20230212早天祈祷会
聖書:創世記14:17–24
題目:誰の名前を高めるか?
賛美:252
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
【本文の流れ】
アブラハムの第三の試練は「高慢」でした。
それは「私の実力で勝利した」「私が正しい」という思い上がりの誘惑です。
(第一の試練は飢饉による命の危機、第二の試練は富による争いでした。)
1.ロトの救出
ロトは戦争に巻き込まれ、捕虜となりました。それは、この世の富を選んだ結果でした。しかし、アブラハムはロトの過ちを自業自得と批判せず、命をかけて救出に向かいました。
アブラハムは自分の家で生まれた僕318人だけで、大軍を率いる王たちと戦って勝利し、ロトと奪われた財産を取り返しました。「自分の家で生まれた」というのはアブラハムの財産で育った者たちであり、アブラハムには憐れむ優しい心だけでなく、勝利を収める力もあったことが分かります。
2.二人の王
① サレムの王メルキゼデク
メルキゼデクの情報
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「サレム」は“平和”、“メルク”は“王”、“ゼデク”は“義”を意味する。
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エブス人の王であり、カナン人である。(例:エルサレムの王アドニツェデク:ヨシュア10:1)
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アブラハム一族以外にも、真の神を信じる人がいたことが分かる。
王であり祭司である
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義の王、平和の王。
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しかしイエスの顕現(神が姿をとって現れたもの)ではない。
なぜなら「役職」があるから。
「父もなく、母もなく、系図もない」(ヘブル7:3)について
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実際には両親は存在した。
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ただし系図が残っておらず、つまり「祭司職に系図が不要」であることを示している。
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レビの祭司(アロンの家系)は系図が必要で、家系を証明できなければ祭司になれなかった(エズラ2:61–62)。
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イエスはユダ族で生まれ、本来祭司にはなれないはず。
→だからこそ「メルキゼデクの系統の祭司」と説明される。
ヘブル記の著者が言いたいこと
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「神の子のようであって……」
≠イエスそのもの
=イエスに似た祭司 -
メルキゼデクがアブラハムを祝福したことにより、
彼は自民族だけでなく全ての民族を祝福する祭司として描かれている。
アブラハムが十分の一を捧げた理由
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メルキゼデクの祭司職は、アブラハムの体に含まれているレビの祭司より優れている。
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理由1:レビの祭司はユダヤ人だけを祝福したが、メルキゼデクは民族を問わず祝福した。
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理由2:レビは家系図が必要だが、メルキゼデクは不要。
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メルキゼデクの言葉
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「敵をあなたの手に渡した神があがめられるように」
→「勝利はあなたの力ではなく、神の力です。」
② ソドムの王
ソドム=“焼き尽くされる”という意味
彼はアブラハムにこう言った。
「人は私に返し、財産はあなたが取りなさい。」
これは「あなたの勝利はあなた自身の力で取ったものだ」という誘惑である。
③ アブラハムの選択
アブラハムはこう言った。
「私を富ませたのはソドムの王だ、とあなたが言わないように。」
彼はメルキゼデクに十分の一を捧げ、ソドム王の申し出を断りました。
→ 誰の名前を高めるのか、アブラハムは明確に選んだのです。
3.イエス・キリストの教え
「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」(ルカ18:9–14)
この言葉はしばしば、他人を攻撃するために用いられます。
しかし、神が裁かれるのは事実の正しさではなく、態度です。
例として、4×7=28 が正しいと主張する者と、4×7=27 と主張する者が争い裁判になったとします。
この世では 28 が正しい者が勝つでしょう。
しかし神の国では「正しい者」が裁かれることがあります。
理由は、憐れみや感謝の心を持たず、高慢であるからです。
私たちも本来「間違った存在」であり、裁かれるべき者です。
しかし神様の憐れみによって義とされたのです。
コロナによって私たちの高慢な計画はすべて中止されました。
大切なのは問題の大きさではなく、私たちの態度です。
カインも謙虚に罪を悔い改めていれば、神と共に住むことができたのに。
(例)筆者がアメリカで経験したこと:
「教えようとするな。一緒にいなさい。」
これは高慢ではなく、謙遜の心で仕える姿を示している。
4.まとめ
私たちもアブラハムのように、
隣人を憐れみ、どんな時にも神様に感謝する心を持ち、
「これは神の恵みです」と告白する者になりましょう。


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