20240602青年部礼拝
聖書:ヨハネ2:1-12
題目:カナの婚礼
讃美:예수님이 말씀하시니
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
礼拝主題の要約
結婚式の最中に、喜びの象徴であるぶどう酒がなくなることは、その共同体にとって大きな失敗を意味します。この危機的な状況の中で、マリヤはイエスに助けを求めました。イエスは母としての願いを一度は退けられましたが、御言葉によって水をぶどう酒に変えられました。その結果、結婚式は喜びのうちに終えることができました。
この最初の奇跡は、イエスが私たちの必要を満たしてくださる方であること、御言葉によって奇跡を行われる神の子であること、そして奇跡は神の栄光を現すためのものであることを教えています。私たちもまた、人間の不完全な力ではなく、完全な神の力に信頼し、自分の栄光ではなく神の栄光を現す者となりましょう。
聖書朗読(ヨハネ 2:1–12)要旨
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母と弟子たちも招かれていました。宴の途中でぶどう酒が尽きてしまい、母マリヤはイエスにそのことを伝えます。イエスは「わたしの時はまだ来ていない」と言われましたが、僕たちに「この方が言われることは何でもしてください」と語ります。
イエスの命令に従い、水がめに水を満たし、それを料理長のもとへ持って行くと、水はぶどう酒に変えられていました。料理長は後から出されたそのぶどう酒の素晴らしさに驚き、この出来事を通してイエスはご自身の栄光を現され、弟子たちはイエスを信じました。
1.自分の力で切り開こうとする生き方
① 先週のパッソンジン宣教師のメッセージ
神様は私たちを、偶然ではなく目的をもってこの世に遣わされました。私たちは人の力や能力によってではなく、神の言葉に従うときに、神の力によって善く生きる存在へと変えられます。与えられている時間と場所は、自分の栄光のためではなく、神に栄光を帰すためにあります。
② 禅の思想(スティーブ・ジョブズが影響を受けた思想)
禅では坐禅を通して、自分の内にある仏と向き合います。どんな人の中にも仏がいるとされ、努力と集中によって心を制御し、悟りに至る宗教です。そこでは、自分の努力によって到達する恵みが重視されます。
③ キリスト教的祈り
聖書において祈りは、神と対話し、神の意図を知る行為です。救われた者の内にはキリストがおられますが、雑念や欲望によってその存在を見失うことがあります。祈りを通して神に集中し、聖霊に導かれることで、恵みを受け取り、自分を正しく制御することができます。
2.カナの婚礼における出来事
① 婚礼に招かれたイエスと弟子たち
マリヤが婚礼の準備を手伝っていたことから、この結婚式はイエスの親族のものであったと考えられます。
② マリヤの願い
マリヤは「ぶどう酒がなくなってしまいました」とイエスに伝えました。これは結婚式が失敗に終わる危機を意味しており、同時にイエスがメシアであることを示す時ではないかという期待も含まれていました。
③ イエスの答え
イエスはマリヤを「婦人よ」と敬意をもって呼びかけ、「わたしの時はまだ来ていない」と語られました。これは十字架の時、すなわち神の救いの計画の完成を指しています。
④ マリヤの信仰
それでもマリヤは、イエスが必要を満たしてくださることを信じ、「この方が言われることは何でもしてください」と僕たちに語りました。
⑤ イエスの命令と従順
イエスは清めの水がめに水を満たすよう命じられました。必要なのはぶどう酒でしたが、僕たちは言われた通りに、口まで水を満たしました。
⑥ 僕たちの従順
次にイエスは、その水を料理長のもとへ持って行くよう命じられました。叱責される可能性があっても、僕たちは御言葉に従いました。
⑦ 人々の反応
料理長はその水が最高のぶどう酒に変わっていることに驚き、花婿を称賛しました。後から出されたものが最も良かったのです。
⑧ 最初の奇跡
この奇跡によってイエスの栄光が現され、弟子たちはイエスを信じました。
3.この奇跡の物語から学ぶこと
① イエスは私たちの必要を満たす方
神は、ご自身の栄光の富の中から、私たちのすべての必要を満たしてくださいます。問題は、私たちの視点と神の視点のずれです。そのずれを整えるのが祈りであり、自分の願いを通すためではなく、神の意図を知るためのものです。
② イエスは言葉によって奇跡を行う神の子
ヨハネ福音書は、イエスを「ロゴス(言)」として描きます。すべてのものの原因であり、創造の源である方がイエスです。水を用いて奇跡を行われたのは、不可能を可能にする神の創造の力を示すためでした。
結婚式において、水は失敗の象徴であり、ぶどう酒は喜びの象徴です。イエスによって、不完全なものが喜びへと変えられました。
③ 奇跡は神の栄光を現すためのもの
万物は神から出て、神によって成り、神に帰ります。奇跡は人の努力の結果でも、自己満足のためでもありません。すべては神の栄光のためです。
この奇跡は、三日目の復活、異邦人への救い、不完全な人間が完全な命へと導かれることを象徴しています。
4.まとめ
この世の宗教は、「努力しなさい」「自分の力で奇跡を起こしなさい」と教えます。しかしイエスは、私たちの必要を満たし、御言葉によって奇跡を行い、そのすべてを神の栄光へと導かれます。
私たちが求めている奇跡は、自分の栄光のためでしょうか。それとも、神の栄光のためでしょうか。


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