダヤ人は、肉は偶像の神殿に捧げられて流通するため汚れていると考えました。

  • 異邦人信者は、肉はあくまで肉であり、偶像は偽物だから感謝して食べるべきだと考えました。

どちらの人も偶像礼拝には反対していましたが、意見が分かれました。
偶像崇拝の文化の中で生きることは、現代でも難しいことです。

例としては、

  • 学校で神社や仏閣に行く

  • 寺でお菓子をもらう

  • 国旗の前でお辞儀する

  • お墓の前で黙祷する

どのように振る舞うべきか迷うことは多くあります。
また、仏教式の葬式への参加でも意見が分かれます。

  • 参加自体を拒否する

  • 焼香を拒否する

  • すべて肯定する

焼香は、死者を天国へ導くため、また自分の汚れを清めるための行為です。


2.パウロの判断

パウロはこう言いました。

「信仰の弱い人を受け入れ、つまづきになるものを置かないようにしなさい。」

イエス・キリストが弱い私たちを受け入れたように、私たちも弱い人を受け入れなければなりません
食べる人と食べない人は互いに判断してはいけません。
しかし、信仰が強い人は弱い人に合わせるべきです。

そのため、パウロは食べない人のために肉を食べませんでした。
例として、

  • ダニエルは肉を汚れのために食べませんでした

  • ペテロは夢の中で肉を食べることを承諾しました

どの決定も、信仰に基づいたものでした

現代の例では、あるウェストミンスター神学生が、刺青や飲酒を自慢げに主張しました。
飲まないことも素晴らしいですが、飲んでも構いません。
ただし、信仰の弱い人をつまづかせる態度は罪です。

化粧品、装飾品、高級車なども問題ではありませんが、配慮が必要です。
信仰が強い人は、弱い人のために譲歩し、裁いてはいけません。


3.判断すべき時とすべきでない時

パウロは、互いに裁くべきではないと述べています(ローマ14:13)。
しかし、裁くべき時もあります(1コリント5:12)。

  • 神の主権を置かない間違った教えは判断する必要があります。
    例)カトリックやリベラル派が、世界平和を優先する発言

    • 神の言葉より人間中心の価値観を優先しており、神の祝福と栄光はありません。

  • 不信者との結婚

    • 「不信者と同じくびきをしてはいけない」(2コリント6:14)

    • 価値観・目標・優先順位・霊が異なるため、神は望まれません。

    • 神の祝福は、神の権威に従わない人にはありません。

このように、判断は必要ですが、教会内での一致も大切です(エペソ4:3-4)。
団結して牧師の決定についていき、力を合わせて神の働きを行うことが重要です。


4.学生への教え

厳しく育てられた子供は、自分で決断し責任を持ちます。
甘やかされて育った子供は、自分で決断できず無責任になりがちです。

信仰に生きることも同様に、訓練が必要です。
信仰に基づいて決定しても批判されたり失敗したりすることがありますが、神は必ず覚えていてくださいます。

信仰に基づいた決断の練習を通して、神の祝福と力をより経験することができます。


結論

  1. まず神を愛し、次に隣人を愛してください。

  2. 決定は必ず信仰に基づくものであること

    • 神との関係なしにした決定は罪を生みます。

    • 神の主権に基づくものであれば、その決定を受け入れるべきです。

  3. 信仰に基づく行動だけが、良い結果をもたらします。

    • 最優先事項は常に神です。

私たちは毎週日曜日、ホームレスミニストリーを1年間続けてきました
十分な資金や環境があったわけではありません。困難や悪い評判にも直面しましたが、やめませんでした。
それは、神が心と必要なものを与えてくださると信じたからです。

この働きを通して、互いに協力し、助け合うことを学びました。
教会の内外から多くの寄付もあり、神が私たちの働きを喜んでいることが目に見えてわかりました。

もしこの働きが名声のためだったなら、神によって失敗していたでしょう。
しかし神は成長させてくださいました。
私たちは、神の働きの生きた証人となったのです。

これからも、私たちのすべての決定が神の主権の下でなされることを願います。 

자유게시판 목록
구분 제목 작성자 등록일 추천 조회
이전글 欲を優先した結果(民数記17:8−11) 고요한 2025.11.25 0 1
다음글 霊的な礼拝とは?(ローマ12:1-2) 고요한 2025.11.25 0 3

大阪中央教会 ⧧537-0023 大阪市東成区玉津3-1-33 (06) 6973-5540, 6929-1569 www.chuo.co.kr sirokita@gmail.com

Copyright © 오사카중앙교회. All Rights reserved. MADE BY ONMAM.COM

  • Today55
  • Total90,792
  • rss