20240310早天祈祷会
聖書:申命記26:11–15
題目:恵みは分かち合うため
賛美:292
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書本文(申命記26:11–15 要旨)
あなたの神、主が、あなたとあなたの家に与えてくださったすべての良いものをもって、レビ人や、あなたがたの中に寄留している他国人と共に喜び楽しみなさい。第三年、すなわち十分の一を納める年に、すべての産物の十分の一を納め終え、それをレビ人、寄留の他国人、孤児、寡婦に与え、町の中で彼らを十分に満たしたとき、あなたは主の前で告白しなければなりません。
「私は、主が命じられたとおりに、聖なるささげ物を家から取り出し、レビ人、寄留の他国人、孤児、寡婦に与えました。私はあなたの命令に背かず、また忘れませんでした。私は喪のうちでこれを食べたことも、汚れた身で用いたことも、死人のために用いたこともありません。私は、私の神、主の御声に聞き従い、すべて命じられたとおりに行いました。どうか天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろし、あなたの民イスラエルと、あなたが先祖に誓って与えてくださった、乳と蜜の流れる地を祝福してください。」
1.本文解説
① 恵みを受ける前の「過去」を忘れない
まず11節では、主から与えられた恵みを、レビ人や在留異邦人と共に喜びなさいと語られています。なぜなら、レビ人や寄留の外国人には、相続の土地が与えられていなかったからです。
これは、「与えられた者は、与えられていない者と分かち合いなさい」という神の御心を示しています。持つことができたのは自分の力ではなく、恵みによるのです。だからこそ、その恵みは、他者に分け与えるために与えられました。
モーセは26章5節で、「私の父はさすらいのアラム人であった」と告白させています。アブラハムも、ヤコブの妻たちもアラムの出身でした。ここで「ヘブル人」ではなく「アラム人」と表現しているのは、恵みを受ける前の原点を忘れないためでした。
② 恵みを分け与えることを忘れなかった
12節では、三年ごとに収穫物の十分の一を貧しい人々に分け与えることが命じられています。レビ人、在留異邦人、孤児、寡婦がその対象でした。
イスラエルの民は、カナンの異教的な習慣のように、死人に触れてささげ物を汚すことをせず、主の前に清く保つことを大切にしました。恵みを分かち合うことは、主の前に誠実に生きる姿そのものでした。
③ 主の前に、恥ずかしさなく出ていける信仰
13〜15節では、民が主の前で大胆に祈っています。「私は命じられたとおりに行いました。どうか祝福してください」と。
これは、労働の対価として祝福を要求しているのではありません。主に喜ばれることを、喜んで行った結果として、恥じることなく主の前に立っているのです。
※注:恵みとは、公明正大だから与えられるものでも、努力の報酬でもありません。受け取る資格のない者が受け取るもの、それが恵みです。
2.新約聖書からの適用
① 恵みを受ける前の過去を忘れない
ヨハネ1章17節は、「律法はモーセを通して与えられ、恵みとまことはイエス・キリストを通して来た」と語ります。
律法の時代、人は罪を犯すたびに犠牲をささげなければなりませんでした。そうしなければ、自分の罪によって死んで当然の存在だったのです。
しかし、イエス・キリストがただ一度の完全な犠牲となられました。その結果、私たちは犠牲をささげる必要がなくなり、罪の赦しのために祭司を介する必要もなくなりました。神の言葉を聞くために預言者を通す必要もありません。私たちは、直接神に祈ることができる者とされたのです。
② 恵みを分け与えることを忘れない
イエスは言われました。「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられるでしょう」(ルカ6:38)。
主は、敵を愛し、何も期待せずに貸し、憐れみ深くあり、裁かず、赦すことを命じられました。
なぜなら、私たち自身が、かつては神の敵であったにもかかわらず、恵みによって神の子とされたからです。私たちが誰かを批判するとき、そこにはしばしば自分を棚に上げた傲慢さがあります。
③ 主の前に、恥ずかしさなく立つために
主の前に立つとき、私たちは何と言うでしょうか。
「私は正しく生きてきました。主のために、こんなに大きなことをしました」と言うでしょうか。
しかし主は、こう問われるかもしれません。「なぜ赦さず、責め、誇り、私の栄光を奪ったのか」「私が与えた恵みを、自分のためだけに使い、なぜ敵に分け与えなかったのか」と。
3.まとめ
1.恵みを受ける前の過去を忘れないこと。
2.受けた恵みを、惜しまず分け与えること。
3.そのとき、私たちは主の前に、恥ずかしさなく立つことができる。
私たちは、神の恵みを受け取る者であると同時に、その恵みを分け与えるために召された存在なのです。


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