20231022早天祈祷会
聖書:民数記3:40–51
題目:主の初子
賛美:569番
説教:高曜翰
場所:중앙성서교회
1.聖書朗読(民数記3:40–51)
主はモーセに仰せられた。
「イスラエルの子らのうち、生後一か月以上の男の初子をすべて数え、その名数を記録せよ。
わたしは主である。イスラエルの子らのすべての初子の代わりにレビ人をわたしのものとし、また家畜の初子の代わりにレビ人の家畜をわたしのものとせよ。」
モーセは、主が命じられたとおり、イスラエルの子らのうち、すべての初子を数えた。
生後一か月以上の男の初子の総数は、二万二千二百七十三人であった。
主はさらにモーセに言われた。
「イスラエルの子らの初子の代わりにレビ人を取り、また彼らの家畜の代わりにレビ人の家畜を取れ。レビ人はわたしのもの、わたしは主である。
イスラエルの子らの初子は、レビ人より二百七十三人多いので、その超過分については贖い金を取れ。
一人につき五シェケル、聖所のシェケルで取る。一シェケルは二十ゲラである。」
その贖い金はアロンとその子らに与えられた。
モーセは、レビ人によって代贖われなかった者から贖い金を受け取り、その総額は千三百六十五シェケルであった。
モーセは主の命令どおり、その贖い金をアロンとその子らに渡した。
2.本文解説
① 調査の内容と数字の意味
神様は、イスラエルの民の中で「生後一か月以上の男の初子」の数を調査するよう命じられました。その結果は、22,273人でした。
当時、男性だけで約60万人いたことを考えると、この数字は多いように感じられます。
現代の日本で、人口約1億2千万人に対し、年間出生数が約100万人であることを考えると、1か月では約9万人です。
イスラエルの人口を約300万人と仮定すると、1か月の出生数は約2,000人が妥当とも考えられます。
一方、レビ人の数は22,000人でした。
差し引きの273人が超過分となり、その分を贖い金で補いました。
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273人 × 5シェケル = 1,365シェケル
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5シェケルは羊飼いの一年分の給料
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30シェケルは奴隷の価格(イエスが売られた値)=約6年分の賃金
レビ族は、イスラエルの初子の身代わりとして捧げられた存在です。
② 数字の間違いについての考察
レビ族の内訳を見ると、次のようになります。
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ゲルション族:7,500人
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ケハテ族:8,600人
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メラリ族:6,200人
合計すると22,300人となり、聖書の記録(22,000人)と差が生じます。
ここで考えられるのが、ケハテ族の人数が本来は8,300人だったのではないかという説です。
ヘブル語では「3」と「6」の字形が似ているため、写本の過程で誤写が起きた可能性があります。
実際、七十人訳聖書では8,300人と記されています。
そのため、ケハテ族を8,300人と考えると、合計22,000人となり、数字が一致します。
③ レビ族の存在意義
レビ族は、人々を代表して神様に仕え、祭司を助ける存在でした。
ここで大切なのは、「レビ族」と「祭司の家系(アロンの一族)」は同一ではないという点です。
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祭司:アロンの家系
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レビ族:ゲルション、ケハテ、メラリの諸族
それぞれに、神様から与えられた異なる務めがあります。
レビ族は、金の子牛事件の際に神様に忠実であったため、特別な恵みを受けました。しかし、それは単なる特別扱いではなく、使命のためでした。
彼らは、イスラエルの民に仕え、祭司に仕えるという重要な役割を担っていました。
ここに、聖書が教える大切な真理があります。
**「仕えることこそが、恵みである」**ということです。
3.イエス・キリストとの関係
① イエスの存在
イエス・キリストは、私たちの身代わりとして捧げられた方です。
イエスは、人にも仕え、神にも完全に仕えられました。
イエスに倣う私たちも、レビ族のように「仕える存在」として召されています。
十字架につけられることは決して望ましいことではありませんでしたが、イエスは使命感をもってその道を歩まれました。
② 私たち自身の存在
仕えることは、本来喜びであるはずです。
それが単なる「仕事」になってしまってはいけません。
牧師の役割は、信徒が喜んで仕えられる環境を整えることです。
もし仕えることが重荷や義務、仕事になっているなら、立ち止まって見直す必要があります。
私たちが仕える目的は、神の栄光のためです。
私たちは、レビ族のように祝福の存在として召されています。
もし「誰かに認められたい」「褒められたい」という思いが強いなら、それ自体を神様の前で点検する必要があります。
4.まとめ
① 初子の意味
「初子」とは、祝福を受けるすべての存在を表しています。
その初子の代わりとして選ばれたのがレビ族です。
レビ族は祝福を受ける存在でしたが、それは特別な奉仕と仕えの使命があったからです。
② 間違った信仰姿勢への警告
教会で、人から認められるために行う奉仕や信仰生活は、本来の姿ではありません。
人の上に立つことを目的とする信仰生活も、聖書的ではありません。
③ 私たちへの勧め
レビ族のように、
そしてイエス・キリストのように、
神にも人にも仕える恵みを受けて、信仰生活を歩むことができるなら幸いです。


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