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御言葉に生きるコルネリオ(使徒行伝10:1-8)
고요한 2026-03-06 추천 0 댓글 0 조회 50

 

20250326早天祈祷会

聖書:使徒行伝10:1-8
題目:御言葉に生きるコルネリオ
賛美:361、365

説教:高曜翰 副牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

(1)カイザリヤに住むコルネリオ

カイザリヤに、コルネリオという人物が住んでいました。

カイザリヤは、ヨッパから約50km北にある地中海沿いの港町です。ここには、かつてピリポ執事も滞在していました。もともとはフェニキヤ人の町でしたが、ヘロデ王が改築し、ローマ皇帝カエサルにちなんで「カイザリヤ」と名付けられました。ここはローマ総督の滞在地であり、港からはローマの各地へ船で行くことができました。また、カルメル山から水を運ぶ導水橋や円形劇場など、ローマ的な施設も整えられていました。

コルネリオは、この町に駐屯していたローマ軍の百人隊長でした。百人隊長とは、およそ100人の歩兵を指揮する軍人です。当時、エルサレムには6人、カイザリヤには30人の百人隊長がいました。ローマ軍では、6つの百人隊が1つのコホート、10コホートで1つの軍団(レギオン)を構成していました。

コルネリオは「イタリヤ隊」と呼ばれる部隊の百人隊長でした。この部隊の隊長は6人いましたが、その中の一人がコルネリオでした。彼はイタリア出身であり、百人隊長になるためには15年以上の軍務経験が必要とされていました。つまり、彼は経験豊かな優秀な軍人でした。

しかし彼は、単なる軍人ではありませんでした。割礼は受けていませんでしたが、ユダヤ人の神を礼拝していました。

彼は家族とともに信仰生活を送り、民に多くの施しをし、絶えず神に祈る生活をしていました。施しをしていたということは、彼の信仰が行動に現れていたことを意味します。また、常に祈っていたということは、神に頼って生きていたということでもありました。


(2)天使の呼びかけ

ある日、午後三時ごろ、コルネリオは祈っていました。午後三時とは、神殿で生け贄を捧げる時間です。その祈りの時間に、彼は幻の中で神の使いをはっきりと見ました。

神の使いは彼のところに来て、「コルネリオよ」と呼びました。

コルネリオはその姿を見つめましたが、恐ろしくなりました。強い軍人である彼でさえ、神の使いを前にして恐れたのです。しかし彼は、それが神からの使いであることを悟り、「主よ、何でしょうか」と謙遜に答えました。

すると天使はこう言いました。

「あなたの祈りと施しは、神の前に立ち上り、覚えられています。」

つまり、コルネリオの祈りと施しの行いは、神の前に届き、神に覚えられていたのです。

さらに天使は続けて言いました。

「今、ヨッパへ人を送り、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。彼は皮なめしのシモンの家に泊まっています。その家は海辺にあります。」

海辺にあるという言葉は、町の外にあるという意味でもあります。皮なめしの仕事は、ユダヤ人から汚れた職業と見られていたため、町の外に住むことが多かったのです。

このことを伝えると、天使は去っていきました。ここで注目すべきことは、天使自身が福音を伝えたのではなく、ペテロを紹介したという点です。神様は福音を、人を通して伝えることを望まれたのです。


(3)コルネリオの応答

天使が去ると、コルネリオはすぐに行動しました。

彼は、家のしもべ二人と、部下の兵士の中から敬虔な一人を呼びました。そして、起こった出来事をすべて説明し、彼らをヨッパへ送り出しました。

コルネリオは、神の言葉を聞いたとき、ためらうことなく従ったのです。


2.適用

(1)神様は神を愛し求める人に現れる

コルネリオは、この時点ではまだイエス・キリストを知りませんでした。しかし神様は、彼が福音を聞くことができるように、天使を送り、ペテロに会わせようとされました。

それは、コルネリオが神を愛し、御言葉に従って生きていたからです。

イエスもこう言われました。

「わたしを愛するならば、わたしの戒めを守るべきである。」(ヨハネ14:15)

たとえ理解が完全でなくても、御言葉に従って生きようとする人には、神様の導きがあります。

なぜなら、神様は御子を犠牲にするほど、私たちを愛しておられるからです。神様は私たちと人格的に出会うことを望んでおられます。


(2)神様の時と神様の方法がある

神様はカイザリヤにいたピリポを用いませんでした。代わりに、ヨッパにいたペテロを用いられました。

また、天使が直接福音を伝えることもできたはずですが、そうはせず、ペテロを通して福音を伝えさせました。

神様には、神様の時と方法があるのです。

イエスご自身も、神の時を大切にされました。バプテスマのヨハネが殺されたとき、イエスはしばらく身を隠されました。

私たちも時々、「あの時、神様が働いてくれたらよかったのに」「あの時、教えてくれたらよかったのに」と思うことがあります。

しかし、神様の時と神様の方法こそが、私たちにとって最も良いものであることを認める必要があります。


(3)神様の時を待ち、神様の方法を受け入れる

私たちが失敗する理由の一つは、神様の時を待てないことです。また、神様の方法を受け入れず、自分の望む時と方法を求めてしまうこともあります。

イエスが教えられた主の祈りには、次の言葉があります。

「御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」

ここでは、自分の国ではなく神の国、自分の願いではなく神様の計画が成就することを祈っています。

私たちもコルネリオのように、祈りながら、御言葉に従い、施しを行いながら生きていきましょう。


3.まとめ

① 神様は、神を愛し求める人に現れてくださる。

② 神様には、神様の時と神様の方法がある。

③ 私たちは、神様の時を待ち、神様の方法を受け入れるよう祈ろう。

そしてコルネリオのように、祈りながら御言葉に従って生きていこう。​ 

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