20220327 日曜午後礼拝
聖書:ヨシュア7:24−26
題目:罪の伝播
説教者:高曜翰 伝道師
1。子供の人格形成
「三つ子の魂百まで」と言う諺があります。これは3歳ごろまでに形成された人格は死ぬ時まで変わらないという意味です。現在の研究では、人格形成の範囲はおよそ6歳までと言われていますが、幼少期に見聞きした親の姿によって子供の人格は造られていくのは確かなようです。親が勝ち負けにこだわる性格なら子供もそのようになり、親が勉強熱心ならば、子供も勤勉な性格になります。同じように、親が祈る姿を見せれば、子供も神様の存在が身近になり、親が聖書の話をしないのなら、子供も神様の言葉を大切に考えなくなります。親が何を選択して生きているかは、子供の生活態度に大きく影響します。
2。カナン人の罪
カナン人は自分達の繁栄のために、神様からの授かりものである子供を焼いてモレクの神に捧げました。子供を自分の利益のために殺す親の姿を見て育つ子供たちは、親がしたように自分の利益のために弱者を殺すようになります。親の罪が子供に伝染していくのです。そんな救いようのない姿を見て、神様はカナン人を絶滅させる事にしました。イスラエルの民が彼らから悪を学ばないようにするためです(申命記20:16−18)。ノアの時代、神様は洪水を持って、高い文明力を持っていたカインの子孫や力あるネフィリム、堕落したセツの子孫たちを滅ぼしました。ヨシュアの時代には、イスラエルの民を用いて救いようのないカナン人を滅ぼすことにしたのです。イスラエルの民は神様に主権を返さない生き方がどのような結果をもたらすのか直に知るようになります。
2。アイでの戦い
前回イェリコでの戦いで、ヨシュアは司令官は神様であることに気付き、勝利を収めました。次の目標はアイの街です。ヨシュアは前回と同じように斥候を送り込みました。調査の結果、2−3千人で攻略可能と判断しました。1万2千人の住む場所を立った2千人で攻めるというのは、前回の勝利で高慢になっているように見えます。そして、ヨシュアは神様に尋ねるという大切な行動をとりませんでした。私たちもうまくいっているときは、神様に尋ねず行動してしまうことがあります。気を付けなければいけません。ヨシュアは勝利を確信していましたが、36人死亡という凄惨な結果となり、イスラエル人は戦闘意欲をなくしてしまいました。逆に、それまで怯えていたカナン人の心は強くなってしまいました。神様が共にいたはずなのに、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
3。敗北の原因究明
ヨシュアは服を裂いて、長老たちと夕方まで地にひれ伏し、神様に「何をしようとされるのですか?」と尋ねました。ヨシュアが怒りを表している一方で、神様も怒りを表し、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか」と返事しました。そして、敗北の原因はイスラエル側にあり、契約を破ったからだとおっしゃいました。それは、イェリコでは神ご自身だけが戦われたので、戦利品は全て神様だけのものだと言う約束です。しかし、その戦利品を誰かが盗んだと言うのです。神様は「わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう」と言い、「滅ぼされるべきものを、除き去るまで、敵に勝つことはない」と警告しています。ここでヨシュアたちは、自分の仲間の誰かが、神様の主権を犯していることを知ります。神様の正義の武器として戦うイスラエル人が、偶像崇拝をするカナン人と同じ過ちを犯しているのです。それは違法な行為をし続ける警察官のように矛盾した存在です。神様への捧げ物を盗む行為は、自分の豊かな暮らしのために神様から与えられた子供を殺すことと同じで、神様に主権を返さない行為です。
4。解決方法
神様はくじ引きで責任を負うものを決めるように言います。現在のくじ引きとは違い、当時、神様はくじ引きを通してご自分の意志を表していました。くじ引きは、翌日早朝から始められました。まず、12部族がくじを引くと、ユダ部族が選ばれました。次にユダ部族の中でくじ引きをすると、ゼラ氏族が当たりました。また、その中でくじ引きをするとザブデの家族が当たりました。さらにくじ引きをすると、アカンと言う男にくじが当たりました。つまり、アカンという男が神様の戦利品を盗んだと言うことです。ヨシュアはアカンに「わが子よ、主に栄光を帰し、主に賛美し、あなたがしたことを告げなさい」と言いました。アカンは「本当に私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました」と告白しました。そして「シナルの美しい外套1枚」「銀200シケル(2.3kg)」「50シケル(570g)の金の延べ棒1本」を「自分の天幕内の地面に隠した」と明かしました。天幕内に隠したと言うのは、犯行が家族ぐるみと言うことを表しています。子供たちは父親の犯行を見て見ぬ振りしていたと考えられます。天幕とは単に生活場所を意味するだけでなく、アブラハム、イサク、ヤコブが下のように神の言葉を伝える場所でもあります。その場所でアカンは、神の言葉ではなく、罪を子供達に教えていたと言えます。
5。処罰
