20231001早天祈祷会
聖書:レビ22:1-9
題目:祭司の心がけ
賛美:325
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
Ⅰ.本文解説(レビ22:1–9)
1.神へのささげ物を汚さないための規定
神様はモーセを通して、アロンとその子ら、すなわち祭司たちに語られました。それは、イスラエルの民が主にささげる聖なる供え物を汚さないための厳格な規定です。
まず、汚れた状態で供え物に近づいてはならないと命じられています。汚れは他へと移るからです。具体的には、重い皮膚病を患っている者、流出のある者、死体に触れた者、精液を出した者、這うものに触れた者、人を汚すものに触れた者などが挙げられています。
これらに触れた者は、夕方まで汚れた状態とされ、水で身を洗わなければなりません。なお、ヘブル的な考え方では、日が暮れてから一日が始まるという点も重要です。
また、生贄として、あるいは食用として正しく処理されたもの以外で死んだ動物を食べることも禁じられています。これらの命令を軽んじるならば、罪を負い、死に至るとまで警告されています。
2.この規定を通して神様が語っておられること
神様の意図は明確です。神様ご自身が聖なる方であるように、聖なる供え物を扱う祭司もまた、聖なる者として整えられるべきだということです。
当時の異教の祭司たちは、汚れたものに触れても気にせず神の前に出ていました。しかし、イスラエルの祭司はそうであってはなりませんでした。人々を神へと導く存在は、神の栄光を表す器であるからです。
ただし、ここで誤解してはならないのは、祭司が一般の人々よりも本質的に聖い、あるいは偉い存在だと言っているのではないという点です。牧師が信徒より清く、偉いという考えも誤りです。
しかし同時に、汚れた状態で礼拝をささげることは、神様が喜ばれないということも、はっきりと示されています。異教徒と同じ感覚で、軽々しく神の前に出てはならないのです。
Ⅱ.監督(牧師)に求められる姿勢
1.監督(牧師)の条件
新約聖書では、監督、すなわち牧師に求められる条件が具体的に示されています(Ⅰテモテ3章)。非難されるところがないこと、一人の妻の夫であること、自制心があり、慎み深く、礼儀正しく、もてなしに富み、よく教えることができること。酒に溺れず、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に執着せず、家庭をよく治め、信仰歴が浅すぎず、教会内外で評判が良いことなど、合計十五項目にも及びます。
これは、イエス・キリストを模範として生きることを求めているのです。自分を良く見せるためでも、人の視線を気にするためでもありません。神様の栄光を表す器として生きるためです。
重要なのは、清いからリーダーに選ばれるのではなく、リーダーとして立てられたからこそ、清く生きるように求められているという点です。選びは神様がなさいます。パウロ自身がその代表的な例です。
2.牧師と信徒の関係
牧師が信徒よりも偉い存在である、という考えは聖書的ではありません。ペテロはこう語っています。
「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」(Ⅰペテロ2:5)
これは、すべての信徒が祭司として生きるよう召されていることを意味します。牧師を過度に神聖視することは、ローマ・カトリックと同じ誤りに陥る危険があります。祭司として生きることは、すべての聖徒に与えられた特権であり、同時に責任なのです。
3.教会の本質
教会の始まりは、マタイ16章に示されています。ペテロの信仰告白の上に、イエスは「エクレシア」を建てると宣言されました。エクレシアとは、ギリシャ語で「呼び集められた者たち」を意味します。つまり、建物ではなく、神様に呼ばれ、天国への鍵を託された人々の集まりです。
ローマ・カトリックでは、ペテロ個人と教皇にその鍵が集中すると理解しますが、プロテスタントでは、ペテロと同じ信仰告白をするすべての者に、鍵が与えられていると理解します。
新約の時代においては、すべての信徒が祭司であり、清く生きることを心がける必要があるのです。
Ⅲ.汚れた状態で礼拝しないために
イエスはこう語られました。
「もし祭壇に供え物をささげようとする時、兄弟があなたに対して何か恨みを持っていることを思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置いたまま、まず行ってその兄弟と和解しなさい」(マタイ5:23–24)
礼拝において最も大切なのは、心の状態です。礼拝は人間にとって最も重要な行為だからこそ、義務的になってはなりません。また、礼拝を利用して何かを得ようとする姿勢も戒められます。
無理やり連れて来られて不満を抱いている人、礼拝中に携帯電話に集中する人、隣人と私語を交わす人を放置してよいわけではありません。礼拝が最も大切だからこそ、汚れた状態での参加を軽視してはならないのです。
牧師や奉仕者は特に、日曜日に合わせて心を整えることが求められます。心の整理ができていないなら、形式的に礼拝を急ぐ必要はありません。
Ⅳ.まとめ
1.教会に集うすべての信徒は、祭司として清く生きることを心がける必要があります。
2.特に役職を与えられている者は、神の栄光を表す代表として、より一層の注意が求められます。
3.礼拝は、人の視線ではなく、神様に喜ばれる心の状態でささげるべきです。
今日も礼拝の前に、自分の心を神様に向け、しっかりと備えていきましょう。


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