20240901青年部礼拝
聖書:マタイ26:36-46
題目:怒りの杯を飲んだイエス
賛美:주품에 품으소서
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
神様がイエスに与えた人生の目的は、十字架の死でした。
それは、人間の罪に対する神の怒りの杯を飲むことによって達成されます。
イエスはゲツセマネで三度、「この杯が過ぎ去るように」と祈られました。しかしそのたびに、自分の意思ではなく神様の御心がなるようにと告白されました。
イエスは霊的な祈りによって迷いを断ち切り、杯を飲んで苦難の道へ進むために立ち上がられました。
私たちは、私たちの身代わりとして神の怒りの杯を飲まれたイエスを見て、何を思うでしょうか。
真実に良いこととは、人の目に良いことではなく、神様の目に良いことを選ぶことです。
肉的な祈りをやめ、イエスのように神様の御心を求め、自分に与えられた人生の目的を見いだしていきましょう。
1.人生の目的について
(1)人生の目的がない人
人生の目的がない人は、「その日を楽しく過ごせればよい」と考えるようになります。
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辛いことを避け、楽しいことばかりを探すようになる。基準が「自分が楽しいかどうか」となり、自己満足主義になる。
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他人と比較し、劣等感に苦しむようになる。たとえば、より遠くへの旅行、より豪華な食事、より派手な経験を求める。
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未来への不安を消すことができない。貯金が尽きるとき、周囲が結婚するとき、親が亡くなるとき、体が弱くなるときなど、不安が表面化する。
(2)肉的な人生の目的を持つ人
肉的な目的を持っている場合も、本質は同じです。
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基準は結局「自分が楽しいかどうか」であり、自己満足に終わる。
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他人と比較し、劣等感に苦しむ。
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未来への不安を消せないため、年を取ると過去の栄光を語るようになる。
だからこそ、イエスがどのような人生の目的を持っておられたのかを知り、私たちが持つべき人生の目的を学ぶ必要があります。
2.本文の内容
(1)イエスのメシアとしての目的
神様がイエスに与えたメシアとしての使命は、十字架の死でした。
イエスはすでに、エルサレムで多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえることを語っておられました(マタイ16章、17章、20章)。
多くの人々、そして弟子たちは、メシアがローマからの独立をもたらすことを期待していました。しかし神様の御心は、神の子イエスが神の怒りの杯を飲むことでした。
その怒りの原因は人間の不貞であり、イエスの罪ではありません。それほどまでに神は人間を愛しておられたのです。
(2)「悲しみのあまり死ぬほどである」
イエスは、自らの人生の目的を受け入れようとされましたが、心の整理が必要でした。
祈りとは、神様が与えた目的を再確認する行為です。
また、弟子たちが祈らなくても、共にいてくれるだけで励ましとなるはずでした。しかし弟子たちは眠ってしまいました。
(3)「この杯を過ぎ去らせてください」
イエスは三度祈られましたが、そのたびに神の御心に従う決意を新たにされました。
これは、自分の望みではなく神の御心がなるようにと願う祈りであり、母マリアの従順の祈りとも重なります。
十字架の前夜、イエスは闇の中で、自分のアイデンティティと使命の重さと戦われました。
その杯を最後まで飲み干すことで、イエスは捨てられ、罪と悲しみと死を経験されました。
(4)「立て、さあ行こう」
イエスは祈りを通して心を整え、苦難へと進まれました。
弟子たちはイエスの預言を聞いても理解できず、逮捕の衝撃に備えられていませんでした。しかしイエスは、祈りによって運命を受け入れ、大胆に進まれたのです。
3.本文の解説
(1)人生の目的は作り出すものではなく、与えられるもの
人間には本来の目的があります。
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神様を礼拝すること(イザヤ43:7)
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神様と友として交わること(ヨハネ15:14–15)
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神の国を管理すること(創世記1:26)
さらに、新しい目的として、神の国を立て直す神様の計画に参与することが与えられています。
イエスの目的は、神の怒りの杯を代わりに飲むことでした。
もしこの願いが聞き入れられ、杯が取り去られていたなら、私たちは今も罪と死に怯える存在のままだったでしょう。イエスがこの世に来られた意味そのものが失われてしまいます。
(2)人生の目的は自分のためではなく神様のため
神の義と愛だけが完全な平安を実現します。
人間の義も愛も不完全ですが、神は完全に公平であり、完全に私たちを愛し、ご自身を犠牲にされました。私たちは本来死ぬべき存在でしたが、一方的な神の愛によって救われました。
イエスほど意味ある人生を生きた方はいません。
神の計画に従って生きた結果、神の愛と栄光が完全に表されたのです。
(3)神様のために生きる時、人生は意味を持つ
イエスは再び来られます(黙示録22:20)。
また、場所の用意ができたとき迎えに来ると約束されました(ヨハネ14:2–3)。
異邦人とユダヤ人がともに救われる神の計画も進んでいます(ローマ11:25–26)。
神様から与えられた目的を持って生きるとき、私たちは大胆に意味ある人生を歩むことができます。
4.まとめ
① 人生の目的は自分で作り出すものではなく、神から与えられるものである。
② 人生の目的は自分のためではなく、神様のためである。
③ 神様のために与えられた目的を持って生きるとき、人生は真に意味あるものになる。
How(どう生きるか)ではなく Why(なぜ生きるか)。
自分のためではなく、神様のために。


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