20240218早天祈祷会
聖書:申命記19:1-21
題目:逃れの町(도피성)
讃美:310
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文朗読(申命記19章1〜21節)
神である主が、イスラエルの民に与える地において、どのように命を守り、正義を保つべきかが語られています。ここでは「逃れの町」という制度を通して、神様の憐れみと同時に、厳格な正義が示されています。
2.本文解説
① 殺人者をかくまう「逃れの町」を設けなさい(1〜13節)
主はイスラエルの民に対して、逃れの町を用意するように命じられました。ヨルダン川の東側に三つ、西側に三つ、合計六つの町が指定されました。本来であれば、さらに南側にも設けられる計画がありましたが、これは実現しませんでした。
これらの町は、故意ではなく、過失によって人を死なせてしまった者が、どこからでも逃げ込むことができるようにするための場所です。例えば、森で木を切っている最中に斧の刃が外れて隣人に当たり、命を奪ってしまったような場合が想定されています。
そのような者は、復讐の心に燃える血の復讐者から命を守るため、逃れの町に逃げ込み、裁きが下されるまで生きることが許されました。
しかし一方で、明確な悪意をもって人を殺した者は、この制度によって守られることはありませんでした。故意の殺人者は逃れの町から引き出され、復讐者に引き渡されなければなりませんでした。
ここから分かることは、「失敗」や「過失」は憐れみの対象となりますが、最初から神に従うつもりのない悪意ある行為は、決して許されないということです。
② 神様が与えた相続地を守りなさい(14節)
14節では、隣人の地境を動かしてはならないと命じられています。古代では土地の境界は石によって示されていたため、人為的に動かすことが容易でした。
しかし、土地は単なる財産ではなく、神様がそれぞれの部族と家族に与えられた相続地です。そのため、人の欲や都合によって勝手に変更することは許されませんでした。
この命令は、すべてのものが神様の管理下にあるという事実を忘れてはならないことを教えています。私たちが持っているものは、最終的に神様から預かっているものなのです。
③ 目には目を、歯には歯を(15〜21節)
この箇所では、裁きにおける公平さが強調されています。どのような罪であっても、一人の証言だけで裁いてはならず、二人または三人の証人が必要であると定められています。
もし偽証が明らかになった場合、その証人は、自分が相手に下そうとしたのと同じ裁きを受けることになります。神様は罪に対して非常に厳格であり、不正が見過ごされることはありません。
ここから私たちは、判断が必要な場面において、自分の感情や考えではなく、神様の基準に従うべきであることを学びます。
3.新約聖書からの光
① 最初から従うつもりのない心は許されない
イエス様は、「聖霊に逆らう罪は許されない」と語られました(マタイ12章32節)。これは、聖霊の導きを拒み続ける心の状態を指しています。
人は聖霊の助けなしには、イエス・キリストを主として受け入れることができません。にもかかわらず、口では信仰を告白しながら、自分勝手に生き続ける姿勢は、最初から神の言葉に従うつもりのない態度だと言えます。
② すべては神様の管理下にある
ヘブル人への手紙4章13節には、「神の前には隠れている被造物は一つもなく、すべてが裸であり、あらわにされています」とあります。
人の目には隠せたとしても、神様の目から隠せるものは何一つありません。誰も見ていないと思う行動も、すべて神様の裁きの前に置かれることを、私たちは忘れてはなりません。
③ 自分の基準ではなく、神様の基準で生きる
ローマ人への手紙2章6節には、「神は各人の行いに従って報いを与えられる」と記されています。
かわいそうだから許されることと、許されないことがあります。神様は行為そのものだけでなく、「なぜそれを行ったのか」という動機までも見ておられます。
だからこそ私たちは、自分の感覚や都合ではなく、神様の義と正義の基準に従って生きる必要があります。
4.まとめ
第一に、失敗や過失は憐れみの対象となりますが、最初から神に従うつもりのない者は許されません。
第二に、すべては神様の管理下にあり、私たちの行動はすべて神の裁きの対象であることを覚える必要があります。
第三に、感情や人間的な判断ではなく、公平に裁かれる神様の基準に従って生きることが、信仰者としての歩みです。
この神様の前に正しく生きる姿勢を、日々の生活の中で大切にしていきましょう。


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