20230412水曜礼拝
聖書:ヨブ40:1–5
題目:苦難の理由
賛美:336、351
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
はじめに
本日の御言葉はヨブ記40章1節から5節です。
今日のテーマは「苦難の理由」です。
私たちは苦難に直面すると、「なぜこんなことが起こるのか」と理由を探そうとします。しかし聖書は、苦難が神の怒りの結果ではなく、神の国の民にふさわしい者へと私たちを訓練するためであることを教えています。
苦難の中で不平不満を言って逃げるのではなく、謙虚に神の主権を認め、苦難を乗り越える時、私たちはより完全な者として、神の国の平安を受けるにふさわしい者へと造り変えられていくのです。
1.復活節について
(1)死について
この世の人々にとって、死は人生のゴールであり、恐ろしい存在です。しかしクリスチャンにとって、ゴールは死ではなく復活です。
死は終わりではなく、ただの通過点に過ぎません。
(2)復活にあずかるためには
復活にあずかるためには、見本であるキリストに従う必要があります。
キリストがそうであったように、神の計画の中を生き、神の栄光を表す人生を送り、さらに十字架をも負う歩みが求められます。
(3)キリストを信じるとは
行動を伴わない信仰は、信じたのではなく、ただ理解しただけに過ぎません。それは、口先だけの愛情表現のようなものです。
本当に信じる者は、キリストに倣い、神の栄光を表す人生を歩みます。
たとえば、イチローのようになりたい人は、イチローをよく見て学び、真似をします。同じように、私たちはキリストを見て学び、従うのです。
その結果、私たちはキリストに似た者へと変えられ、復活にあずかるのです。
(4)復活にあずかれない人とは
成功した時に神ではなく自分を誇る人、苦しみの中で神ではなく自分の正しさを主張する人、キリストを表すつもりのない人には復活はありません。
だからこそ、私たちは問いかけられます。
私たちは今、何を見て学び、誰に従って生きているでしょうか。
2.義人ヨブの災い
(1)ヨブとはどのような人か
ヨブはウツの地、すなわち東の人々の地、エドム地方に住んでいました。彼はイスラエルの民ではありません。
しかし彼は、「全く正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた人」でした。神ご自身が「ヨブのような人は他にいない」と言われるほどの人物です。
また、子どもたちのために燔祭をささげるなど、祭司的な役割も果たしていました。
その結果、神の祝福を受け、息子7人、娘3人、多くの家畜と財産を持つ豊かな人生を歩んでいました。
(2)サタンの提案
ある日、サタンは神と御使いたちの集まりに現れます。御使いたちは神に仕える存在として天にいますが、サタンは地上を徘徊する者です。
サタンは、ヨブの信仰は神の祝福があるからだと主張します。それは、夫が破産した途端に離婚するような愛と同じだと言うのです。
神はその挑戦を許可されましたが、ヨブ自身に触れることは禁じられました。
(3)財産を失ったヨブ
ヨブは深く悲しみましたが、主を呪うことはせず、「主が与え、主が取られた。主の御名はほむべきかな」と神を賛美しました。
彼の信仰は揺らぐことがありませんでした。
(4)再びの試練
サタンは再度現れ、今度はヨブの身体を打てば信仰を捨てると言います。
神は命を奪わないことを条件に、それを許可されました。
(5)健康を奪われても
ヨブは全身に腫物ができ、妻からも呪いの言葉を投げかけられ去られました。しかし彼は神を非難しませんでした。
3.ヨブの友人たち
三人の友人たちは最初、沈黙して共に悲しみました。しかしやがて、それぞれの神学を語り始めます。
エリファズは「これはあなたの罪の結果だ」と言い、ビルダデは「神は正義なのだから、罪を認めよ」と迫ります。
ツォファルは「神の知恵は人間には理解できない。黙って悔い改めよ」と断じます。
ヨブはそれに反論し、自分の正しさを主張するようになり、ついには神に答えを求めるまでになります。
エリフの登場
沈黙していたエリフは、四人全員に怒りを向けます。
神は人間のように簡単に答える方ではなく、沈黙そのものが答えであることもある。義人であっても訓練を受けるのだと語ります。
4.神様の叱責とヨブの学び
神はヨブに直接答えず、多くの質問を投げかけ、神と争おうとする姿勢を戒められました。
友人たちに対しても、彼らは神を弁護しているつもりで、実は自分を表していたと叱られます。
ヨブはこの経験を通して、人間が神のすべてを理解することはできないこと、自分の中にあった傲慢さを知ります。
それでも神は良いお方であり、最終的にヨブを回復させ、以前にも増して祝福されました。
5.私たちへの問い
信仰者が成功者ばかりであれば、人は神を信じるでしょうか。しかしそのような人々は、神ではなく他のものを愛するようになります。
また、神が悪魔の働きを止めないのは悪いからでしょうか。
いいえ、神は悪魔さえ用いて私たちを訓練されます。それは、国家代表の選手が厳しい訓練を受けるのと同じです。
6.イエスの言葉
イエスは言われました。
「この世では悩みがある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
苦難は避けられませんが、それは神の国に入るための訓練です。重要なのは、理由ではなく、神の側に立ってどう生きるかです。
まとめ
私たちの問題は、苦難の理由を知ることではなく、苦難にどう反応するかです。
苦難を通して訓練を受け、謙遜になり、神の民にふさわしい者、祝福を受けるに値する者へと造り変えられていきましょう。


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