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神様がなさいます(出エジプト4:10–17)
고요한 2025-12-28 추천 0 댓글 0 조회 3

 

20230611早天祈祷会

聖書:出エジプト4:10–17
題目:神様がなさいます
賛美:393

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


本文解説

出エジプト記4章10節で、モーセは主にこう言います。
「私は前から、そして今も、話すことが得意な者ではありません。私の口も舌も重いのです。」

ここには、モーセの弱気な姿がはっきりと表れています。しかし、この言葉は事実とは言えません。使徒の働き7章22節によれば、モーセは言葉にも行いにも力のある人物でした。
40年前の彼は、自尊心と自信に満ち、人を殺すほどの勢いを持っていました。しかし、王子の立場から一転して、雇われの羊飼いへと転落します。すべてが崩れ去ったその場所で、神様はモーセに声をかけられました。そのためモーセは、「自分にはもう力がない」と感じていたのです。

11節で主は言われます。
「誰が人の口を造ったのか。誰が話せなくし、聞こえなくし、見えるようにし、また見えなくしたのか。主であるこのわたしではないか。」

ここに神様の第一の励ましがあります。
人は、自分に力があるときに用いられることを期待します。しかし神様は、ご自分の栄光を現すために、弱い私たちを用いられます。
私たちはしばしば自分の弱さを言い訳にしますが、それは間違いです。パウロが語ったように、神様の栄光は弱さを通して現れるのです。

12節で主は続けて言われます。
「今、行きなさい。わたしがあなたの口と共にあって、言うべきことを教えよう。」

ここに第二の励ましがあります。
神様は、常に共にいることを約束してくださいました。そして、何を語るべきかを教えてくださいます。
イエス様も、聖霊が語るべきことを教えてくださると約束されました。
私たちは、自分が持っている力で生きる存在ではありません。神様の力によって生きる存在なのです。

しかし13節で、モーセはこう言います。
「主よ、どうか他のふさわしい人を遣わしてください。」

これはモーセの本音でした。神様がこれほど励ましてくださったにもかかわらず、モーセはその召しを拒みました。
一見すると謙遜に見えますが、実はこれは傲慢です。
自分がふさわしいかどうかを判断する基準は、自分ではなく神様にあるべきだからです。

14節で、主は怒りをもって語られます。
「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。彼が話し上手であることを、わたしは知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出て来ている。あなたを見ると、心から喜ぶだろう。」

神様はすでに話し上手なアロンを用意しておられました。しかし、モーセの態度に対して怒りを示されました。
アロンは、喜んでモーセを助ける人物であり、モーセよりも信仰的で、熱心で、従順であるとも言えます。
神様の怒りは、神様の計画を妨げようとするモーセに向けられていました。
一度神様に目を留められたなら、ヨナのように、誰も逃げることはできません。

15節で主は言われます。
「あなたは彼に語り、彼の口に言うべきことを与えよ。わたしがあなたの口と彼の口と共にあって、なすべきことを教えよう。」

ここに神様の計画の変更が見えます。
最初は「あなたの口と共にある」と言われましたが、次に「アロンの口と共にある」と言い直されました。
神様の働きを断るなら、その働きは他の人に移ります。それは祝福が他の人に移ることと同じです。
これは、教会での奉仕にも当てはまります。

16節では役割が明確にされます。
アロンはモーセの代わりに民に語り、アロンがモーセの口の役割を果たし、モーセは神様の役割を担います。
本来の予定は、神様がモーセの口を通してパロに語ることでした。
しかし新しい予定では、神様の代わりであるモーセが、アロンの口を通してパロに語る形になりました。
これは、心の弱いモーセのために、神様がアロンを与えられた結果でした。

17節で主は最後に言われます。
「あなたはその杖を手に取り、それでしるしを行いなさい。」

なぜ杖なのでしょうか。
この杖は、モーセがずっと持っていた普通の杖であり、そこに力はありません。
その杖でパロと戦うことは不可能でした。モーセは無名の羊飼いであり、パロは最高権力者で軍隊を率いています。
モーセは最も力があった時でさえ、イスラエル人に拒否されました。イスラエル人は奴隷で、武器もなく、しかも頑固でした。

しかし、その杖に神様が力を与え、特別な杖へと変えられました。
見た目は何も変わっていませんが、状況は大きく変わったのです。

ありふれた杖が持つ意味は重要です。
神様は、マンナのような特別なものだけを与える方ではありません。
普段あるものを、特別なものへと変えられることが多いのです。
モーセの杖、福音という言葉、そして十字架。
杖に力があるのではなく、神様が共におられることが、誰の目にも明らかになるのです。


2.問題なのは、いつも心である

神様が人を用いられるとき、まずその人の弱さを通して働かれます。
モーセは失敗を通して、自信や自尊心を失っていました。
同時に神様は、その人の賜物も用いられます。モーセは王宮教育を受け、立ち振る舞いを身につけていました。
しかし最終的に問題となるのは、その心が神様を表しているかどうかです。
モーセは最終的に、神様のために出て行きました。

私たちが知っておくべきことがあります。
必要なのは、上手さや能力、持っているものではありません。
どれほど優れていても、心が伴っていなければ意味がありません。
神様がモーセを通して働かれたのは、彼の能力ではなく、心を見られたからです。

では、私たちはどうすべきでしょうか。
神様から嫌な命令が下ったとき、
「資格がない」「力がない」「口下手だ」と言い訳してはいけません。
そのときに必要なのは、心の整理です。
自分の気持ちを、神様の気持ちに合わせることが大切です。

「私がしなければならない」ではなく、
「主が行われる」と告白することです。

そうしなければ、その命令は祝福と共に他の人へと移ってしまいます。
それは、お客様クリスチャンから真のクリスチャンへと生まれ変わる機会を失うことでもあります。

イエス様も、ゲッセマネの園で祈られました。
ご自身の思いを持ちながらも、神様の御心に従う祈りをされました。
イエス様でさえ、一人では成し遂げられませんでしたが、聖霊の導きによって十字架にかかられたのです。


3.結論

神様から無茶な注文が来たとき、モーセのように謙遜なふりをして言い訳をしてはいけません。
そのときに私たちに必要なのは、神様の思いに合わせるための心の整理です。
私たちがするのではありません。神様がなさるのです。
だからこそ、安心して従いましょう。

 

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