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72人の弟子(ルカ10:17-20)
고요한 2026-02-17 추천 0 댓글 0 조회 17

 

20240904水曜祈祷会

聖書:ルカ10:17-20

題目:72人の弟子

賛美:430、436、449、498

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

はじめに ― 感謝の法則

あるイスラエル人男性の話があります。

毎年、エルサレム中央郵便局には神様宛の手紙が多く送られてきます。ある男性は「生活が苦しいので5000シェケルください」と手紙を書きました。郵便局員たちはかわいそうに思い、募金を集めて4300シェケルを送ってあげました。

すると男性はこう書きました。

「神様、お金を送ってくださってありがとうございます。次からは郵便局を通さないでください。彼らは700シェケル盗みました。」

この男性は物質的に貧しかっただけでなく、心も貧しかったのです。
彼は郵便局を通して神様と対話し、同じ郵便局を通して助けを受けたにもかかわらず、恵みに気づけませんでした。

「持っているもの」に心が縛られている人は、どれほど恵みを受けても、自分が愛されている存在であることに気づくことができません。


1.本文の解説

(1)七十二人の意味

ルカ福音書では次のような広がりが見られます。

  • ルカ8章:イエスが伝道し、弟子たちは従った。

  • ルカ9章:十二弟子が遣わされ、悪霊を制し病を癒す力と権威を与えられた。

  • ルカ10章:さらに七十二人が選ばれて遣わされた。

ここには福音が世界へ広がる流れが示されています。

七十(七十二)の数字には象徴的意味があります。完全数である7の拡大であり、神の権威の広がりを示します。

  • 創世記10章:ノアから派生した七十の国

  • 創世記46章:イスラエルの民七十人

  • 民数記11章:聖霊を受けた七十人の長老

  • サンヘドリン:大祭司を除く七十人

つまり、全世界へ向かう神の働きを表しているのです。


(2)イエスの教え

イエスは弟子たちに「財布も袋も靴も持っていくな」と命じられました。これは肉体的、物質的なものに頼らないためです。宣教は多くを持っている人がするものではなく、神に完全に頼る者が行うものです。「狼の中に子羊を送るようなもの」という表現も同じ意味です。

また「挨拶をするな」と言われましたが、これは無視せよという意味ではありません。当時の中東文化では挨拶が非常に長くなるため、神の国を伝えることに集中せよという命令です。

家に入ったなら「平安があるように」と言い、出されるものを食べ、病人を癒し、「神の国が近づいた」と宣言しなさいと言われました。

もし受け入れられなければ、町のちりを払い落とし、「神の国が近づいたことは知っておけ」と語りなさいと命じられました。

つまり、神の国は信じる者には希望であり、拒む者には恐れであるということです。伝道の結果は伝える側ではなく、受け取る側に責任があります。


(3)七十二人の喜び

弟子たちは「イエスの名によって悪霊が服従した」と喜んで帰ってきました。

それは彼ら自身の力ではなく、イエスの力によるものです。しかし人は、神がされたことでも、自分がしたように感じてしまう危険があります。


(4)イエスの応答

イエスは「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」と言われました。これは実際の出来事と見る解釈もあり、預言的表現と理解する解釈もあります。

また「蛇やさそりを踏みつける権威」を与えると言われました。これは肉体的な守りと霊的な守りの約束です。神の計画の中で、使命が果たされるまでは守られるという意味があります。


(5)本当の喜びとは何か

イエスは言われました。

「霊が服従することを喜ぶな。あなたの名が天に記されていることを喜びなさい。」

これは、強い力を得たことを喜ぶのではなく、救われた存在であることを喜びなさいという意味です。

何を持っているかではなく、どんな存在であるかが重要なのです。


2.適用

(1)伝道は持っているからするのではなく、伝道する存在だから行う

「財布も袋も靴も持っていくな」と言われたように、伝道は持っている人だけのものではありません。神が与え、神が人を通して備えてくださいます。

また「霊が服従することではなく、名が天に記されていることを喜べ」と言われたように、伝道は何かを得るためではありません。私たちが伝道する使命を持つ存在だから行うのです。

種まきのたとえも、良い土地を選べという話ではありません。結果は土の問題であり、伝える側の技量の問題ではありません。

イエスご自身もコラジン、ベツサイダ、カペナウムで伝道されましたが、結果が同じではありませんでした。救いは100%神の働きです。だからこそ、失敗への罪悪感に縛られる必要はありません。私たちは使命に従って種を蒔くのです。


(2)私たちは「持っているもの」で喜ぶのではなく、「存在」で喜ぶ者

奉仕の成功には傲慢や勝利主義の危険があります。霊的成長よりも物質的成果を喜んでしまう危険です。

イエスが「喜ぶな」と強く言われたのは、それほど重要な問題だからです。

私たちは、恵みによって救われ、恵みによって使命を与えられた存在です。高い地位を喜ぶのではなく、今与えられている務めを喜ぶべきです。

牧師、副牧師、長老、執事、教師など、すべては神が与えた働きです。

「持っているもの」で喜ぶ人々が集まると、教会には争いが起こります。思い通りにならないと不満が爆発し、不和が生まれるのです。


(3)イエスに学び、神が用いられる時まで準備しよう

私たちが神の働きをする前に必要なのは、自分がどんな存在かを知ることです。

何を持っているか、どうやって手に入れるかにこだわっている間は、神の働きを正しく行うことができません。なぜなら、栄光さえ奪ってしまうからです。

まずはマルタのように忙しく働く前に、マリアのように御言葉を聞くことが必要です。感謝も準備もないままでは、恵みを受けても気づきません。冒頭の郵便局の男性のように、不満だけが残ってしまいます。

大切なのは、自分がどれだけ頑張ったかではなく、自分がどんな存在であるかを知ることです。そのとき初めて、自分のなすべきことが見えてきます。​ 

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