20230409青年部礼拝
聖書:列王記上19:11–12
題目:誰のために生きるか?
賛美:모든 이름 위에 뛰어난 이름
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
はじめに(主題)
目に見える輝かしい結果を追い求めて生きる人生の先には、必ず絶望が待ち構えています。なぜなら、そこには愛がないからです。
しかし、もし私たちが神様のために生きるなら、そこに絶望はありません。そこには終わりのない神様の愛があるからです。神様の愛の前では、死ですら絶望に値しません。
大切なのは「何をして生きるか」ではなく、「誰のために生きるか」です。
聖書朗読(列王記上19章11–12節)
主は言われました。
「外に出て、主の前に山の上に立ちなさい。」
そのとき、主が通り過ぎられました。大きく激しい風が山を裂き、岩を砕きました。しかし、その風の中に主はおられませんでした。
風の後に地震がありましたが、その地震の中にも主はおられませんでした。
地震の後に火がありましたが、その火の中にも主はおられませんでした。
火の後に、静かな細い声が聞こえました。
0.復活節について
まず、復活節について考えたいと思います。
この世の人にとって、死はゴールであり、恐ろしい存在です。しかし、クリスチャンにとってのゴールは復活であり、死はただの通過点にすぎません。
では、復活にあずかるためにはどうすればよいのでしょうか。
それは、見本であるキリストに従うことです。キリストがなさったように、神の計画の中を生き、神の栄光を表す人生を送り、必要であれば十字架をも背負うことです。
キリストを信じるとは、単なる知識ではありません。行動を伴わない信仰は、理解しただけであって、信じたとは言えません。口先だけの愛情表現と同じです。
本当に信じる者は、キリストに倣い、神の栄光を表す人生を歩みます。イチローのようになりたい人が、イチローを見て学ぶように、私たちもキリストを見て学ぶのです。
一方、成功した時に神様ではなく自分を誇り、苦しみの中で神様ではなく自分を主張する人には、復活はありません。
私たちは今、他のものではなく、キリストを見て学び、従って生きているでしょうか。
1.エリヤの絶望
エリヤは、イスラエルに雨が降らないようにし、国を混乱させました。
三年半の間、命を狙われながらも神様の厳しい訓練を受け、ついにはカルメル山でバアルの預言者850人に勝利します。エリヤは、この出来事によって、王と民に劇的な霊的変化が起こることを期待しました。
しかし、結果は正反対でした。イゼベルはさらに怒り、状況は悪化し、王も民も何一つ変わりませんでした。
一生懸命伝道し、奉仕し、有名な牧師を招いたのに、人が集まらない──そのような経験と似ています。
エリヤは命を守るため、イスラエル最南端のベエル・シェバまで逃げ、さらに荒野に入り、「もう十分です。私の命を取ってください」と死を願います。
孤独感と絶望感に襲われ、「私は先祖に勝る者ではありません」と語りました。
しかし神様は、まず「起きて食べなさい」と語りかけます。人は空腹になると、悪い考えに引きずられやすいからです。
神様は40日間、食べ物を与えながら、エリヤの歩みを見守られました。神様は私たちの弱さをよく知っておられます。
やがてエリヤはホレブ山の洞窟にこもります。そこで神様は、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」と問いかけられました。
エリヤは、「私は神様のために頑張ってきたのに、今は自分一人が残され、殺されそうです」と訴えます。
すると、激しい風、地震、火が起こりましたが、その中に主はおられませんでした。その後、静かな細い声が聞こえました。
神様の臨在は、華やかな現象ではなく、静けさの中にあったのです。その声を聞いて、エリヤは洞窟から出てきました。
神様はエリヤに、新しい働きを示します。ハザエル、エヒウ、そして後継者エリシャに油を注ぐことです。
神様の計画は失敗したのではなく、まだ途中であることを示されたのです。五回戦の裏で諦める野球選手のようなことを、神様はなさいません。
さらに神様は、エリヤ以外にも7000人が残されていることを伝え、孤独感を癒されました。
エリヤの失敗は、人と自分を見て、神様を見ていなかったことでした。
2.夫婦生活のトラブル
離婚理由としてよく挙げられる「性格の不一致」は、実際には、自分の要求が通らないことへの不満です。
自分の頑張りに見合う成果を相手から得られず、相手そのものではなく、結果だけを見てしまうのです。
聖書は、夫婦が互いに自分の体を相手に委ね、一体となる存在だと教えています。
相手の喜びを自分の喜びとするなら、絶望して別れる必要はありません。
3.イエスと弟子たちの絶望
イエスは弟子たちの弱さに失望することはありましたが、絶望はされませんでした。それは、神の計画と、自分に与えられた使命を知っていたからです。
荒野での試みや、ゲッセマネの祈りの中でも、天使たちが支えていました。
一方、弟子たちは、イエスの十字架の死を見て絶望し、隠れて震えていました。しかし、その死もまた、神の計画の一部でした。
復活のイエスと出会った時、弟子たちの絶望と孤独は消え去りました。
6.一生懸命頑張ったのに、結果が出ない時
結果が出ない時、私たちは絶望すべきでしょうか。いいえ、神様の計画はまだ終わっていません。
エリヤの三年半も、イエスの宣教も、途中段階でした。
また、孤独でもありません。神様は必ず助け手を送ってくださいます。
大切なのは、風や地震や火のような見せかけの結果に惑わされないことです。重要なのは、神様の計画の中を歩んでいるかどうか、そして誰のために生きているかです。
職業に貴賤はありません。どんな仕事であっても、神様の栄光のために働くなら、その仕事は尊いものになります。
7.まとめ
私たちは、神様ご自身を喜んでいるでしょうか。それとも、神様が与えてくださる結果を喜んでいるでしょうか。
神様と関係のないところで自分の喜びのためにしていることがあるなら、手放す必要があります。
神様のために生きるなら、結果が良くても悪くても、絶望も孤独も必要ありません。
私たちは神様の計画の途中におり、その計画は必ず成功します。神様は必ず助け手を与えてくださいます。
大切なのは、目に見える結果ではなく、その結果に対する私たちの態度です。
何をするにしても、神様の栄光のために生きていきましょう。


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