20221015土曜祈祷会
聖書:創世記33:1-18
題目:エサウとの和解
賛美歌:353番、356番
説教:高曜翰 講道師
場所:大阪中央教会
内容:一見すると何事もなかったように見えるエサウとの和解は、実は神の力によって成し遂げられたものである。
1.前回までのあらすじ
エサウと対面する前夜、ヤコブは人間の知恵では不安を拭いきれず、神様に祈りました。その結果、彼は股関節を外され、歩くことができなくなります。状況は良くなるどころか、むしろ悪化したように見えました。
しかし、その出来事を通してヤコブは神様にしがみつくようになりました。すべてを神様に委ねたとき、不思議なことに、問題が解決する前に心の平安が与えられたのです。
2.エサウとの再会
ついにエサウと再会します。
ヤコブの強い緊張とは対照的に、エサウは過去のことを気にしている様子もなく、弟との再会を心から喜びました。そしてヤコブと一緒に行動することを望みました。
ここでヤコブは大きな決断をします。
エサウはセイルへ、ヤコブはステコへと、別々の道を歩むことを選んだのです。これはエサウを再びだましたわけではありません。二人の財産が多すぎて、一緒に住むことができなかったからです(創世記36:6–7)。またヤコブは、不信仰者とくびきを共にすることを避けました。
3.ヤコブの失敗と成功
しかし、ヤコブの歩みには失敗もありました。
まず、シェケムの町の手前に住み着いてしまいます。これは、ベテルに帰るという神様との約束を破る行為でした(創世記31:13)。大きな問題が解決して、気が緩んでしまったのです。
次に、シェケムで祭壇を築き、「エル・エロへ・イスラエル(神はイスラエルの神)」と名付けました。これはアブラハムと同じ場所での行動でしたが、その心はアブラハムとは異なり、自分勝手なものでした。
一方で、ヤコブの成功も見逃せません。
彼は自分の名を「ヤコブ(押しのける者)」だと告白し、自分の弱さを認めました。そのとき、神の力を受け、真の平安を得たのです。そして冷静な判断のもと、エサウと別々の道を選びました。
恐れを取り除くことができる人とは、自分の弱さを正直に打ち明け、神の力によって生きる人なのです。
もし、ヤボク川での戦いがなかったなら、ヤコブは恐怖心から誤った態度を取り、エサウを怒らせていたかもしれません。あるいはエサウを恐れるあまり、言われるがままにセイルに住んでいたかもしれません。その場は切り抜けられても、一生エサウに怯えながら生きることになっていたでしょう。
4.私たちの場合
私たちも問題に直面したとき、二つの選択肢があります。
一つは人の力で解決しようとすることです。しかしそれでは根本的な解決にはならず、同じ問題が起これば、また同じように悩むことになります。
もう一つは神の力によって解決することです。こちらは根本的な解決につながり、同じ問題が起こっても、心が揺さぶられません。
イエスは癒しの場面で、「あなたの信仰があなたを治した」と言われました。
百人隊長の僕(マタイ8:5)、長血を患った女(マタイ9:20)、道端の盲人(マタイ9:27)、悪霊につかれた娘を持つカナン人の女(マタイ15:22)。彼らは癒される前から、すでに確信を持っていました。そして癒される前に、イエスから信仰を褒められ、平安を得ていました。ハンナの祈りも同じです。
信仰は、問題だけでなく、私たち自身をも成長させます。
5.大切なこと
私たちの平安は、問題が解決したから与えられるのではありません。
確信に満ちた信仰によって、平安が与えられるのです。
神様なしで問題を解決してしまうのは、あまりにももったいないことです。
ぜひ、神の力によって問題を克服していきましょう。


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