20230924早天祈祷会
聖書:レビ18:1-5
題目:忌み嫌うべき風習
賛美:498
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
目的:人の基準ではなく、神様の基準で生きる
聖書朗読(レビ記18章1〜5節)
主はモーセに告げて言われた。
「イスラエルの子らに語って言いなさい。わたしはあなたがたの神、主である。
あなたがたは、かつて住んでいたエジプトの地の風習に倣ってはならない。
また、わたしがあなたがたを導き入れるカナンの地の風習や掟にも従ってはならない。
あなたがたは、わたしの定めを行い、わたしの掟を守り、それに従って歩みなさい。
わたしはあなたがたの神、主である。
わたしの掟と定めを守りなさい。人はそれを行うなら、それによって生きる。
わたしは主である。」
1.してはいけないこと
① エジプトやカナンの国の習慣に倣ってはならない
イスラエルは神の国の民であるため、神の国の掟に従って生きるべき存在です。
神の掟に従うなら、神の国で生き続けることができます。
しかし、それに従わなければ、滅びに至ることになります。
② 性的な罪(レビ18章6〜18節)
神様は、家族間の性的関係を明確に禁じています。
母、姉妹、娘など、家族と関係を持ってはなりません。
聖書には、実際にそれを行ってしまった例があります。
アブラハムとサラ(父の娘)、
アムラムとヨケベデ(父の妹)、
アムノンとタマル(父の娘)、
ヘロデとヘロデヤ(兄弟の妻)などは、
レビ記18章の基準で見れば、すべて禁じられている行為です。
また、月経中の女性、隣人の妻、同性、獣との関係も禁じられています。
これらは悪事であり、エジプトやカナンの国の風習だからです。
③ その結果
これらの罪によって、その地は汚され、
ついには地が人々を吐き出すと聖書は語ります。
神様は汚れのないお方であり、その神が主人である以上、
民も汚れてはならないのです。
「神様は残忍ではないか」と思う人もいるかもしれません。
しかし、カナン人の遺跡から大量に見つかる幼児犠牲の骨を見ても、
なお同じことが言えるでしょうか。
2.罪とは何か
① 罪とは、神の法を守らないこと
第一ヨハネ3章4節には、「罪とは不法である」と書かれています。
ここで言う法とは、神の国の法です。
この法は、主権者である神様が定めたものであり、
私たちが神様と共に生きるためのものです。
聖書の中で罪とされるのは、
神様が禁止していることを行うからです。
神様が「だめだ」と言っていることを、
自分の基準で判断するのは間違いです。
お酒やタバコ、刺青そのものが罪なのではありません。
神様が禁じていることだから罪なのです。
② 私たちは誰の言葉を聞くべきか
私たちは、世間の言葉ではなく、神様の言葉を聞くべきです。
正しい道があると知りながら、それを無視することは重大な罪です。
アダムとエバの罪も同じです。
「それくらいで罪になるなんて、神様は心が狭い」
という問題ではありません。
守る気があるのと、
最初から守る気がないのとでは、全く違います。
例えば、礼拝中におしゃべりをしたり、
携帯電話をいじったりする人々は、
眠っている人以上に悪い場合があります。
場合によっては、パウロのように教会から追い出す決断も必要です。
弱い者と、傲慢な者は同じではありません。
③ 神の国の民の生き方
神の国の民は、すべてを神様中心で考え、
神様の視線だけを気にして生きます。
教会で人の視線を気にすることは、
私たちを罪へと導きます。
世の中では、生き残るために人の視線を気にしますが、
教会はそうであってはなりません。
教会で人の目を気にするから、答えが出なくなります。
配慮と、人の目を気にすることは違います。
教会の中で自分の味方を作ろうとする人もいます。
「自分によくしてくれるから良い人」なのではありません。
神様の言葉を優先する人こそが、本当に良い人です。
どれほど人が良くても、
神様を無視し、自分が王になる人は悪い人です。
3.結論
第一に、外国の悪い風習を捨て、
神の国の法に従うことこそが、神の民の姿です。
初めから神様に従うつもりのない者は、その地から追い出されます。
第二に、教会では人の視線ではなく、
神様の視線だけを気にすべきです。
人の視線を気にし始めると、必ず混乱が起こります。
第三に、私たちはこの世の習慣ややり方を、
教会から排除しなければなりません。
自分の基準ではなく、
神様の基準で生きる人になってください。
そこに、神様の答えがあります。


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