20221001土曜祈祷会
聖書:創世記32:22-32
題目:ヤコブの恐れを消したもの
賛美:544、545
説教:高曜翰 講道師
場所:大阪中央教会
目的:自分の弱さを認め、主を認めたとき、恐れは消える
1.ヤコブの知恵
エサウと再会する直前のヤコブは、さまざまな知恵を用いて恐れに対処しようとしました。
まず、エサウへの貢ぎ物を用意します。
牛、ロバ、羊、男女の奴隷を備えました(32:5)。しかしエサウは、四百人を引き連れてヤコブを迎えに来ていました。これは明らかに戦闘態勢でした。
次に、リスク回避のための行動を取ります。
民や羊、牛、らくだを二つの隊に分け、「一方が襲われても、もう一方は助かるだろう」と考えました(32:7–8)。
さらにヤコブは、神様に祈ります。
「どうかエサウの手から私を救ってください」と願い、子孫繁栄の約束を思い起こしました(32:11–12)。これは、おそらくヤコブの人生で初めての、自発的な祈りだったと思われます。
加えて、贈り物を細かく選別します。
雌山羊200、雄山羊20、雌羊200、雄羊20などを用意し、山羊、羊、らくだ、牛、ロバの群れに分けて、順番に送るようにしました(32:14–15)。多くの贈り物によって、エサウの怒りをなだめようとしたのです。
このようにヤコブは神様に近づき始めていましたが、まだ完全には神様に委ねきれず、人間の知恵や富にも頼っていました。
2.ヤコブの不安
その夜、ヤコブは一人残されました(32:22–24)。
これは単に状況的に一人になったというだけでなく、ヤコブの心の孤独をも表しています。多くの富と家族を手に入れたにもかかわらず、彼の心は恐れに包まれていました。
すると、一人の人が夜明けまでヤコブと組み打ちをします。
ヤコブの祈りを聞いて、神様の使者が来たのですが、それは救いに来たというより、むしろとどめを刺しに来たかのようでした。
やがて、ヤコブのもものつがいが外されます(32:25)。
股関節が外れ、まともに歩くことができなくなり、エサウから逃げることもできない状態になりました。それでもヤコブは、その人にしがみつき、離れませんでした。
夜明けとともに、使者は去ろうとします(32:26)。
それは、ヤコブが完全に神様にすがる姿を見たからでした。
使者はヤコブに問いかけます。
「あなたの名は何と言いますか。」
これは単に名前を尋ねているのではありません。聖書において名前は、その人の本質を表します。「ヤコブ」という名は、「人を押しのけ、出し抜く者」という意味を持っています。
ヤコブは答えます。
「ヤコブです。」
これは、自分がそのような性質を持つ人間であること、そして今の恐れの原因が自分自身にあることを認めた告白でした。エサウやラバンのせいではなく、すべての結果は自分自身にあると認めたのです。
すると使者は言います。
「あなたの名は、もうヤコブではなく、イスラエルと呼ばれる。」
イスラエルとは「神の支配」という意味です。これは、「姑息な人」から「神の人」へと生まれ変わったことを示しています。そして「日が昇った」という表現は、ヤコブの恐れが消え去ったことを意味しています。
結果として、祈ったことで状況は一時的に悪化したように見えました。しかし、最悪の状態に追い込まれたからこそ、ヤコブは完全に神様にすがるようになったのです。
自分の弱さを認めたとき、人は初めて本当に主に頼ることができます。もし弱さを認めないまま助けられれば、「自分の力で乗り越えた」と勘違いしてしまうでしょう。
3.信じる者は救われるとはどういうことか
イエスは次のように語られました。
「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)
「彼を信じる者は、さばかれない」(ヨハネ3:18)
ここで「信じる」と訳されているギリシャ語「πιστεύω(ピステウオー)」には、「信頼して委ねる」という意味があります。
信仰とは、キリストに全面的に身を任せることです。そしてそれは、自分の弱さを認め、相手の強さを認めたときに初めて可能になります。
たとえば、部下に仕事を任せたと言いながら、出来上がりに文句ばかり言う上司は、本当には任せていません。同じように、神様に任せるとは、結果も含めて委ねることなのです。
4.まとめ
不安や恐れの正体は、他人ではなく自分自身の問題です。
それは富や人間の知恵によって解消されるものではありません。
自分の弱さを認め、主に完全に頼るとき、恐れは消え去ります。


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