20241220家庭訪問礼拝
聖書:詩篇38:14-15
題目:沈黙して待ち望もう
賛美:393、591、579
説教:高曜翰 副牧師
場所:家庭
「まことに、わたしは聞かない人のごとく、議論を口にしない人のようです。
しかし、主よ、わたしはあなたを待ち望みます。
わが神、主よ、あなたこそわたしに答えられるのです。」
(詩篇38篇14~15節・口語訳)
Ⅰ.病気の時、私たちはどうすべきか
病気になると、体だけでなく心も弱くなります。
気持ちに余裕がなくなり、いらだち、人々に対して感情的になってしまうことがあります。その瞬間は気持ちがすっきりするように感じるかもしれません。しかし、その結果、人を傷つけ、関係が離れてしまうこともあります。
では、病気の時、私たちはどのように過ごすべきなのでしょうか。
Ⅱ.本文解説
1.病気は偶然ではない
病気は単なる偶然ではありません。神様の許しなしに起こることはありません。空の鳥でさえ、神様の許しなしに地に落ちることはないように、私たちの病気も神様の主権の中にあります。
病気は、神様からの特別なメッセージであると考えることができます。ただし、それが必ずしも罪の結果であるとは限りません。聖書には、エジプトに下された災い、ヨブの苦難、ミリアムのらい病、ウジヤ王の病、エリシャの召使の出来事など、さまざまな例があります。
ダビデは病の中で自分の罪を思い出し、悔い改めました。健康な時、人は傲慢になりやすく、神を求めなくなりがちです。しかし病気の時、人は真剣に神を求めます。
2.病気は謙虚になるチャンス
病気は、信仰者として謙虚に生きるための機会でもあります。
小倉智昭さんは12月9日にがんで亡くなりましたが、「がんで良かった。準備ができるから。脳溢血や心筋梗塞で急に死ぬと思っていた」と語っていました。
三浦綾子さんは、肺結核、脊椎カリエス、帯状疱疹、直腸がん、パーキンソン病など、多くの病を経験しました。そして「病気ばかりしている私は、神様にえこひいきされているのではないか」と語りました。
病気になったとき、ただ治ることを目的に神様に近づくのはやめましょう。神様の目的は、私たちが神との関係を回復することにあります。
3.沈黙して主を待ち望む
沈黙と主を待ち望むことは、聖書において常に結びついています(イザヤ7章4節、イザヤ30章15節、哀歌3章26節)。
ダビデは病の苦しみの中で、人々に対しては沈黙しました。そして神様を待ち望みました。その一方で、神様の前では自分の感情を正直に吐き出しました。
私たちも、人にぶつけるのではなく、神様に打ち明けるべきです。
4.神様の関心はどこにあるのか
神様の関心は、私たちが良い暮らしをしているかどうかではありません。
神の国の民として、この世でどのように生きているかにあります。
夫婦関係が悪くなる原因がお金そのものではないのと同じように、問題の本質は外側ではなく、関係の中にあります。神様は私たちとの関係を求めておられるのです。
Ⅲ.新約聖書の光の中で
ヨハネの福音書9章1~3節には、生まれつきの盲人についての出来事が記されています。弟子たちは「誰が罪を犯したのか」と尋ねましたが、イエスは「神のみわざが現れるためである」と答えられました。
私たちに不幸や苦難が起こる理由は何でしょうか。
神様は
①私たちを愛しておられ、
②良いお方であり、
③私たちの苦しみを知っておられます。
それでもなお苦難を許されるのは、私たちの上に神の栄光が現れるためです。その栄光を通して、遠く離れた息子が帰ってくるのを、神様は待っておられるのです。
Ⅳ.病気の時、どうすればよいか
第一に、ダビデのように騒ぎ立てず、沈黙の中で神様を求めましょう。
第二に、ダビデのように神様に正直に打ち明けましょう。
第三に、人々が受け入れてくれなくても、神様は私たちを受け入れてくださることを信じましょう。
まとめ
第一に、体が弱っている時は、悔い改めの良い機会です。
第二に、弱っている時こそ悔い改め、神からの慰めを受けましょう。
第三に、神様は私たちが近づくのを待っておられます。
沈黙の中で主を待ち望み、神様との関係を深める者となりましょう。
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