20250211家庭礼拝
聖書: ルカ7:44-47
題目: 愛するとは赦すこと
賛美: 259、260
説教:高曜翰 牧師
場所:家庭
1.本文解説
① 背景
パリサイ人シモンが、イエスを食事に招待しました。しかしシモンは、当時の習慣に従ったもてなしをしませんでした。
当時、客を迎える際には次のような配慮がなされるのが普通でした。
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足を洗うための水とタオルを用意すること
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挨拶の口づけをすること
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頭に塗るための香油を用意すること
ところがシモンは、これらを一切行いませんでした。その一方で、罪の女を見下し、さらにイエスをも見下していました。
彼は心の中でこう言いました。
「もしこの人が預言者であるなら、罪の女が触れるのを赦すはずがない」(7:39)
つまりシモンは、自分は正しい側に立っているという思いを持ちながら、イエスとこの女性を裁いていたのです。
② 罪の女がしたこと
(1)涙で足を濡らし、髪の毛で拭いた
彼女は涙でイエスの足を濡らし、自分の髪の毛で拭いました。
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自分の愛するイエスが歓迎されていないことを見て、涙があふれたのです。
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服ではなく、自分の髪で拭きました。髪は女性にとって誇りであり、普段は束ねておく大切なものです。
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髪を解く姿は、本来夫以外には見せないものです。彼女は自分のプライドを捨て、最大の敬意をもってイエスに仕えました。
(2)足に口づけをした
頬ではなく足に口づけをしました。
それは、身分の高い方に対する深い敬意の表れでした。
(3)足に香油を塗った
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通常は家庭用のオリーブ油を使います。
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しかし彼女は高価な香油を使いました。それも敬意の表れです。
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食事の席ではイエスの頭に手が届かなかったため、足に塗りました。
彼女の行動はすべて、心からの愛と感謝の表現でした。
③ なぜシモンは愛せず、罪の女は愛せたのか
イエスは言われました。
「多く赦された者は多く愛する。少しだけ赦された者は少しだけしか愛さない。」
愛することは、努力して生み出すものではありません。
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シモンは「自分は正しく生きてきた。赦されて当然だ」という思いを持っていました。
そのため、赦されたという実感がありませんでした。だから愛せなかったのです。 -
罪の女は、自分が罰を受けて当然の存在であることを知っていました。
それでも赦された。その赦しを実感していたからこそ、深く愛することができたのです。
2.適用
① 愛することは赦すこと
この世には間違った愛があふれています。
たとえば、強すぎる「好き」がストーカーになることもあります。
愛が何か分からなくなったときは、「赦すこと」を基準に考えましょう。
では、なぜイエスが私たちを愛していると言えるのでしょうか。
それは、私たちを赦すために十字架にかかってくださったからです。
イエスはこう祈られました。
「あの人たちを赦してください。自分で何をしているのかわからないのです。」
赦すこと、それが愛なのです。
② 期待することは、赦さないことになり得る
愛しているからこそ、期待することもあります。
しかしその期待が、赦さない心につながることがあります。
たとえばテストの点数。
期待通りでないと怒ってしまうことがあります。
「親なのに」「先生なのに」「友達なのに」
そのような思いが怒りを生みます。
しかし、その人がそのような行動をした背景や原因を知ると、赦すことができます。
イエスは、身分の高い人にも低い人にも同じように接しました。
悪いことを認めない人には厳しく向き合いましたが、認めた人は赦しました。
赦す人こそ、愛をもって多くの人に深く関わることができるのです。
③ たくさん赦して、たくさん愛せる人を育てましょう
赦されなかった人は、人を赦すことができず、愛することもできません。
相手を愛にあふれる人にしたいなら、まず私たちがたくさん赦してあげることです。
イエスが身分の低い人々に愛されたのは、彼らが「赦された」と実感したからです。
赦された経験が、愛する力を生み出します。
3.まとめ
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愛することは、赦すことです。
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期待することは、赦さないことになり得ます。
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たくさん赦して、たくさん愛せる人を育てましょう。


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