その結果、イスラエル人は、神様に従って、アカンを石で撃ち殺しました。くじ引きの前に罪を告白していたのなら、もしかしたら結果は変わっていたのかもしれませんが、手遅れでした。そして、その息子と娘、家畜も打ち殺し、持ち物と共に火で焼きました。36人の犠牲者を出す原因となったアカンは死ななければなりませんでした。しかしなぜ、神様はご自分で罰を与えるのではなく、イスラエルの人々にさせたのでしょうか?とても残酷なように思えますが、それはこの戦いが、単にイスラエル人とカナン人という人間同士の戦いではなく、神とその反逆者との戦いだからです。犯罪を取り締まる警察官が犯罪を犯さないよう気をつけるのと同じように、私たちクリスチャンも神の民として罪から遠ざかる必要があります。そして、本人だけでなく、その子供たちも死ぬことになりましたが、なぜでしょうか?それは、罪の習慣が遺伝する恐ろしさをイスラエルの人々が知るためだと考えられます。アカン1人が盗みを働いていたかどうかははっきりしませんが、アカンの息子と娘たちには、アカンの罪の影響が色濃く現れていたと考えられます。神の主権を軽んじ、人間の力やこの世の富を優先する考え、バレるまで犯行を隠し通す態度を子供たちも学んでいたと考えられます。そして、アカンの家族の、神様に主権を返さない姿が、イスラエル全体に現れていたのは確かです。神様の民として生きながら、この厳しい処刑は、イスラエルが自分達を顧みるために必要だったことだと考えらえれます。
6。問題点
イスラエルの敗北の原因は何だったのでしょうか?イスラエル全体としては、司令官である主に尋ねないという罪です。司令官の権威を無視した兵士の行動は、全体を危機に晒すとても危険な行為です。神の主権を盗む行為は許されるべきものではありません。また、個人の問題としてはアカンの盗みの罪にあります。これも自分の利益のために神の主権を軽んじる行為です。単に、人間のものを盗むのも悪いのに、神様のものを盗むのはもっと悪いと言うことではありません。アカンの盗んだシナルの外套1枚のシナルとはバビロンを指し、バビロンは、バベルの塔に見られるように人間の力を象徴しています。また金銀はお金、つまりこの世の富を象徴しています。つまりアカンの行為は、神様ではなく人間の力を称賛し、神様の与える祝福よりもこの世の富を選択したことを意味します。ただしこれは単にアカン個人の問題ではありません。イスラエル全体の問題がアカン個人を通して現れたということは忘れてはいけません。人間の力とこの世の富を追い求める結果は、カインの子孫やネフィリム、そしてカナン人と同じように滅びしかないことを私たちは知らなければなりません。
7。現代社会において
アカンだけでなく、息子と娘たちの死から、私たちは何を学ぶべきでしょうか?それはクリスチャンの神様に主権を返さない生活態度の悪影響の深刻さです。親がいくら洗礼を受け、沢山の献金と奉仕をしたとしても、神様の主権を無視する行動を取れば、子供は神様を崇めなくなります。例えば、親が献金をもったいないという態度を見せれば、子供は何も言わなくても、神様への献金とはもったいないものだと学びます。教会よりも仕事を優先させれば、子供たちも教会の優先度を低くします。子供たちは言葉よりも、親の行動から何を優先順位にして生きるべきか学ぶのです。子供は神様からの預かりものであり、カナン人のように、親の好き勝手に育てていいものではありません。私たちは子供達にいつも神様に主権を返す生き方を見せる必要があります。
8。イエスの教育
イエスは12人を集め、弟子として訓練しました。しかし、ただ教えるだけではなく、衣食住を弟子たちと共にして、体験的に弟子たちを教育していたのです。弟子たちはイエスの実際の行動を通して、イエスの言葉が正しいことを経験したのです。弟子たちはイエスの言う言葉を理解できず、的外れなこともしました。しかし、イエスの死後は、経験的に学んだイエスの言葉を実践するようになりました。子供たちも同じです。子供達は親の言うことは素直に聞きませんが、親の行動は自然と身につけます。アメリカでとある牧師先生の話を聞きましたが、クリスチャン女性とノンクリスチャン男性の夫婦に起こりやすい問題があるそうです。それは妻が夫の発言に敬意を表さず、見下すことがあり、その姿を見た子供たちは、人を見下すことを学び、親を見下すようになると言うのです。子供たちが自分の言う言葉を聞かないときには、自分の言葉が言動と一致していない可能性があります。どうか、自身の感情コントロールがうまく出来ない問題を、子供に押しつけて怒鳴らないでください。子供は体験的に親から学んでいます。
9。まとめ
かつてアブラハムはベテルとアイの間に祭壇を築き、偶像礼拝の中心地で信仰生活を始めました。ベテルとは神の家を意味し、神様に主権を返す信仰生活の象徴です。一方アイは破滅を意味し、神様に主権を返さない信仰生活の象徴です。ヨシュアがアイに負けたのは、戦力を見誤ったからではありません。神様に主権を返すことを軽んじた結果です。ヨシュアたちはもう少しでアイの人々と共に破滅するところでした。私たちの信仰生活はベテルに向かっているでしょうか、アイに向かっているでしょうか。自分の進んでいる方向を確認してください。そして忘れてはいけないことは、私たちの生きる姿は必ず子供に影響を及ぼすと言うことです。私たちが口では神を賛美しても、神に主権を返さない生き方をするならば、子供たちはその行動を見てすぐに学びます。罪の感染力は私たちの想像以上です。自分がいつも主に主権を返す生き方しているかどうか、一度振り返って見て下さい。
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