20240904水曜祈祷会
聖書:ルカ10:17-20
題目:72人の弟子
賛美:430、436、449、498
説教:高曜翰 副牧師
はじめに ― 感謝の法則
あるイスラエル人男性の話があります。
毎年、エルサレム中央郵便局には神様宛の手紙が多く送られてきます。ある男性は「生活が苦しいので5000シェケルください」と手紙を書きました。郵便局員たちはかわいそうに思い、募金を集めて4300シェケルを送ってあげました。
すると男性はこう書きました。
「神様、お金を送ってくださってありがとうございます。次からは郵便局を通さないでください。彼らは700シェケル盗みました。」
この男性は物質的に貧しかっただけでなく、心も貧しかったのです。
彼は郵便局を通して神様と対話し、同じ郵便局を通して助けを受けたにもかかわらず、恵みに気づけませんでした。
「持っているもの」に心が縛られている人は、どれほど恵みを受けても、自分が愛されている存在であることに気づくことができません。
1.本文の解説
(1)七十二人の意味
ルカ福音書では次のような広がりが見られます。
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ルカ8章:イエスが伝道し、弟子たちは従った。
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ルカ9章:十二弟子が遣わされ、悪霊を制し病を癒す力と権威を与えられた。
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ルカ10章:さらに七十二人が選ばれて遣わされた。
ここには福音が世界へ広がる流れが示されています。
七十(七十二)の数字には象徴的意味があります。完全数である7の拡大であり、神の権威の広がりを示します。
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創世記10章:ノアから派生した七十の国
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創世記46章:イスラエルの民七十人
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民数記11章:聖霊を受けた七十人の長老
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サンヘドリン:大祭司を除く七十人
つまり、全世界へ向かう神の働きを表しているのです。
(2)イエスの教え
イエスは弟子たちに「財布も袋も靴も持っていくな」と命じられました。これは肉体的、物質的なものに頼らないためです。宣教は多くを持っている人がするものではなく、神に完全に頼る者が行うものです。「狼の中に子羊を送るようなもの」という表現も同じ意味です。
また「挨拶をするな」と言われましたが、これは無視せよという意味ではありません。当時の中東文化では挨拶が非常に長くなるため、神の国を伝えることに集中せよという命令です。
家に入ったなら「平安があるように」と言い、出されるものを食べ、病人を癒し、「神の国が近づいた」と宣言しなさいと言われました。
もし受け入れられなければ、町のちりを払い落とし、「神の国が近づいたことは知っておけ」と語りなさいと命じられました。
つまり、神の国は信じる者には希望であり、拒む者には恐れであるということです。伝道の結果は伝える側ではなく、受け取る側に責任があります。
(3)七十二人の喜び
弟子たちは「イエスの名によって悪霊が服従した」と喜んで帰ってきました。
それは彼ら自身の力ではなく、イエスの力によるものです。しかし人は、神がされたことでも、自分がしたように感じてしまう危険があります。
(4)イエスの応答
イエスは「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」と言われました。これは実際の出来事と見る解釈もあり、預言的表現と理解する解釈もあります。
また「蛇やさそりを踏みつける権威」を与えると言われました。これは肉体的な守りと霊的な守りの約束です。神の計画の中で、使命が果たされるまでは守られるという意味があります。
(5)本当の喜びとは何か
イエスは言われました。
「霊が服従することを喜ぶな。あなたの名が天に記されていることを喜びなさい。」
これは、強い力を得たことを喜ぶのではなく、救われた存在であることを喜びなさいという意味です。
何を持っているかではなく、どんな存在であるかが重要なのです。
2.適用
(1)伝道は持っているからするのではなく、伝道する存在だから行う
「財布も袋も靴も持っていくな」と言われたように、伝道は持っている人だけのものではありません。神が与え、神が人を通して備えてくださいます。
また「霊が服従することではなく、名が天に記されていることを喜べ」と言われたように、伝道は何かを得るためではありません。私たちが伝道する使命を持つ存在だから行うのです。
種まきのたとえも、良い土地を選べという話ではありません。結果は土の問題であり、伝える側の技量の問題ではありません。
イエスご自身もコラジン、ベツサイダ、カペナウムで伝道されましたが、結果が同じではありませんでした。救いは100%神の働きです。だからこそ、失敗への罪悪感に縛られる必要はありません。私たちは使命に従って種を蒔くのです。
(2)私たちは「持っているもの」で喜ぶのではなく、「存在」で喜ぶ者
奉仕の成功には傲慢や勝利主義の危険があります。霊的成長よりも物質的成果を喜んでしまう危険です。
イエスが「喜ぶな」と強く言われたのは、それほど重要な問題だからです。
私たちは、恵みによって救われ、恵みによって使命を与えられた存在です。高い地位を喜ぶのではなく、今与えられている務めを喜ぶべきです。
牧師、副牧師、長老、執事、教師など、すべては神が与えた働きです。
「持っているもの」で喜ぶ人々が集まると、教会には争いが起こります。思い通りにならないと不満が爆発し、不和が生まれるのです。
(3)イエスに学び、神が用いられる時まで準備しよう
私たちが神の働きをする前に必要なのは、自分がどんな存在かを知ることです。
何を持っているか、どうやって手に入れるかにこだわっている間は、神の働きを正しく行うことができません。なぜなら、栄光さえ奪ってしまうからです。
まずはマルタのように忙しく働く前に、マリアのように御言葉を聞くことが必要です。感謝も準備もないままでは、恵みを受けても気づきません。冒頭の郵便局の男性のように、不満だけが残ってしまいます。
大切なのは、自分がどれだけ頑張ったかではなく、自分がどんな存在であるかを知ることです。そのとき初めて、自分のなすべきことが見えてきます。


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