20230821早天祈祷会
聖書:出エジプト33:12-23
題目:共に行くことにした神様
賛美:428番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
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■ 背景
神様は、金の子牛像事件によって激しく怒られました。
イスラエルの民が偶像を造り、それを拝んだことにより、神様は「わたしは一緒に行かない」と宣言されます。しかし、モーセの必死のとりなしと、レビ族の決断によって、滅びは免れました。
それでもなお、神様は「約束の地」へは導くが、「共に行かない」と言われます。祝福そのものは準備されているが、神の臨在は伴わないという状態です。その結果、会見の幕屋を造る必要もなくなります。
そこで、神様とモーセは、会見の幕屋において直接向き合い、深い対話をすることになりました。
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■ 本文解説
【12節】 モーセは主にこう訴えます。 「あなたは私に、この民を導けと言いながら、私と一緒に遣わす者を示してくださいませんでした。しかも以前、私を名指しで選び、私が主の前に恵みを得たと言われました。」
ここでモーセは二つの点を問題にしています。 第一に、最初は「主の使い(=キリスト)」が共に行くと言われたのに、今回は「ひとりの使い」に変わっており、それがどのような存在なのか分からず不安であるという点です。 第二に、神様ご自身が「名指しで選んだ」「心にかなう者だ」と言われたではないか、という点です。
【13節】 モーセは続けて願います。 「もし私がまだあなたの前に恵みを得ているのなら、あなたの道を教えてください。また、この民があなたの民であることを思い起こしてください。」
ここでもモーセの主張は明確です。 第一に、「恵みを得ているなら、あなたの道を示してください」という願い。 第二に、「この民はあなたの民なのだから、最後まで責任を持つべきではないか」という訴えです。
【14節】 それに対して神様は答えられます。 「わたし自身が一緒に行き、あなたに安息を与える。」
直訳すると「わたしの顔が行く」という表現です。これは、神様ご自身の臨在が共にあるという意味です。
これは幕屋の再建が約束されたことを意味し、また、モーセ個人だけでなく、民全体に安息が与えられるという約束でもありました。
【15節】 モーセはさらに強く願います。 「もしあなたが共に行かれないのなら、私たちをここから上らせないでください。」
モーセは、神様が共にいない祝福よりも、荒野であっても主と共にいることを選びました。平安は祝福そのものから来るのではなく、神様の臨在から来ることを、モーセはよく理解していたのです。
【16節】 モーセはこう続けます。 「主が共におられることによって、私たちが他のすべての民と区別されていることが分かるのです。」
イスラエルの民が神の民である理由は、祝福の多さではなく、「主が共におられる」という一点にあります。主がいなければ、祝福だけあってもアイデンティティは失われてしまいます。神の民の本質は、神を主権者とする国であることにあります。
【17節】 主はモーセに言われます。 「あなたはわたしの前に恵みを得ている。あなたの言ったことを、わたしは行おう。」
神様はモーセの願いを受け入れ、共に行き、道を示すことを約束されました。
【18節】 するとモーセは、さらに踏み込んだ願いをします。 「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
これは、一見すると過剰な要求です。怒っておられた神様に対して、ここまで求めるのは大胆すぎるとも言えます。しかしモーセは、神様が憐れみ深く、負けてくださるお方であることを知っていました。
【19節】 神様は答えられます。 「わたしのすべての善いものを、あなたの前を通らせ、主の名をあなたの前で宣べ伝える。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
ここで言われる「すべての善」とは、神様の栄光そのものを指します。モーセの大胆な願いを、神様は憐れみをもって受け止められました。
【20節】 しかし同時に、限界も示されます。 「あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て生きている人はいない。」
顔や手という表現は擬人法であり、「顔」とは神の栄光のすべてを意味します。人間には、その全てを受け止めることができないという限界があるのです。
【21〜23節】 神様はモーセを岩の裂け目に置き、ご自身が通り過ぎる間、手で覆われました。そして、通り過ぎた後に、後ろ姿だけを見せられました。
これは、神の栄光の“すべて”ではなく、“片鱗”を見せていただいた出来事でした。
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■ 適用
1.モーセの三つの祈りの願い
第一に、「一緒に来てください」という祈りです。 →その結果、幕屋が再び造られることになりました。
第二に、「道を示してください」という祈りです。 →神様ご自身が導くことを約束されました。
第三に、「栄光を見せてください」という祈りです。 →モーセは、誰も体験したことのないレベルで神の栄光を体験しました。
2.イエス・キリストの言葉とのつながり
・「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます」(マタイ28:20) →主は今も共におられます。
・「わたしが道であり、真理であり、命なのです」(ヨハネ14:6) →主ご自身が道であり、父のみもとへ導き、真の安息を与えます。
・「この人に神の業が現れるためです」(ヨハネ9:2) →私たちを通して、神様の栄光が現されます。
3.モーセに学ぶ祈りの姿勢
私たちは、自分の祝福だけを求める祈りをやめる必要があります。
・「神様、一緒に行ってください」という祈り ・「神様、あなたの道を示してください」という祈り ・「神様、あなたの栄光を見せてください」という祈り
このような祈りを、主は喜ばれます。
主が共におられるなら、天国に行けるかどうかを不安に思う必要はありません。父と一緒に家に帰る子どもが、「家に入れるだろうか」と心配しないのと同じです。
4.神様が喜ばれる礼拝と祈りのために
そのためには、神様をよく知る必要があります。
・聖書をよく読むこと ・聖書を読まない信仰生活は、誤った礼拝や祈りにつながる危険があること ・通読できなくても、毎日聖書に触れることが大切であること
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■ まとめ
モーセは神様に対して、 「共に行くこと」「道を示していただくこと」「栄光を見ること」を求めました。
その姿勢を、神様は喜ばれ、再び共に行くことを決めてくださいました。
私たちも、祝福そのものではなく、「神様が共におられること」を求める一週間とさせていただきましょう。


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