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キリストの僕としての生き方(2テサロニケ3:10-12)
고요한 2025-11-29 추천 0 댓글 0 조회 3

20210919日曜礼拝 in Jesus Love Church

聖書:2Thessalonians 3:10−12
題目:キリストの僕としての生き方
内容:辛い環境においても諦めてはいけない。私たちには使命がある。
賛美:完全なる私の主

説教:高曜翰 伝道師


1。テサロニケとは?

テサロニケは、ローマ帝国マケドニア州の首都で、人口は約20 万人。陸路・海路の交通の要所でした。
都市名の「テサロニケ」は、アレクサンダー大王の後継者の王の妃の名前です。
また、テサロニケという人魚が嵐を起こして船を沈めるという伝説もあります。

この都市はアテネと同じ「自由都市」の扱いを受けており、自分たちの貨幣を製造でき、ローマ兵が駐留していませんでした。
現在もギリシャでアテネに次ぐ第2の都市です。

ユダヤ人商人が多く集まり、ユダヤ会堂が大きな力を持っていました。
(ホロコーストが起こるまではユダヤ人が多かった。)
→そのため、イエスやパウロの教えに反対する勢力が強かったのです。


2。テサロニケ教会とは?

パウロの滞在はわずか3週間でしたが、多くのクリスチャンが生まれました。
ユダヤ人による迫害は大きかったものの、教会の成長は止まりませんでした。

パウロはこの教会を誇りにしていました。
彼はコリントから手紙を書きましたが、その中で、テサロニケ教会に「コリント教会のために祈ってほしい」と頼んでいます。

コリント教会は性的な堕落や妬み・争いが絶えず、
「救われたはずなのに、未信者のように生きていた」
—これは頭では理解していたが、心で悟っていなかったからです。

つまり、テサロニケの信徒たちは、他の都市と同じように誘惑や迫害が強かったにもかかわらず、著しく成長していたのです。

自分の人生を「親のせい」や「時代のせい」にしてしまう人がいますが、そうではありません。
→成長は環境が良かったからではありません。


3。テサロニケ教会の問題点

強い迫害のため、再臨信仰が過熱し、働くことをやめる人が現れました。
「どうせ世界が終わるなら頑張っても意味がない」と考えたのです。

働かずに怠惰な生活をする人や、忙しいふりをしてどうでもいいことをする人もいました。
彼らは真面目に働く人の良心につけ込み、その人たちを困らせたのです。


4。パウロの発言の意味

「働かざる者、食うべからず」(2テサロニケ3:10)
“If anyone is not willing to work, let him not eat.”(ESV)

これは怠惰な人を戒める言葉です。
しかし、この言葉は誤って用いられてきました。

① レーニンが不労所得の資本家を批判するために使用(ソ連憲法18条)
② ナチスが労働できない障害者を殺害する根拠に使用
③ 日本では「専業主婦」や「ニート」への攻撃に使用されることも

2016年、ある青年が精神障害者施設を襲撃し、多くの死傷者を出しました。
このように、聖書の言葉が誤って用いられる危険があります。

パウロの言葉は、病気や障害で働けない人を責めるものではありません。
また、働かなくても生きていけるお金持ちを否定する言葉でもありません。

パウロが強調するのは、
「静かに働き、自分で得たパンを食べること」
(1テサロニケ4:11・2テサロニケ3:11)

当時は職業選択の自由がなく、父の仕事がそのまま自分の仕事であり使命でした。
家族のために働くのが当たり前で、仕事を放棄することは使命の放棄であり、家庭の放棄でした。

つまり重要なのは、仕事の有無ではなく
使命を持って生きているかどうか
です。


5。どのように生きるべきか

私たちは今の仕事を、使命感を持って行っているでしょうか?
その仕事は神様の導きによるものでしょうか?

もしそうであるなら、その仕事には神様からの目的があります。
神様は私たちをただお金を稼ぐために導かれたのではありません。

世の人々は、生活のために働き、良い暮らしのために目の前の問題に執着して生きます。
しかしクリスチャンは、神様から与えられた使命を考えて生きるべきです。

イエス様は天に昇る前、宣教を私たちに委ねられました。
まだ救われていない者の救いのために生きることが使命です。

神様の働きはエルサレムやテサロニケだけにあるのではなく、
私たちの職場・家庭・人間関係にあります。

自分の仕事に価値を見いだせない人もいるかもしれません。
しかし神様は目的を持って私たちをその場所に置かれました。

私たちは「地の塩」「世の光」です。
→自分を自分のためだけに使ってはいけません。


6。私たちが生きている理由

イエス様はゲッセマネでこう祈られました。

「私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、
彼らを悪しきものから守ってくださることです。」(ヨハネ17:15)

罪を犯す前に神様のもとに行けたら幸せかもしれません。
しかし神様はそうされません。

→私たちには、この世ですべきことがあるからです。

イエスは、困難がなくなるようにとは祈らず、
「悪い者に負けないように」と祈られました。
→今の環境には意味があり、神様は乗り越える力を与えてくださるのです。


7。結論

私たちの置かれている場所は、神様の導きによるものです。
そこには必ず神様からの使命があります。

辛いからといって、使命を放棄してはいけません。

神の教えに従って生きるなら、神様は「必要な分」と「他者を顧みる種」を与えてくださいます。 

その種を自分で消費したり捨てたりせず、植えることを神様は期待されています。​ 

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