20240721青年部礼拝
聖書:ヨハネ11:33-44
題目:ラザロの復活
賛美:예수 이름이 온 땅에
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
イエスは、わざと遅れてベタニヤに到着されました。その結果、ラザロはすでに死に、腐敗が始まっていました。人々は深い悲しみの中にありました。
しかし私たちは、この出来事を通して、生命と時間に対する神様の視点と人間の視点が全く違うことを学ぶ必要があります。
イエスが遅れたのは、死んだら終わりだと恐れる人々に、復活の希望を確信させるためでした。
また私たちは、自分のために「今すぐ」を求めますが、イエスは常に神様の栄光のためのタイミングを見ておられます。
そして何より忘れてはならないのは、イエスが冷徹に計画を実行する存在ではなく、危険を承知で私たちに会いに来られ、涙を流し、怒られるほどに私たちを愛しておられる方だということです。
私たちは、この心あたたかいイエスが示された復活の奇跡を信じ、イエスを述べ伝える人生を歩んでいきましょう。
1.Mr. Wind(Slide1)
2007年に制作されたドイツのコマーシャル「Mr. Wind」があります。
この人物が何者かわからない時、人々は彼を悪者だと誤解します。しかし、彼が何者なのかが分かった瞬間、見方は一変します。
同じように、ユダヤ人たちも弟子たちも、イエスのことを誤解していました。
聖霊=風
ヘブル語の「ルアッハ」は旧約聖書に478回登場します。
英語訳では Spirit / spirit が232回(49%)、Wind が92回(19%)、Breath が27回(6%)です。
聖霊は「風」のようなお方です。
正しく理解すると、神様の見え方が変わります。
2.物語の流れ
① 背景(ヨハネ10章)―十字架の約4か月前
舞台はエルサレム神殿でのハヌカ(奉献・光)の祭りです。
この祭りは、前165年のマカベア戦争によってセレウコス朝から独立したことを記念するものです。
バビロン、ペルシャ、ギリシャ、シリアと支配され、約430年ぶりの独立でした。
その中でイエスは「私は神と一つである」と語り、ユダヤ人たちはそれを神性冒涜だとして石打ちにしようとしました。
そのためイエスはヨルダン川の東へ退かれ、そこで宣教を続けていました。
② ラザロ危篤の知らせとイエスの反応(11:1−6)
ベタニヤに住むマルタとマリヤの兄弟ラザロが重い病にかかりました。
イエスはこう言われます。
「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のため、神の子が栄光を受けるためである。」
そして、あえてその場に二日間とどまりました。
③ トマスの反応(11:7−16)
イエスが「もう一度ユダヤへ行こう」と言われると、弟子たちは不安を示しました。
それでもイエスは言われます。
「ラザロは死んだ。しかし、あなたがたが信じるようになるため、私はそこにいなかったことを喜ぶ。」
トマスは「私たちも行って、先生と一緒に死のう」と言いました。
彼は、イエスが復活させに行くことを理解していませんでした。
④ マルタの反応(11:17−27)
イエスが到着した時、ラザロはすでに4日間墓に入っていました。
マルタは言います。
「主よ、もしここにいてくださったなら、ラザロは死ななかったでしょう。」
イエスは言われました。
「あなたの兄弟はよみがえる。」
マルタは終わりの日の復活を信じていましたが、目の前で起こる復活は想像していませんでした。
イエスは宣言されます。
「わたしはよみがえりであり、命である。信じるか。」
マルタは信仰告白をしましたが、イエスが今まさに復活を起こすとは理解していませんでした。
⑤ マリヤの反応(11:28−33)
マリヤも同じ言葉を口にします。
「主よ、ここにいてくださったなら…」
イエスは彼女と共に泣く人々を見て、激しく感動されました。
ここで使われている言葉は
ἐμβριμάομαι(エンブリマオマイ)
「激しく怒る」「霊がうめく」という意味です。
⑥ 人々の反応(11:34−38)
イエスは涙を流されました。
人々は「彼を愛していたのだ」と言う一方で、
「盲人の目を開けたのに、なぜ死なせなかったのか」と疑いました。
彼らは「死んだら終わり」という考えに縛られていました。
⑦ ラザロの復活(11:39−45)
イエスは「石を取り除けなさい」と命じられます。
マルタは「もう臭くなっています」と現実を見ました。
しかしイエスは言われます。
「信じるなら神の栄光を見ると言ったではないか。」
イエスは父なる神に感謝の祈りを捧げ、大声で叫ばれました。
「ラザロよ、出てきなさい。」
するとラザロは布に包まれたまま出てきました。
イエスは言われます。
「彼をほどいて、帰らせなさい。」
⑧ この出来事の影響
多くのユダヤ人が信じました。
ハヌカ祭りの中で、イエスが真のメシアであることが明らかになったからです。
一方、パリサイ人たちはイエスを殺す決意を固めました。
彼らの基準には合わなかったからです。
3.適用
① 死に対する観点の違い
人間にとって死は終わりです。
弟子たちもマルタもマリヤも、復活を考えられませんでした。
しかし神様の前では、死は敗北者です。
キリストを通して、私たちは死に勝利できます。
イエスはそれを教えるため、ラザロが確実に死ぬまで待たれました。
② 時間に対する観点の違い
人間は「早く」を求めます。
しかしイエスは、神様の栄光のための時を見ておられます。
早ければよいのではありません。
神様の時こそ最善です。
③ イエスは涙を流し、怒られる方
イエスは理解されなくても、危険を承知で来られました。
泣き、怒り、私たちを死の恐怖から解放するために命を捨てられました。
こんな方は他にいません。
4.まとめ
1.神様と人間とでは、死に対する観点が違う。
2.神様と人間とでは、時間に対する観点が違う。
3.イエスは、私たちのために危険を冒し、涙を流し、怒られるお方である。


댓글0개