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喜んで悔い改めよう!(マタイ3:1-12)
고요한 2026-01-18 추천 0 댓글 0 조회 48

20240107青年部礼拝

聖書:マタイ3:1-12
題目:喜んで悔い改めよう!
賛美:Born Again

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


導入:悔い改めは「つらいこと」なのか

私たちは「悔い改め」と聞くと、
自分を否定し、人から馬鹿にされ、恥ずかしい思いをする、
つらくて苦しい行動だと考えがちです。

しかし聖書が教える悔い改めは、
自分を価値のない者として否定することではありません。

悔い改めとは、
神様の子どもとなり、神様に喜ばれる存在になるための、喜ぶべき行動です。

その素晴らしさを理解するためには、
私たちが自尊心を手放し、謙虚な心を持つ必要があります。

人の視線ではなく、神様の視線だけを意識するとき、
私たちは悔い改めの本当の喜びを知ることができます。


Ⅰ.強い者ではなく、変化する者が生き残る

1.変化する者だけが生き残る

「生き残ることができるのは、強い者でも賢い者でもなく、変化する者である」
――これはダーウィンの言葉としてよく知られています。

実際、歴史がこの言葉を証明しています。

2.マケドニア軍とローマ軍

かつて、マケドニア軍はギリシャ軍とペルシャ軍を統合した最強の軍隊でした。
モンゴル軍が現れるまで、約1500年間、最強を誇っていました。
「軍隊の墓場」と呼ばれるアフガニスタンさえ征服したほどです。

しかし、最終的に生き残ったのは、
最強を追い求めたマケドニア軍ではありませんでした。

生き残ったのはローマ軍です。
ローマ軍は最強ではなく、標準化を追い求めました。
誰が将軍でも同じように動ける軍隊でした。
共和政ローマでは、トップが2年ごとに交代していました。

負けた将軍をも責めず、温かく迎える。
この変化を受け入れる寛容さこそが、ローマの強さでした。


Ⅱ.物語:バプテスマのヨハネ

1.400年ぶりに現れた預言者

約400年間、神の声が途絶えていた時代に、
バプテスマのヨハネが現れました。

彼はユダヤの荒野で活動しました。
そこは、ユダの山地と死海の間にある乾燥した荒野です。
エリヤが天に上げられた場所でもあり、人々の期待が集まる場所でした。

ヨハネは、エリヤと同じ姿をしていました。
ラクダの毛の衣を着て、皮の腰帯を締め、
食べ物は、いなごと野蜜でした。

2.主の道を備える預言者

ヨハネは、預言書のとおりに現れた人物です。

「荒野で叫ぶ者の声がする。
主の道を備えよ。その道をまっすぐにせよ。」
(イザヤ40章3節)

「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、
わたしは預言者エリヤを遣わす。」
(マラキ4章5節)

彼のメッセージは一つでした。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」

3.人々の期待と宗教指導者たち

人々は全土からヨハネのもとに集まりました。
パリサイ人やサドカイ人もやって来ました。

パリサイ人は御言葉中心で、庶民に人気がありました。
サドカイ人は政治中心で、裕福層に人気がありました。
イエスの弟子となるアンデレとヨハネも、最初はヨハネの弟子でした。


Ⅲ.ヨハネの水の洗礼とは何か

1.人生の中心を変えること

ヨハネの洗礼とは、
自分中心の人生をやめ、神様中心の人生に変えることでした。

洗礼は、罪を洗い流す儀式ではありません。
罪人である自分を死なせる告白です。

悔い改めて神様に焦点を当てる者だけが、天の国に入ることができます。


Ⅳ.宗教指導者たちへの厳しい言葉

ヨハネは彼らに言いました。
「毒蛇の子たちよ。誰が迫り来る怒りを免れられると教えたのか。」

彼らの問題は、悔い改めなかったことです。
宗教生活は立派でしたが、謙虚な心がありませんでした。

悔い改めないなら、火で焼かれる運命が待っています。
ヨハネは、宗教指導者たちにも悔い改めてほしかったのです。

強い言葉で非難したのは、
「自分は大丈夫だ」という高慢な心を砕くためでした。


Ⅴ.イエスに対するヨハネの姿勢

ヨハネはイエスについて、こう言いました。
「私はその方の靴のひもを解く価値もありません。」

この謙虚さがあったからこそ、偽善を指摘することができました。
弟子たちがイエスについて行っても、引き止めませんでした。

なぜイエスは洗礼を受けたのか

イエスには罪がありません。
それでも洗礼を受けたのは、
私たち罪人と一つになり、従うべき模範を示すためでした。

洗礼を受ける姿は、人々の目には罪人に見えます。
それでもイエスは、人の視線を恐れませんでした。

その結果、
神様は「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者」と宣言されました。


Ⅵ.悔い改めとは何か

1.中心を人から神へ変えること

悔い改め(メタノイア)とは、
「心を変える」「方向を変える」という意味です。
後悔(メタメロマイ)とは違います。

ヨハネもイエスも、最初に求めたのは悔い改めでした。
悔い改めなしに、福音も神の国もありません。

洗礼とは、
悪魔の主権の下から、神様の主権の下に移る告白です。


Ⅶ.悔い改めは必要か

悔い改めは、しなくてもよいと言えば、しなくてもよい。
しかし、悔い改めは良いことです。

なぜなら、
それは神様が喜ばれる選択だからです。
恥ずかしいことではありません。

悔い改めることで、神の子となり、天の国に入ることができます。
入国審査のように、通らなければ入れないだけです。

悔い改めは、神様も喜び、自分自身も喜ぶ道です。
問題は、人の目を気にするかどうかです。


Ⅷ.悔い改めに必要なもの ― 謙虚さ

イエスは悔い改める必要がありませんでした。
それでも洗礼を受けました。
罪人の列に並ぶことは、非常に恥ずかしいことです。

しかし、イエスは人の目を気にしませんでした。

ヨハネもまた、自分の考えより神様の考えを優先しました。
その結果、人々は自分から離れ、イエスについて行きました。
それでも、人の視線を気にしませんでした。

高慢な心では、神の国に入ることはできません。
謙虚でなければ、悔い改めの必要性が分からないのです。

謙遜を身につけるための実践

・人の上に立とうとするのではなく、人の下に入ろう
・勝とうとするのではなく、負けてあげよう
・褒められようとするのではなく、褒めてあげよう


Ⅸ.まとめ

① 悔い改めとは、心の向きを神様に変えること。
② 悔い改めは恥ずかしいことではなく、良いことである。
 神様が喜び、私たちも神の国に入り、平安を得ることができる。
③ 悔い改めるために、謙虚さを身につけよう。
 強い者が勝つのではなく、 

 悔い改めて変化できる者が、最後に勝利する。 

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