20250306早天祈祷会
聖書:使徒行伝7:51-53
題目:信仰で受け入れよう
賛美:386、390
説教:高曜翰 副牧師
【聖書朗読】
ああ、強情で、心にも耳にも割礼を受けていない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。それは、あなたがたの先祖たちと同じです。
いったい、あなたがたの先祖で、預言者を迫害しなかった者がいるでしょうか。彼らは、正しい方が来ることを預言した人たちを殺しました。今や、あなたがたはその正しい方を裏切り、殺す者となっています。
あなたがたは、御使いによって伝えられた律法を受けたのに、それを守りませんでした。
1.本文解説
(1)頑なで、心と耳に割礼を受けていない人たち
ここで言われている「頑な」とは、首が硬く、神様に向かってうなずかない、ねじれた状態を意味します。
また「耳に割礼を受けていない」とは、神様の言葉に応答できない状態を指します。
さらに「いつも聖霊に逆らっている」とは、預言者に逆らっている状態を意味します。
ステパノは、対象をユダヤ人全体からサンヘドリンの人々へと移し、彼らが慣れ親しんだ言葉を用いて批判しました。
彼らは神様から怒られたイスラエルと同じ過ちを繰り返していたのです。
(2)先祖が預言者を殺したように、同じ過ちを犯している
「正しい方」とはイエス・キリストを指しています。
預言者たちを殺した先祖と同じように、彼らもメシアを殺しました。
先祖を誇っていましたが、実際には先祖も過ちを犯しており、彼ら自身も同じ過ちを犯していました。
(3)律法を受けたのに守らなかった
彼らは律法を誇っていましたが、実際には一貫して律法を否定していました。
サンヘドリンの人々は自分たちの誇りを否定されたと感じました。
ステパノは自分の命を顧みず、彼らの誤った信仰を指摘しました。
2.適用
(1)この世において誇れるものは何もありません
ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを誇っていました。
しかし彼らの先祖も神様に逆らい、預言者を殺した人々でした。
私たちも、自分が韓国人であるとか日本人であるとかを誇ることはできません。
この世の血統や民族を誇ることに意味はありません。
(2)自分の弱さを誇ることを受け入れましょう
パウロは「誇らなければならないなら、自分の弱さを誇ろう」と語りました(コリント人への手紙第二11章30節)。
私たちは「私は…」の人生から「キリストは…」の人生へと変えられました。
パウロも自分の思いではなく、キリストの思いで生きていました。
そのため、大胆に神様の言葉を宣べ伝えることができたのです。
弱さは恥ではありません。弱いからこそ変えられたのです。
パウロは自分の成果ではなく、苦難を誇りました。
(3)感情ではなく信仰で生きましょう
サンヘドリンの人々は自尊心を傷つけられ、感情によって罪を犯しました。
一方ステパノは、危険な状況の中でも感情ではなく信仰によって証ししました。
私たちは罪人であり、イエス・キリストを十字架にかけた存在であることも事実として受け止めなければなりません。
気分が悪くなったとしても、それを信仰の中で受け止める必要があります。
3.まとめ
① この世において誇れるものは何もありません。
② 私たちが誇れるのはイエス・キリストだけです。
③ どんな言葉を聞いても、自分ではなく神様の基準で判断しましょう。
それが、感情を乗り越えて信仰で生きる者の姿です。


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