20240701早天祈祷会
聖書:ヨシュア24:29-33
題目:約束の地に眠るヨシュア
賛美:369
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
序論
ヨシュア記の最後は、勝利の物語ではなく、
一人の信仰者の「死」で終わります。
主のしもべヨシュアが、約束の地で眠ったという記事です。
しかしこの「死」は敗北ではありません。
むしろ、次の世代に信仰を託す、希望に満ちた終わりでした。
今日はこの御言葉から、
「私たちはどのように生き、何を次の世代に残すのか」を共に考えたいと思います。
1.本文解説
① ヨシュアは110歳で死んだ
聖書は静かにこう語ります。
「主のしもべ、ヨシュアは百十歳で死んだ。」
どんなに偉大な指導者でも、永遠に共にいることはできません。
人は必ず死にます。
だから私たちは、優れた指導者や特別な人に依存して生きてはいけないのです。
頼るべきお方は、ただ神様のみです。
そして私たちは、自分の世代だけでなく、
次の世代のために生きる信仰を持たなければなりません。
② ヨシュアと長老の世代は主に仕えた
聖書は続けてこう語ります。
イスラエルは、ヨシュアが生きている間、
そしてヨシュアの後に生き残った長老たちの間、主に仕え続けた、と。
彼らは神様がイスラエルのために行われた御業を「知っていた」世代でした。
しかし裏を返せば、
イスラエルは指導者に強く依存していたとも言えます。
その世代と次の世代までは信仰が守られました。
しかし、その次の世代になると堕落していきます。
なぜでしょうか。
神様が何をされたのかを知らなくなったからです。
③ 堕落の原因は「神様を知らないこと」
堕落の原因は、性格でも環境でもありません。
神様がしてくださったことを忘れること。
これが本当の問題です。
自分をどれほど理解しても、
自分をどれほど信じても、
人は正しく生きることはできません。
人を変えるのは「自己理解」ではなく、
神様の御業を知ることなのです。
2.新約聖書から見る霊的原理
① 死によって人は成長する
イエス様は言われました。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、そのままである。死ねば多くの実を結ぶ。」
死は終わりではありません。
新しい命を生み出す始まりです。
偉大な人に依存して生きれば、その人が死んだ時に終わります。
しかし次の世代のために生きるなら、その死は多くの実を結びます。
ヨシュアの死もそうでした。
それはイスラエルに信仰を残す死でした。
私たちの人生も同じです。
「自分のため」ではなく「次の世代のため」に生きるとき、
私たちの人生は実を結びます。
② どう生きるかより、なぜ生きるか
私たちはよく「どう生きるか」を考えます。
しかし聖書は「なぜ生きるか」を問います。
律法通りに正しく生きようとしても、
それだけでは人は義とはなれません。
人を義とするのは、
神様がしてくださったこと、すなわち福音です。
だから大切なのは、
「どうやって生きるか」ではなく、
「神様が私に何をしてくださったのか」を知ることなのです。
③ 子どもたちに神様の御業を伝えよう
私たちが次の世代に教えるべきことは何でしょうか。
成功の方法でも、賢い生き方でもありません。
自慢話や有名人の話でもありません。
伝えるべきものはただ一つ。
神様の福音です。
神様がどんなお方で、何をしてくださったのか。
それを語り、そして生き方で示すことです。
祈る姿、御言葉に従う姿、
思い通りにいかなくても神様を信頼する姿。
その姿こそが、子どもたちの心に最も深く残る証しとなります。
3.まとめ
第一に、
死は終わりではなく、人を成長させるものです。
成長できない理由は、力ある人に依存して生きることにあります。
第二に、
「どう生きるか」ではなく、「なぜ生きるか」を知りましょう。
神様の御業、福音こそが私たちの土台です。
第三に、
次の世代に伝えるべきものは、この世の知恵ではなく、
神様がしてくださったことです。
ヨシュアは約束の地に眠りました。
しかし彼の信仰は次の世代に受け継がれました。
私たちもまた、
いつか地に眠る日が来ます。
そのとき、
「信仰を残した人生だった」と言えるように、
今日も主に仕える歩みを続けていきましょう。
アーメン。


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