20231119早天祈祷会
聖書:民数記6:1–12
題目:ナジル人
賛美:545
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書朗読(民数記6章1–12節)要約
主はモーセに語り、イスラエルの民に「ナジル人の誓願」について教えられました。ナジル人とは、一定期間、自分の身を特別に聖別し、主にささげて生きる人のことです。男女の区別なく志願することができ、その期間中は、ぶどう酒や強い酒を避け、髪の毛を切らず、死体に近づかないという定めが与えられました。もし不慮の出来事で汚れてしまった場合には、定められた清めといけにえをささげ、再び最初からやり直す必要がありました。
1.ナジル人とは(意味:聖別する)
① 資格
ナジル人には、レビ人や祭司のように血筋による条件はありませんでした。男女を問わず、誰でも自ら願い出るなら、ナジル人として主に身をささげることができました。
② 積極的な聖別
ナジル人の聖別は、単に汚れを避ける消極的なものではなく、主に近づくための積極的な聖別でした。
第一に、ぶどう酒、強い酒、ぶどう汁、ぶどうそのものを一切口にしませんでした。これは、自分を喜ばせるものから距離を置き、主との時間を最優先にするためでした。また、異邦人や偶像礼拝の文化から自分を切り離す意味もありました。
第二に、髪の毛を切りませんでした。髪の毛は生きている限り伸び続けるものであり、生命力の象徴です。頭の上に伸びる髪は、自分の主人が主であることを示し、主への服従を表していました。
第三に、死体に近づきませんでした。死は罪の結果であり、神が忌み嫌われるものです。死体に触れないことで、汚れから自分を遠ざけ、聖さを保ちました。
③ 不慮の汚れが生じた場合
もし、そばで人が突然死に、その汚れに触れてしまった場合には、七日目に頭を剃り、八日目に二羽の鳩をささげました。一羽は罪のためのいけにえ、もう一羽は全焼のいけにえとして主にささげ、罪を告白し、最初からやり直しました。これまでの期間は無効となり、再び聖別の歩みを始める必要がありました。
④ 聖別期間が満ちたとき
聖別の期間は本人が定めました。期間が終わると、一歳の雄の子羊、雌の子羊、雄羊、種を入れないパン、油を混ぜた菓子、素祭や灌祭をささげました。そして髪の毛を切り、それをいけにえの火で焼きました。その後、雄羊の肩の煮た肉と種を入れない菓子を揺祭としてささげ、再びぶどう酒を飲むことが許されました。
2.イエス・キリストとナジル人
① ナジル人と対照的なイエス
イエスは、形式的にはナジル人とは反対の歩みをされました。ぶどう酒を飲み、死人の棺に手を置かれました。しかし、最後の晩餐では「今後、神の国が来るまで、ぶどうの実から造ったものを決して飲まない」と宣言されました。それは、次に来られるとき、花婿として花嫁を迎える結婚の祝宴があるからです。
② イエスの教え
イエスは「子は、父がなさることを見て行う以外に、自分からは何もできない」と語られました。また「私が語る言葉は、私自身から出たものではなく、私の内におられる父がそのみわざを行っておられる」とも言われました。神の考えに従い、神のために生きること、それがキリスト者の姿です。サタンは「自分中心」になったとき、天から落とされました。
③ 酒についての教え
聖書は、酒そのものを全面的に禁止してはいませんが、酒に酔うことを厳しく戒めています。酒に酔う者は神の国を受け継ぐことができないと語られています。重要なのは、飲むかどうかではなく、喜びをどこに求めているかという姿勢です。私たちは、神が望まれる方法で生きることを選ぶべきです。
3.まとめ
ナジル人は、神に近づくために、自ら進んでぶどう酒を断ちました。イエスは神が造られたぶどう酒を飲まれましたが、ある時からそれをやめ、父なる神のご計画に完全に従われました。
そこには「その時にかなった神の方法」があります。私たちも、ナジル人のように、自分の考えや方式ではなく、主の考えと主の方式に従って生きていきましょう。


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