20231211早天祈祷会
聖書:民数記15:1-10
題目:次世代のための生贄の規定
賛美:492
説教:高曜翰
場所:중앙성서교회
聖書朗読(民数記15章1〜10節)
主はモーセに告げて言われた。
「イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えて住まわせる地に、あなたがたが入ったとき、主にささげる火によるささげ物、すなわち全焼のささげ物、あるいは誓願の供え物、または自発の供え物、あるいは定められた祭りの供え物として、牛や羊を主への芳しい香りとしてささげる場合には、
その供え物をささげる者は、十分の一エパの小麦粉に四分の一ヒンの油を混ぜて、穀物の供え物として主にささげなさい。
もし全焼のささげ物、あるいは他のいけにえとして子羊をささげるなら、注ぎの供え物として四分の一ヒンのぶどう酒を備えなさい。
雄羊の場合には、十分の一エパの小麦粉に三分の一ヒンの油を混ぜた穀物の供え物を備え、また注ぎの供え物として三分の一ヒンのぶどう酒を主の前に芳しい香りとしてささげなさい。
また、全焼のささげ物、誓願の供え物、あるいは和解のいけにえとして若い雄牛を備えて主にささげる場合には、その若い雄牛とともに、十分の三エパの小麦粉に半ヒンの油を混ぜた穀物の供え物をささげ、また注ぎの供え物として半ヒンのぶどう酒をささげなさい。これは主への芳しい香りの火によるささげ物である。」
Ⅰ.本文解説
1.この規定は誰に向けられているのか
この規定は、主に次の人々に向けて語られています。
第一に、出エジプトの時に二十歳以下であった者たちです。
第二に、荒野で新しく生まれた世代です。
それ以外の第一世代の者たちは、不信仰のゆえに約束の地に入ることができませんでした(カレブとヨシュアを除く)。
この規定は、明らかに「次の世代」のために与えられたものです。
2.荒野の四十年の意味
荒野の期間は、単なる罰の時間ではありませんでした。
それは、次の世代のための訓練期間でした。
第一世代は、次の世代にとっての反面教師となりました。
人間の罪の性質を考えると、新しい世代に希望を託すことは、神様のご計画として良いことでした。
3.神に近づくための犠牲の規定(15章1〜21節)
この箇所では、神に近づくための犠牲についての具体的な規定が示されています。
当初は家畜のささげ物が中心でしたが、約束の地に入ると農作物が与えられます。
そのため、穀物の供え物やぶどう酒が加えられています。
これは、民数記14章で語られた「死の宣告」の直後に与えられた、恵みの規定です。
創世記3章において、罪の宣告の後に皮の衣が与えられたことと同じ構造です。
ここには、「死ぬことによって生きる」という神の原理が示されています。
紅海を渡る出来事や、洗礼も同じ原理を表しています。
Ⅱ.新約聖書からの光
1.裁きの後に必ず恵みがある
聖書は次のように語ります。
「律法はモーセを通して与えられ、恵みとまこと(真理)はイエス・キリストを通して来た」(ヨハネ1章17節)
この「まこと」とは、真実であり、公正さであり、同時に恵みを意味します。
私たちがどれほど失敗したとしても、神様は裁きの後に、必ず恵みを備えておられます。
2.恵みを受けるためには「死」が必要
しかし、その恵みを受けるためには条件があります。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3章3節)
新しく生まれるとは、一度死ぬことを意味します。
イエスは言われました。 「自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者は、それを得る」(マタイ16章24〜25節)
3.悔い改めとは何か
悔い改めとは、一度きりの行為ではありません。
私たちは毎日悔い改めることによって、自分を殺し、新しく生まれ変わります。
「自分の命を犠牲にしない者は、わたしの弟子ではない」(ルカ14章27節)。
それにもかかわらず、私たちは死にたくないために、半分生きた状態、いわば“霊的なゾンビ”のようになってしまいます。
「私はちゃんとやっている」「大丈夫だ」という思い込みが、その典型です。
Ⅲ.まとめ
第一に、裁きの後には必ず恵みがあります。
第二に、その恵みを受けるためには、私たちは死ぬ必要があります。
第三に、毎日悔い改めること、すなわち死んで新しく生まれ変わることによって、私たちは神の国に入ることができます。
次の世代のために備えられたこの規定は、今日を生きる私たち自身への招きでもあります。


댓글0개