20230825金曜祈祷会
聖書:詩篇147:7-12
題目:恵みを体験するために
説教者:高曜翰 牧師
場所:중앙성서교회
はじめに
私たちが神の恵みを体験するために必要なことは、自分の周りの問題や反対勢力をどうにかすることではありません。
まず必要なのは、自分自身が罪人であることを自覚することです。
ユダヤ人たちは、城壁再建後、エズラによる聖書朗読を通して、自分たちの罪の大きさを深く理解しました。その結果、彼らは神の恵みを豊かに体験することができました。
詩篇147篇は、その恵みに深く感動したユダヤ人たちが、城壁の落成式で歌った賛美だと言われています。
私たちも問題が起きたとき、まず「どう解決するか」を考える前に、神の前にひざまずき、祈る必要があります。
自分の罪を自覚し、神様により頼むとき、ユダヤ人たちのように、神の恵みを十分に体験することができるのです。
1.神の恵みを体験できない理由
教会の中には、「聖霊の声に導かれた」「神様の恵みを受けた」と証しする人々がいます。
一方で、それを聞いて反発する人々もいます。
「それでは私たちはどうなのか」
「私たちも努力しているのに、なぜ体験できないのか」
同じ教会にいながら、なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。
2.城壁再建までの歴史
① バビロン捕囚(BC605年)
ユダヤ人たちは、詩篇137篇にあるように、心が完全に砕かれた状態でした。
しかし、預言者エゼキエルを通して励ましを受け、エルサレムへ帰る希望を持つようになります。
神殿も礼拝の場所もなかったため、彼らは会堂(シナゴーグ)を建て、説教と聖書朗読を行うようになりました。
② 解放と神殿再建
ペルシャのクロス王によって解放され(BC537年)、
総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアによって神殿が再建されました(BC515年)。
しかし、この回復は一時的なものであり、再び霊的堕落が始まりました。
③ 城壁再建(BC445年)
ネヘミヤは、エルサレムのユダヤ人が辱めの中にあると聞きます(ネヘミヤ1:3)。
神殿があっても、城壁がなければ人は安全に住むことができません。
総督ネヘミヤと祭司エズラによって城壁再建が進められましたが、
サマリヤ人の妨害、内部からの攻撃、貧困層からの苦情、暗殺計画、悪い噂、さらには味方の裏切り(預言者シェマヤ)など、さまざまな妨害がありました。
彼らは祈りによって、それらを乗り越えました(ネヘミヤ4:14)。
④ 城壁の落成式
落成式では、ラッパ、シンバル、十弦の琴、竪琴などの楽器が用いられました(ネヘミヤ12:27)。
聖歌隊の一つの先頭にはエズラが立ち、人々は大いに喜びました(ネヘミヤ12:43)。
このときに歌われた賛美が、詩篇147篇だと言われています。
3.詩篇147篇が生まれた背景
① ユダヤ人の心の変化
彼らは、雲、雨、山の草、獣、鳥にまで神様が働いておられることに気づきました。
人の力ではなく、神が造られた自然に目が向けられたのです。
詩篇147篇は、「馬の力」や「人の足の速さ」を神は喜ばれないと語ります。
つまり、この世の力を頼ることをやめ、悔い改めたということです。
主は、主を恐れ、主の愛を望む者を喜ばれます。
ネヘミヤも人を恐れず、神様に祈った結果、城壁を完成させることができました。
そして彼らは心から主をほめたたえました。
「ハレルヤ」とは、「ハレル(ほめたたえる)」と「ヤ(神)」を合わせた言葉です。
では、なぜ彼らはここまで心から喜びの賛美をささげることができたのでしょうか。
② 神殿再建時との決定的な違い
城壁落成の前、彼らはモーセの律法の朗読を行いました。
神殿再建の時も律法に従っていけにえはささげましたが、罪の告白は十分ではありませんでした。
人々はエズラに律法を教えるよう求め、朗読を通して自分たちの罪深さに気づき、泣きました(ネヘミヤ8:9)。
彼らは、ヨシュアの時代以来行われていなかった仮庵の祭りを守りました。
さらに彼らは、悔い改めて固い契約を結びました(ネヘミヤ9:38)。
神の民として生きること、安息日を守ること、兄弟を愛すること、犠牲をささげることを約束したのです。
神の恵みを十分に体験するためには、悔い改めが必要です。
イザヤ59章1~2節はこう語ります。
主の手が短くて救えないのではなく、罪が神との関係を隔てているのです。
一生懸命努力したから恵みを体験できるのでもなく、
努力しなかったから体験できないのでもありません。
罪があるから、恵みを体験できないのです。
城壁完成後、そのまま落成式を行っていたなら、恵みの体験は不十分だったでしょう。
神殿再建の時、老人たちが嘆いていたことが、その証拠です。
③ ここから分かること
主の恵みを十分に体験するためには、悔い改めが必要です。
罪の深さと神の思いを知るためには、聖書に立ち返る必要があります。
聖書から離れると、自分の罪深さを知らず、祝福を十分に体験することができません。
4.イエスが示された真理
① 悔い改めの重要性(ルカ5:30–32)
パリサイ人たちは、「なぜ罪人と食事をするのか」と非難しました。
しかしイエスは、「わたしが来たのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためだ」と言われました。
福音の祝福にあずかれるのは、悔い改めた人だけです。
悔い改めを嫌う人々は、教会を批判します。
しかし、悔い改める者にこそ、福音の恵みが与えられます。
② 神の思いを知ることの重要性(ルカ5:33–39)
パリサイ人たちは、断食についてイエスを責めました。
しかしイエスは、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客が断食するだろうか」と答えられました。
断食とは、神様に集中するためのものです。
ユダヤ人の断食は、国が滅んだ日を覚えるためのものでした。
神殿再建後も、断食を続けるべきかが議論されました(ゼカリヤ7:3)。
しかし問題は、断食をするかどうかではなく、何のためにするのかでした。
順序を守ることよりも、神様の思いを知ることが大切なのです。
5.まとめ
① 神様の祝福を体験するために
単に祝福を求める祈りでは意味がありません。
祝福は、悔い改めた者に与えられます。
本当の悔い改めは、神の言葉を通して神の思いを知ることで生まれます。
② 私たちの信仰生活
私たちは、毎日神様の言葉を読みましょう。
そうすることで、自分の罪深さと神様の思いを知ることができます。
そのとき、私たちは神様の恵みを、十分に体験することができるのです。


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