20221123水曜礼拝
聖書:マタイ25:14–30
題目:神様の見るもの
賛美:325、326
説教:高曜翰 講道師
場所:大阪中央教会
主題:結果ではなく心を見る神様
1.タラントのたとえ話
マタイ25章には「タラントのたとえ話」が語られています。
ある主人が旅に出る前、三人の僕にそれぞれ能力に応じてタラントを預けました。一人には五タラント、もう一人には二タラント、そして最後の一人には一タラントです。
五タラントと二タラントを預かった僕たちは商売をして、それぞれ倍に増やしました。しかし一タラントを預かった僕は、それを土に埋めて何もしませんでした。
主人が戻って来ると、五タラントと二タラントの僕は「忠実な僕」としてほめられました。一方、一タラントの僕はそのタラントを取り上げられ、外の暗い所へ追い出されてしまいます。そして一タラントは、すでに十タラントを持っている僕に与えられました。
このたとえ話に登場する人物を整理すると、主人はイエス・キリスト、旅は天国、戻って来ることは再臨を指しています。僕たちはクリスチャンであり、「外の暗い所」は地獄を表しています。
2.よくある間違った解釈と真の意味
このたとえ話は、しばしば次のように解釈されます。
「与えられた能力に応じて勤勉に働かなければならない」「怠惰は罰せられる」「再臨の時まで努力し続けることが大切だ」と。
しかし、イエスが本当に問題にしておられるのは、勤勉さや結果そのものではありません。焦点は、一タラントの僕の態度にあります。
マタイ25章24–25節で、この僕は主人について「あなたは残酷で恐ろしい方だ」と語っています。一タラントは当時でも莫大な金額で、最低でも三千万円相当と考えられます。それほど大きな信頼を受けていながら、この僕は主人を「ケチな方」「恐ろしい方」と誤解していました。
当時「タラント」という言葉は才能の意味ではなく、重さや金額を表す言葉でした。問題は能力の差ではなく、主人に対する価値観の誤りです。
イエスは「銀行に預けておくべきだった」と言われますが、これは「もっと儲けろ」という意味ではありません。
ESVでは “You ought to have invested my money with the bankers.” とありますが、イエスは利益が出なかったことを残念がっているのではありません。
一タラントの僕は「役に立たない僕(Worthless servant)」と呼ばれています。ここで使われているギリシャ語「ἀχρεῖος(アクライアス)」は、単に役に立たないというだけでなく、「良いところがない」「価値を見出せない」という意味を持っています。
つまり、救いにおいて大切なのは行いや結果ではなく、神様をどのようなお方として理解しているかなのです。
3.勤勉は必要だが、結果へのこだわりには注意が必要
聖書は怠惰を良しとはしていません。
箴言18章9節には「その仕事を怠ける者は、滅ぼす者の兄弟である」とあります。
また、エペソ2章10節には、私たちは良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたと書かれています。さらに、マタイ28章19節でイエスは「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と使命を与えておられます。
私たちは救われたからといって、好き勝手に生きてよいわけではありません。良い行いをし、伝道する使命があります。
しかし同時に、結果にこだわりすぎることには注意が必要です。
第一コリント3章6節でパウロは「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださるのは神である」と語っています。結果を出すのは神様です。
私たちに求められているのは、結果を出すために必死になることではなく、神様と共に歩む努力です。
へブル4章11節は「この安息に入るように努力しよう」と語っています。
もし努力によって疲れ切ってしまっているなら、要注意です。イエスは「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」と招いておられます(マタイ11:28)。
喜びをもって仕えることが大切です。結果が出ず苦痛を感じているなら、神様との関係を見直す必要があります。自分の力以上の結果を求めることは、高慢につながることもあります。
神学生時代、私は牧師から「共にいること」「祈ること」の大切さを何度も教えられました。神様のそばを離れないことが何より重要です。
4.まとめ
タラントのたとえ話が教えているのは、救いが努力や結果によるものではなく、神様との正しい関係の中にあるということです。
神様は勤勉を喜ばれます。だから私たちは与えられた使命に励みましょう。しかし、自分の望む結果が出なくても、心を乱さず、神様が備えてくださることを信頼することが大切です。
何よりも、心の平安を失わないように、神様の側を離れないよう努力して歩んでいきましょう。


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