20230109早天祈祷会
聖書:創世記3:11–15
題目:神の基準で考えること
賛美:216番
説教:高曜翰 講道師
場所:중앙성서교회
1.聖書の解説
◆11節
神はアダムに「裸であることを誰が知らせたのか」「食べるなと言っておいた木から食べたのか」と問いかけられます。
しかし神は、アダムとエバが罪を犯したことをすでにご存じです。それでも あえて質問されたのは、悔い改めの機会を与えるため でした。
神は私たちが弱く、罪を犯しやすい存在であることをご存じです。しかし、罪を隠したり嘘をつく時、私たちは神の主権を無視し、冒瀆することになります。
神はすぐに罰するのではなく、まず悔い改めを待っておられる優しいお方 です。
◆12節
アダムは言いました。「あなたが私のそばに置いた女が、木から取ってくれたので…」。
アダムはエバだけでなく、神ご自身にまで責任を転嫁 しました。
しかし本来、エバを正しく導く責任はアダムにありました。エデンの管理者として、また夫として、アダムは蛇を退けるべきでしたが、ただ傍観していたのです。
結婚は神が定めた制度です。エペソ5章が語るように、夫は妻のために命を捧げ、妻は夫に従う。イエスが教会のために命を捨てられた姿がモデルです。
アダムは責任転嫁によって、この使命に失敗しました。
◆13節
次に、神はエバに尋ねられました。エバもまた「蛇が私をだましたのです」と責任を他へと押し付けます。
私たちも同じです。罪を犯しても「環境のせい」「人のせい」と言い訳してしまいます。しかし、たとえ誰かにそそのかされたとしても、行動した責任は私たち自身にあります。
ここで大切なのは、善悪の木がなぜ存在したのかということです。
それは、神がエデンの真の主人であることを示すため でした。
父親が食事を始めるまで子どもが手をつけない習慣が、父の主権を表すように、善悪の木も「主人は神である」という印でした。そしてその木は「食べないこと」に意味がありました。
しかしアダムとエバは神の主権を無視し、罪を犯し、さらに責任を転嫁することで再び神の主権を無視したのです。
◆14–15節
神は蛇に対しては悔い改めを問わず、ただ呪いを宣告します。救いは人間のみに与えられた恵みです。
15節は聖書で初めての救いの約束、いわゆる 原福音 と呼ばれます。
-
「おまえ」=サタン
-
「女」=特定の女性(最終的にはマリヤ)
-
「女の子孫」=イエス・キリスト
-
「おまえの子孫」=反キリスト的勢力
「女の子孫」と単数形で書かれているのは、処女から生まれるイエスを指すためです。人間の男の血筋から生まれれば、罪を受け継ぐからです。
イエスはサタンの策略によって十字架で死んだように見えましたが、最終的には サタンの頭を砕く 勝利を得られました。これは、罪の鎖に縛られた私たちを自由にするという偉大な救いの約束です。
2.現代における「善悪の木」
今日の私たちにとっての「善悪の木」とは何でしょうか。
-
礼拝
-
献金
-
奉仕
-
伝道
私たちがこれらに抵抗を覚えるとすれば、そこには 「主権を神に返すことができていない部分」 があるかもしれません。善悪の木は私たちをつまずかせるためでなく、
「人生の主人は神である」
と確認するために置かれているのです。
アダムとエバのように主権を奪い返そうとするのではなく、罪を告白し、神の主権を認めて歩みましょう。
神は自分でまいた種によって悪魔の鎖に繋がれた私たちを、それでも憐れみ深く救おうとされるお方です。
今日も、私たちの人生の真の主人である神に感謝して歩んでいきましょう。


댓글0개