20210731土曜祈祷会 in 大阪中央教会
聖書:出エジプト記24:9–11
題目:和解の食事
讃美:210番
説教:高曜翰 伝道師
出エジプト記24章には、非常に衝撃的なことが二つ記されています。
1.「神を見た」という事実
イスラエルの民が神と契約を結んだ後、
モーセ、アロン、ナダブ、アビフ、そして70人の長老、計74人が“神を見た” と書かれています。
しかし、これは神の本質そのものを直接見たという意味ではありません。
人は神を直接見て生きることはできないからです(出エジプト記33:20)。
彼らが見たのは、神がおられる場所の“様子” でした。
神の足元には、サファイアを敷いたようなものが広がり、
透き通った青空のようだったと記されています。
この描写は、他の聖書箇所とも共通しています。
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黙示録4:6:水晶のようなガラスの海
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エゼキエル1:26:サファイアのような王座
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エゼキエル1:22:水晶のような大空
つまり彼らは、神の国の一部が地上に現れたような光景 を見たのです。
2.そして「神と食事をした」
もう一つの驚くべき点は、
彼らが 神の前で食事をした ということです。
これは“和解の生け贄”(雄牛)の肉を主にあって共に食べる、契約の食事でした。
古代の契約では、契約を結んだ後に食事を共にすることが「セット」になっていました。
彼らが食事をしても死ななかったのは、
血の契約の下にあり、神が彼らに手を下さなかったから です。
本文には、神が食べたり語ったりしたとは記されていませんが、
食事は関係を新しくする行為 であり、神が人との交わりの時間を与えられたということがわかります。
聖書にも契約と食事がセットになった例がいくつもあります。
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ヤコブとラバン:石塚を築いた後、共に食事する(創世記31章)
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結婚式の食事
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礼拝後の黙食ではない共食
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聖餐式
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イェスサラン教会での食事交わり
復活のイエスはペテロとも食事を共にしました。
イエスがよく食卓にいたのは「大食漢だから」ではなく(ルカ7:34)、
和解と交わりを示すため でした。
イザヤ53:2が示すように、イエスの姿は人々を魅了する外見ではなく、
むしろへりくだったお姿でした。
個人的な適用
会社員時代、契約を取った後に食事をしなかったことを残念に思います。
また、契約のために顧客と食事に行く上司が好きではありませんでした。
かつて私は食事を「お腹を満たす行為」としか考えていませんでしたが、
今では、礼拝後に信徒同士が共に食事をすることが、どれほど大切な意味を持つのか
理解できるようになりました。
パウロも、コリント教会で自分たちだけ先に食べてしまう人々を叱りました(1コリント11章)。
私たちも、交わりを深めるために食事を大切にしましょう。
そして、私たち自身も
“神を見て、神と食事をする”ことができる契約関係の中に置かれている
という恵みを覚えましょう。


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