20240728早天祈祷会
聖書:士師記5:1-5
題目:動くと主を見ることができる
賛美:386
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
私たちはよく「神様が働いてくださるなら動こう」と考えます。
しかし聖書は、反対のことを教えています。
私たちが信仰をもって一歩踏み出す時、そこで神様の働きを見ることができる。
今日の本文は、デボラとバラクの勝利の歌です。
彼らは戦いに勝った後、ただ喜んだのではなく、歌をもって神様をほめたたえました。
この御言葉から、
「礼拝とは何か」「指導者とは何か」「神様はいつ働かれるのか」
この三つについて共に学びたいと思います。
1.本文解説
① デボラとバラクの歌 ― 勝利を神に帰す礼拝
デボラとバラクは、勝利の後に歌いました。
それは単なる喜びの歌ではありません。
神様の御業を記憶し、後の世代に伝えるための信仰の歌 でした。
彼らは、この勝利が自分たちの力ではなく、主によるものであることを人々に知らせようとしました。
1〜5節では、繰り返しイスラエルの神、主が賛美されています。
彼らは自分たちを誇らず、ただ神様だけを高く上げました。
ここに、真の礼拝の姿があります。
② イスラエルの指導者たちが動いた
聖書はこう語ります。
「イスラエルの指導者たちは先に立ち、民は喜び勇んで進み出た。」
まず動いたのは指導者たちでした。
その姿を見て、民も喜んで自分をささげました。
嫌々ではありません。強制でもありません。
喜んで献身したのです。
ここから分かることは、
リーダーの役割とは偉そうに命令することではなく、人々の前に立つこと だということです。
歴史を見ても、戦争や危機の時、真の指導者は必ず先頭に立ちました。
背後から命令する人ではなく、前に立って道を示す人です。
③ 主がエドムの地から出てこられた
4節と5節では、壮大な神様の現れが描かれています。
主が進まれると、
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地は震え
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天は雨を降らせ
-
山々も揺れ動きました
自然界すべてが神様の力に応答しています。
イスラエルは、かつてエジプトからカナンに向かう時、エドムを通りました。
その時も神様が先頭に立って導かれました。
そして今回も同じです。
人々が進んだ時、神様が先立って働かれたのです。
ここに重要な原則があります。
私たちが神様を信じて動く時、神様の働きを見ることができるのです。
2.新約聖書からの適用
① 礼拝とは何か
イエス様はこう言われました。
「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。」(ヨハネ4:23-24)
礼拝とは、日曜日に教会に来て、
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座って
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賛美して
-
説教を聞くだけ
それだけではありません。
主がしてくださったことを人々に伝えることも礼拝の一部です。
デボラとバラクは、自分たちの勝利を通して神様を賛美しました。
同じように、私たちも人生を通して神様を証しする時、礼拝しているのです。
それは、ちょうどテスト勉強とテスト本番の関係のようです。
教会での礼拝が準備なら、日常生活こそ本番です。
日々の生活の中で神様をほめたたえる時、
人々は私たちを通して神様を知るようになります。
② 指導者の役割とは何か
指導者の役割は、人々の先頭に立つことです。
しかし本当の先頭は神様です。
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神様が先頭に立ち
-
指導者がその神様についていき
-
人々がその指導者についていく
この順番です。
指導者が喜んで神様に従う時、後ろの人々も安心してついてきます。
デボラとバラクが出ていった時、他の指導者たちも続き、民も続きました。
一人の信仰が、多くの人を動かすのです。
③ 神様はいつ動くのか
神様はいつ働かれるのでしょうか。
実は、神様は絶えず働いておられます。
ただ、私たちの目に見えないだけです。
私自身の人生を振り返っても、後になって初めて「神様が共にいてくださった」と気づくことが多くあります。
しかし聖書はさらに教えます。
私たちが前に出る時、神様の働きをはっきり見ることができる。
祈るだけで動かなければ、見ることができないかもしれません。
私たちは、祈った分だけ行動すべきです。
イスラエルの民が動いた時、神様の力強い御業を見ることができました。
3.まとめ
今日の御言葉から、三つのことを覚えましょう。
① 神様を賛美し、伝えることも礼拝である
② 指導者が先に進む時、人々も喜んでついていく
③ 私たちが動く時、神様が働いておられるのを見ることができる
神様の働きを「見てから動く」のではありません。
信仰をもって動く時、神様を見ることができるのです。
今日も小さな一歩でかまいません。
祈り、そして踏み出しましょう。
その時、私たちは生きて働かれる主を見ることができます。


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