20210725 日曜午後礼拝 in 大阪中央教会
聖書:ローマ書12:1−2
題目:神の国の民としての生き方
説教:高曜翰 伝道師
①午後説教
②ローマ書1-11章は教理について、12−16章は実践について説明しています。特に12:1−2は、それまでの教理を受け入れたクリスチャンとして最初にしなければいけないことを説明している重要な箇所です。今日は神様の喜ばれる霊的な礼拝とは何かを覚えて帰って下さい。
③人々は何を求めて生きていますか?たくさんお金を稼げる職業に就くこと、立派な家に住むこと、良い結婚相手に巡り会うことのために一生懸命がんばります。それが人生の目標であり、幸せです。最近だとコロナウイルスのために健康に気を遣う人がたくさん増えました。健康に長生きすることを目標とすべきでしょうか?しかし、人間がこれらよりも一番に解決すべき重大な問題があります。それは何でしょうか?
④それは、死の問題です。これは自分が死んだ後の残された人たちにとっての問題ではなく、死ぬ人自身の問題のことを言います。なぜなら、全ての人は死ぬことが決まっていて、いつ死ぬかは誰にも分からないからです。そして死んだ後には必ず裁きを受けます。地獄に落ちれば永遠に出てくることはできません。だから私たちはまず、生きている間に、天国に行くために、命の書に名前が書かれる必要があります。私たちが一番に解決しなければいけない問題は、死の問題です。
⑤それでは、どうすれば天国や神の国に入ることができるのでしょうか?教会でたくさん献金する人、一生懸命礼拝し祈る人、良い行いをたくさんし伝道する人、教会でたくさん奉仕する人でしょうか?
⑥それは聖霊が住む人です。私たちは行いによって救われるのではなく、信仰によって救われます。神様を自分の人生の主人として認め、悔い改め、イエスキリストを信じる人には、聖霊が与えられます。聖霊は天国に行く人が持つ目には見えない証明書です。
⑦イエスキリストを受け入れ、生まれ変わった人には聖霊が住んでいます。私たちはかつて自分のために生きて、自分を表すことをしてきました。しかし、イエスキリストを信じ、洗礼を受けることで、かつての古い自分は死に、キリストと共によみがえりました。キリストのために生き、キリストを表すために、新しく生まれ変わったのです。クリスチャンとはキリストを知識的に頭で信じる者ではなく、キリストのために生き、キリストを表す人々を言います。聖霊はキリストを信じた時から、私たちの中に住み始めます。
⑧それでは聖霊が住む人とはどんな人でしょうか?聖霊は姿がないため、目で見ることができません。イエスキリストを信じると口では言っても、どうやって自分の信仰を確認することができるのでしょうか?たくさん献金し、良い行いをし、たくさん祈り、たくさん奉仕することで分かるでしょうか?
⑨聖霊が住む人は、自分ではなく神様のために生きる人です。それはつまり、パウロの言う様に、自分の体を神に喜ばれる、生きた、聖なる、供え物として捧げる人です。それが霊的な礼拝をする人です。自分を喜ばせるためではなく、死んだものではなく、汚れた者ではありません。自分を、神様を喜ばせるために、生きていて、聖なる者として捧げる人が聖霊の住む人です。では、自分の体を生きた供え物として捧げるとは具体的にどう意味でしょうか?
⑩簡単でわかりやすい様に結婚を用いて説明します。結婚とは、夫婦関係を通して神様との正しい関係を知るために、神様が、アダムとエバの時代に作った制度です。人間が作ったものではありません。旧約聖書では、神様はイスラエルを妻と表現し、新約聖書ではクリスチャンを花嫁と表現しています。自分を捧げるとは、自分を結婚相手に捧げることと同じ事を意味します。
⑪ここで2種類の妻を紹介します。Aはとても優秀な妻です。美しく、料理も仕事もできて、家では夫に尽くします。しかし、年に一度だけ、結婚指輪を外して、他の男性とデートします。一方Bは問題だらけの妻です。美しくなく、料理も、仕事も家事もあまりできない怠け者の妻です。しかし彼女は1年間365日ずっと夫だけを愛し、夫のことだけを考えます。あなたはどちらの妻が良い妻だと思いますか?わたしはBの妻を選びますが、神様もBを選びます。
⑫つまり、霊的な礼拝とは、自分の人生全てで神様への愛を示すことです。もし、毎週日曜日に礼拝に参加して、一生懸命祈り、奉仕し、献金しても、教会の外で、神様と関係のない生活をしているのなら、それは霊的な礼拝ではなくなります。その人の礼拝は神様に喜ばれず、死んだ、汚れた礼拝となります。聖霊の住んでいる人にとっては、毎日が礼拝であり奉仕です。いつでも神様のために、自分の感情を抑え、自分の欲望の選択を押さえることのできる人が聖霊の住んでいる人です。つまり、自分の意思、感情、思いを全て神に委ね、喜んで神の戒めを守ろうとする人です。
