20211027早天祈祷会
聖書:士師5:1-31
題目:デボラとバラクの勝利の歌
賛美:250番
説教:高曜翰 伝道師
場所:Jesus Love Church
1.勝利の歌の概要(5:1)
この歌は、デボラが作り、デボラとバラクが共に歌ったものである。士師記4章の戦いの詳細が、詩として豊かに描かれている。
2.主の道を歩む者の賛美(5:2)
「願いが叶ったから賛美する」のではなく、
主を信じて従って歩むとき、自然に賛美が生まれる。
3.異邦人たちへの証(5:3)
この歌は、イスラエルだけでなく異邦人たちにも向けられている。
神を知らない者たちへの証しとしての賛美となっている。
4.神の臨在—セイルから来られる主(5:4–5)
主がセイル(エドム)から来られたと歌っている。
申命記33:2にも同様の記述があり、神は自然界、天候すら支配されるお方である。
ヨシュアの時代には、雹が天から降り戦いを助けたこともある。
5.イスラエルの苦しみと偶像礼拝(5:6–8)
この時代、イスラエルには武器がなく、人々は怯えて生活していた。農業もできず、敵に支配されていた。
その原因は、イスラエルがカナンの神々を拝んでいたためである。
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シャムガル(3章の士師)
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ヤエル:シセラを討った女性であり、カナン人の支配者の一人に関係していた。
邪悪な霊的存在であるサタンは、ただ支配したいだけでなく、神の民が戦えないように弱体化させようとする。
6.戦いの前の賛美(5:9–11)
戦いが始まる前に、主を賛美するように呼びかけている。
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「黄褐色(英語ではWhite)のロバに乗る者」=裕福な人、村の指導者
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「裁きの座に座る者」=正しい裁きを行う責任がある者
これまでは敵が城門まで来ていたが、
今度はイスラエルが城門に出て戦った。
賛美によって霊的に覚醒し、恐れが消えたためである。
7.協力した部族と不参加の部族(5:12–18)
【参加した部族】
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ゼブルン
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ナフタリ
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エフライム
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ベニヤミン
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マナセ(=マキル)
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イッサカル
デボラとバラクは互いを励まし合いながら、これらの部族が共に戦った。
【参加しなかった部族】
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ルベン(ヨルダン川の向こう側)
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ギルアデ(ガドとマナセ半部族)
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ダン
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アシェル
彼らは「自分には関係ない」という態度を示し、戦いに来なかった。
8.命がけで戦った者と責任を逃れた者(5:18–23)
ゼブルンとナフタリは命を懸けて戦った。
しかし、メロズの住民は戦いのすぐ近くにいたのに、助けようとしなかったため、「呪われよ」と言われている。
遠くて来られなかった者と、近くにいながら助けなかった者では罪の重さが違う。
助けを求める者を無視するのは悪である。
9.ヤエルの行動とシセラの死(5:24–27)
ヤエルはカナン側の夫に従わず、イスラエルを助け、シセラを討ち取った。
彼女の行動は大きな勝利へと導いた。
10.シセラの母の無知と悲しみ(5:28–30)
シセラの母は息子の死を知らずに待ち続けていた。
周囲の女性たちは、「略奪品を分けているのだろう」と勘違いしており、戦いの現実を理解していない。
11.勝利と平和(5:31)
神の敵は滅ぼされ、イスラエルには40年間の平和が訪れた。
☆ 結論
1.礼拝と賛美によって霊的に目覚める
私たちは「何かしてもらったお礼として」礼拝するのではない。
礼拝・賛美そのものが私たちを霊的に覚醒させる。
2.神の働きに参加することで祝福に与る
自分の利益のためではなく、神の働きに参加する者が、
神の祝福を共に味わう。
3.主が働かれるので、弱い者でも大きなことができる
勝利も平安も、私たちの力ではなく主が与えるもの。
弱さの中に神の力が現れる。


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