⑬それでは、不信者との結婚はいかがでしょうか?聖書では「不信者と釣り合わないくびきを共にするな」と言っています。最近では、この聖句を結婚に当てはめるべきではないと主張するクリスチャンもいますが、それは間違いです。旧約の時代から一貫して、神様は神の民を徹底して聖別する命令をしてきました。私たちは自分自身を清く保つために、悪影響を与える人とは距離を置かなければなりません。不信者は、世界観、人生のゴール、優先順位、善悪の判断基準が違うため、必ず信者とぶつかります。私たちはどの様な判断をすべきでしょうか。
⑭私たちは神様に喜ばれる決定をするべきです。なぜなら聖霊が住む人は一番に神様を愛しているため、神様に喜ばれることを優先させる人です。神様に喜ばれることは神の掟を守る人であり、神様のために自分を清く保つ人です。もちろん、伝道のために、不信者の友人や恋人を作るのは良いことですが、福音を拒む人と結婚することは、神様ではなく自分の欲望を優先させる人の行いです。神様の思いを無視し、自分の思いを優先させる人に、神の民になり祝福を受ける資格はありません。
⑮それでは、神様に喜ばれる決定をするためにはどうすれば良いでしょうか?ついつい私たちは、神様に喜ばれる選択ではなく、反対の自分が喜ぶのを選択してしまいます。どうすればこの考え方を変えることができるでしょうか?
⑯私たちは内面から変わらなければなりません。パウロが強調するのは、外側を変えるのではなく、内側から変えていくことです。この世と「妥協してはならない」とありますが、これはギリシャ語聖書では「変える」と意味の「ススケマティゾー」、英語では「コンフォーム」という言葉を使います。これは外側の形に自分を合わせるという意味です。しかし、心を「新たにする」という部分では、ギリシャ語聖書では別の「変える」という意味の「メタモルフォー」、英語では「トランスフォーム」という言葉を使います。これは、外側からではなく、内側から形を変える事を意味します。つまり周りに合わせて自分を変えるのではなく、内面から変えていかなければならないと言うことです。そうしなければ、私たちは無理をして、ストレスが溜まり、つぶれてしまいます。内面から自分を、神様の喜びが自分の喜びとなる様に変えていく必要があります。
⑰そのためには、まず、古い考え方を捨て、新しい考えを受け入れましょう。いつまでも過去の価値観、判断基準、栄光、自慢、心の傷を大事に抱えていては、神様の考えが入る余裕がありません。古いデータに新しいデータを上書きして下さい。そのために聖書勉強は、神様の考えを知るためにとても大事なのです。自分の考えではなく、神様の考えを受け入れ優先させる訓練が必要です。
⑱でなければ、私たちは神様に失望するしかありません。世界で最もかわいそうなひとは神の意志を求めないクリスチャンです。私たちの古い考えは神の国にはふさわしくなく、私たちの古い欲望は、神の民が持つべきものではありません。私たちが神様との関係を修復し、神の民となり、神の祝福を受けたいのならば、神様の新しい価値観、判断基準、目標を持つしかないのです。だから神様は私たちの古い価値観、間違った判断基準を壊すために、試練を与えます。この痛みの意味に気づき、生まれ変わらなければ、私たちが神様から祝福をもらうことを諦めるまで、苦しみ続けるでしょう。
⑲私たちはかつて悪魔の奴隷でした。自分に主権をおいて、自分の思いのまま生きてきました。サタンの支配下にあり、地獄以外に道がありませんでした。。しかし、私たちはサタンから離れる方法を見つけました。それがイエスキリストです。私たちは聖霊によってイエスキリストの道を歩みます。自分の肉の思いに従って生きるのではなく、聖霊によって、キリストの思いが自分の思いとなり、キリストの人生を送ります。そのように生きる人が、神の民として天国と神の国に入る資格があるのです。神様は私たちを愛しているため、神の民として訓練します。神の民とは自分の人生の主権を神様に返した人です。そのために私たちの間違った価値観を壊そうと働きかけています。それを受け入れてください。古い自分のではなく、神様の新しい思いを立てて下さい。聖霊に満たされた新しい人生を送ることを望みます。
⑳まとめです。まず死の問題を解決して下さい。私たちは必ず死にます。それが明日ではない保証はどこにもありません。そして神の国に入るのは聖霊が住む人だけです。そして、聖霊が住むのはキリストの人生を選択した人です。キリストを信じると言いながら、神様を優先しない人には聖霊は住んでいません。そして、キリストの人生を生きる人が、神様の喜ぶ霊的な礼拝を捧げることができます。それでは説教を終える前に一緒に讃美を歌いましょう。


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